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《第2回》地域経営からみた「調達革命」
性能発注の時代(その1)  

出典:旬刊  国税解説速報 VOL/45 第1649号

1 仕様発注から性能発注へ

公共事業では、公共団体が詳細な設計や仕様を決め、民間企業はそれにしたがって施設の建設などを行うためのコストを提示する、仕様発注が主流となってきたが、こうした伝統的な調達方式は変革が迫られている。
1つ目の理由は、技術の進化である。公共調達が土木建築物を主たる対象としているうちは良かったが、最近では公共団体の資産の中でも機械設備やITが増えている。こうした分野では公共団体は十分な技術的素養を有していないため、自ら詳細な仕様を提示し、民間事業者が納入したものを確認することは難しくなっている。
2つ目の理由は、公共団体の技術人材の不足である。財政危機が長らく続き、公共団体は雇用を絞り込んだこともあり、公共サービスの現場では技術者が不足しつつある。団塊の世代の引退と共に技術者が不足する、としている自治体等は少なくなく、公共団体が自ら技術を管理することが実質的に難しくなりつつある。
3つ目の理由は、民間事業者の技術力の向上である。今や、民間事業者より技術力が上だと胸を張れる公共団体は稀有である。一般の契約の考え方では、技術やノウハウなどの優れた側がそれに関する仕様等を決める方が合理的である。それに従えば、公共投資等においても、委託者として当然決めなくてはならない点を除き、できるだけ多くの点を技術力が上の民間事業者に委ねることが合理的と言える。
以上のような観点から求められているのが性能発注と呼ばれる発注方式である。性能発注とは、施設やサービスの調達に当たって、発注者は詳細な仕様等を提示せず、機能を定義し得る性能等を示し、詳細な仕様については受託者に委ねる発注方式である。例えば、建築物を発注する場合、概略設計、電力や情報基盤、あるいはユニバーサルデザインに関する規定等、発注者として求めたい点だけを示し、基本設計、実施設計、施工を民間事業者に委ねることになる。
そもそも、我々の一般の生活で細かく仕様を規定してモノを購入することは稀である。自動車を買う時には、乗る人の数、デザインのイメージ、燃費、安全機能、希望価格帯等を提示し、それに見合った製品を購入する。家を建てる場合でも、最終的な図面をチェックすることはあっても、購入側から提示する情報は限られている。民間企業でも最終的な仕様まで提示することは必ずしも一般的ではない。受注者に技術力があって、詳細仕様を決めることが合理的なら受注者に任せてしまうことが多いだろう。公共団体で普及している仕様発注は、世間動向から見て必ずしも一般的な調達方法とは言えないのである。
したがって、仕様発注から性能発注への転換を図るには、旧来の慣行に縛られず、合理的な調達方法とは何か、を考えなくてはいけない。

