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《第1回》地域経営からみた「調達革命」 民間企業の調達戦略に学ぶ  

出典:旬刊  国税解説速報 速報Vol/45 第1647号

はじめに

「失われた十年」と言われた自信喪失の期間を越えて、日本経済は力強く立ち上がりつつある。特に、民間セクターの好調ぶりは顕著だ。2004年3月期決算では上場企業の多くが増益を果たし、史上最高益を記録した企業も少なくない。
苦しかった90年代に積み重ねた経営努力が強い企業をより強くし、苦しかった企業には復活をもたらした。世界的に好況を呈す自動車産業でトヨタは今や世界最強との呼び声もある。数年前までリストラを繰り返した鉄鋼業界は中国景気もあって史上最高益を記録している。
体質転換も進んでいる。このところ産業再生機構の対象として取りざたされる企業の中には、かつて一世を風靡したものの、体質の旧さから勢いを失った旧態たる企業がある。最近のプロ野球の買収劇では若きリーダーに率いられるIT企業が力を見せつけた。
若いリ-ダーが元気なのはIT分野だけではない。商業、流通などでも、四十代社長が率いる企業の勢いが良い。民間セクターだけを見るのであれば、日本経済は十年前と比べ様変わりした。 

1 公共財政こそ日本経済のアキレス腱

改革は公共セクターにもある。特に、自治体では革新的な経営観を持ったリーダーが登場し、特徴のある地域経営を進めている。しかしながら、改革は結果をもって評価されるべきである、という立場に立てば、公共セクターも変わった、とは言いがたい。国と地方自治体の抱える長期債務は今年度末には700兆円、GDP対比も140%を優に超えることになる。
自治体の経常収支比率は平均でも90%近くに達し、100%を超えるところもある。民間企業でいえば資金繰りに窮し破綻状態となっているところがたくさんある。債務の累積も若干減速したとはいえ、増加傾向は止まらないから、少し金利が上昇すれば危機的状況になる可能性は大いにある。
公共団体の職員も一生懸命改革に取り組んでいることは間違いない。筆者も日頃、公共団体の方々に接する機会が多いから、それは十分に認識している。
しかし、危機感という面で見れば民間企業とは明らかな差がある。何とかして生き残ろう、そのためには身を切るようなリストラも厳しい目標も甘んじて受け入れよう、という姿勢が残念ながら弱い。財政モラルも徹底できていない。自治体の経常収支比率にしても公債比率にしても、かつて危機ラインといわれたレベルをはるかに凌駕している。これだけ破綻状態の自治体が多いにもかかわらず財政再建団体は一つもない。要するに、危機管理のシステムが機能していない。
今の公共団体の改革を民間企業に例えるなら、来年にも資金繰りに窮するかもしれない、という状況にもかかわらず、経営責任を問わず、責任と引き換えに職員に厳しいリストラを強いることもなく、改革手法の議論に時間を費やしている、といった状況に見える。
公共セクターが、先進国の歴史の中で空前のレベルに積み上がった債務を払拭して健全な姿に
戻るためには、現行のシステムに固執した改革では足らないはずだ。改正すべき法律や条令は改正し、改正がままならないものについては法解釈がギリギリのところまで可能性を追求してでも結果を出す、という意識を徹底して欲しい。

2 調達改革に着手せよ 

この数年間、日本で最も成功を収めた経営者といえば日産自動車を再生させたカルロス・ゴーン氏であろう。ゴーン氏は様々な改革を行っているが、当初から明示してきたのが調達改革である。
2000年から2001年にかけて行われた「日産リバイバルプラン」では調達改革により20%のコストダウンが実行された。続いて2002年から2004年にかけて行われた「日産180」では15%、2005年から2007年にかけて行われる「日産バリューアップ」ではさらに12%のコスト削減が目指されている。調達改革は経営改革の基本戦略の一つなのだ。
しかしながら、前述したコスト削減の目標を見て「調達改革=コスト削減」と考えるのは間違いである。闇雲にコスト削減に終始し質が低下してしまうようでは、顧客から見放されジリ貧になるのが落ちである。調達改革とは常に、「質を上げ、コスト下げる」ものではなくてはならない。
PFIでいえばValue for Moneyをいかに向上させるか、ということになる。
筆者は業務上、公共団体の調達行為に接する機会が多いが、時折、公共団体が何を目的として調達を行っているのか分からなくなることがある。自治体を例にとれば、地域を良くするために、より良いものをより安く調達しようとしているのか、地方自治体に則った調達事務を行うこと自体を目的としているのか、分からなくなるのだ。公共団体職員にとって、誰にも批判されることのないよう、あるいは批判されたとしても説明がつくように事務を行うことが第一義なのではないか、と思うことが多々ある。
だとしたら、それは、住民のメリットを制度とトレードオフしていることに他ならない。これでは地域経営の名に値しない。例えば、調達の公正さを説明するためにやたらと価格入札ばかり行う自治体が増えている。価格で調達先を決めることは誰にでも理解できる客観的な方法かもしれないが、公共団体が行う価格入札は住民に対して結果を出してこなかった。価格だけで決めたにもかかわらず、公共団体の作る事務所、病院、機械プラント等々の単価は民間向けの施設に比べて何十パーセントも高い。その分だけ質が良いという訳でもない。公正さも守ることはできなかった。日本ではいまだに談合が横行している。予定価格に対する落札率が90%を超えるような状況をもって公正な調達が行われている、あるいは不公正と言い切れない、などというのは開き直りにしか見えない。
公共団体が行う調達にとって一番重要なことは、住民から預かった税金で、長きにわたり、より良いものをより安く買うことである。公正さや説明性は必要欠くべからざるものだが、この点を看過する理由にはならない。こうした認識を徹底するために、公共団体は民間企業と違う調達行為を行い、コストにおいて大きく後塵を拝し、質においても確たる結果を出せなかった、そして公正