2 性能発注時代のVfMを考える

VfM(Value for Money)とは、投入した資金をできるだけ価値のある形で使うことを意味している。PFI事業では公募に当たって、VfMが向上することを確認するようになっているため、VfMの概念はPFIの導入によって日本でも一般的になった。ただし、VfMの考え方自体は新しいものではない。公共事業の評価で使われるB/C(費用)も同様の考え方である。
VfMは概念的に、VfM=(質)÷(投入コスト)で表すことができる。つまり、質をできるだけ高くしコストをできるだけ下げることにより、分数で表されたVfMの値が大きくなる。公共団体に限らず調達は、すべからくこうした考えに基づかなくてはならない。
ここで重要なのは、仕様発注と性能発注ではVfMの構造が違うことである。まず、仕様発注では施設等の質は公共側が作成する仕様により担保される面が多い。質に関する民間事業者の役割は公共側が作成した仕様通りに施設の建設等を行うことである。したがって、民間事業者に求められるのは決められたとおりに実行する実現能力である。これについては、例えば、施設の種類や規模に応じ、建設事業者の経営事項審査により実績や技術力を評価することで担保されている。このように、仕様発注ではVfMの分子に当たる質は公共側の仕様作成能力と民間事業者の実現能力により担保されているので、VfMの値を大きくするためには価格を下げることに注力すればよいことになる。こうして資格審査を前提とした価格競争(VfMの分母を小さくする競争)を妥当とすることができる。性能発注はのVfMはの担保の構造はかなり異なる。性能発注でも、公共側は基本的な仕様や要求水準などを作成するものの、施設やサービスの質はこれだけでは決まらない。どれだけの質の施設やサービスが実現されるかは民間事業者が考える詳細仕様によって決まるところも多いからである。つまり、性能発注では、VfMの分子の質は公共団体と委託を受ける民間事業者の協働作業によって達成されることになる。コストについては基本的に民間事業者が担うのではあるが、公共側の出す条件によって民間事業者のコストは容易に動くことも知っておかなくてはならない。
以上のように考えると、これまで公共調達の中心であった価格競争入札は二つの点で性能発注に向いていない。一つは、民間事業者をコストだけで評価したいのでは、VfMの最大化が難しいことだ。性能発注でVfMを向上させるには、コストだけでなく事業の質を上げるための民間事業者の能力等も評価しなくてはならない。総合評価は調達の公正さを高めることを大きな目的として導入されたが、このように性能発注の観点からも意義のある仕組みと言うことができるのである。
もう一つ言えるのは、官民が意見を交わしながらVfMを向上させていくプロセスがないことだ。原則として、日本の入札制度ではひとたび提示した事業条件や民間事業者の提案内容を修正することはできない。しかしながら、民間事業者のコストが公共団体の提示する条件によって動くのであるなら、発注者と受注者の間での議論無しにVfMを最大化することは難しいはずだ。

3 価格情報の考え方

仕様発注から性能発注になると、これまで常識と思っていたことを変えていかなくてはいけない。まず、予定価格について指摘しよう。
仕様発注における予定価格には二つの特徴がある。
一つは、公共側の積み上げによって作られるものであることだ。公共団体は建設工事等の発注に先立って、実施設計のような詳細な情報に基づいてコストを積み上げる。その際の根拠となるのは公開されているコスト情報や民間事業者からの見積である。こうしたコスト情報の多くは公共事業に関わる民間事業者から集めるため、低いコスト情報を提供しようというインセンティブがなく、コストが高止まりしやすい。また、現状の公共団体の市場情報への精通度や技術レベルから考えると、公共団体がコストを積み上げる、という行為自体が妥当かどうか疑問である。
二つ目は、長らく非公開が主流となってきたことだ。一度でも見積を作ったことのある人なら分かることだが、予定価格を知っていなければ数%の精度で価格を見積もることはできない。また、日頃市場情報に接していない公共団体が積み上げた価格の効率化の余地が数%というのも考えられない。複数の企業が予定価格の90数%付近に集中している状況は、予定価格が民間に流れ談合が行なわれた結果である可能性が極めて高い。
一方、公共団体の中には、予定価格を公表すると談合を助長するという意見がいまだに多いが、価格の公表と談合は本来関係がない。
以上、二つの点について性能発注は全く趣を異にする。まず、コスト積み上げで予定価格を作成することはできない。公共団体が詳細な設計データや仕様を持っていないのだから当然である。予定価格は他の類似事例などから類推した大枠としてのコストとして把握するか、現在公共団体が負担しているコストを参考に設定するしかない。いずれの場合も重要なことは、仕様発注の予定価格が、積み上げをベースとした大抵の事業者が実現できるコストであるのに対して、性能発注のそれは目標価格としての意味合いが強くなることである。したがって、性能発注への移行を進めていくと、財政運営も目標管理を行わざるを得ない傾向が強くなるので、民間企業の運営の考え方に近くなる。
ちなみに、地方自治体の仕様発注で多く使われてきた最低価格も性能発注にはなじまない。最低価格の設定ラインは予定価格の七割程度だが、性能発注では詳細な仕様等を民間事業者に委ねるため、三割、四割といった大幅なコストダウンが実現されることも珍しくないからだ。
次に、予定価格の公開性について言うと、性能発注では予定価格は公開を原則とすべきである。基本的な仕様をベースに民間事業者が詳細な設計等を検討するに当たって、目標コストは重要な情報であるからだ。公共側がどのくらいのレベルのコストを考えているかによって、民間事業者が考えるベストの質とコストのバランスは変わってくる。性能発注で予定価格を開示しないのは、自動車を買いに行って予算がどのくらいかを言わないのと同じくらい、奇異なことに思える。

4 競争性

競争が、調達を適切ならしめるために不可欠の要素であることは官民を問わず変わりはない。問題はその程度である。公共団体の入札では、原則として競争者が増えるほどいい、あるいは競争者が増えれば増えるほどコストが低下する、と考える傾向が強い。確かに、五社の中から選ぶよりも二十社の中から選んだ方が優れたアイデア、つまりコストダウンが含まれる可能性が高い。しかしながら、民間企業では調達先の企業に必ずしも競争一辺倒を求めてはいない。例えば、第一回で例示した日産の「日産リバイバルプラン」、「日産180」、「日産バリューアップ」では、調達先企業の数が段階的に絞り込まれている。民間企業が調達先に過剰な競争を強いないのは理由がある。
1つ目は、過剰な数の民間事業者を入札に参加させると、一企業としての落札確率が下がり、応札コストが積み上がっていくからだ。当該の民間事業者は積み上がった応札コストを落札した業務から回収せざるを得ないので、発注額が高くなる。また、落札率が低いことは民間事業者を疲弊させる。日本中に蔓延った談合は、公共団体が強いた合理的根拠のない競争に対する防衛策であった面もある。
2つ目は、民間企業は、コストを下げるのは一過性の競争ではなく、パートナーとの長期にわたる改善であることを知っているからだ。もちろん、民間事業者であっても適切なレベルの競争は必要と考えているが、受注量があまりに低くてはパートナーとしての継続的な改善を期待することはできない。適切な改善を行うための機会を確保するために受注事業者の数を絞り込むのである。
性能発注の導入に当たっては、公共側がどのようなマーケットと付き合うかに関する腹決めをしなくてはならない。性能発注によって民間事業者に委ねる部分が多くなると、それに応えられる事業者の数は減る。また、性能発注では事業者の実績が重要になることから、実績を上げた企業はますます強くなる傾向がある。結果として、性能発注が普及している分野ではごく少数の企業の間で競争が行われていることがある。性能発注には市場の淘汰ないしは寡占化を促す効果があるのだ。言い換えると、敢えて競争性を下げても信頼できる事業者に業務を委託するのが性能発注である、と言うことができる。したがって性能発注で民間事業者を選出するに当たっては、競争は成立すればいい、くらいの気持ちをを持たなくてはいけない。
こうした競争性の低さをもって性能発注を否定するのは妥当ではない。競争性の低さイコール高価格ないしは質の低下とは言えないからだ。性能発注では民間事業者の実績等を厳しく求めるため、仮に五社しか応札してこなかったとしても、選ばれた民間事業者は選りすぐりの五社の中の競争を勝ち抜いた事業者、ということになる。その結果が、仕様発注のように低いハードルを通過した二十社から選ばれた企業よりコスト的に優れていない、とする根拠はない。一方で、性能発注化すれば、事業者の効率性や公共側の負担の低減は確実に享受できる。
これからは、公共団体が自らの戦力を投入する分野を絞り込み、民間にできることをできるだけ民間に任せて、新たな地域住民のニーズへの対応を図る、選択と集中の戦略をとっていくことが妥当であるのは、いまさら議論するまでもなかろう。性能発注はそこでの不可欠な調達の考え方である。しかしながら、先行的に実施されているPFIなどの民間委託の事例を見ても、仕様発注から性能発注への転換に当たって公共側の姿勢をどのように改めていくべきかが十分に議論されていない。
今回は、性能発注と仕様発注の違いのうち、価格情報と競争性について論じた。次回以降では他の重要な要素についても論じた上で、具体的な調達の仕組みについて考えていきたい。
(次回へ続く)

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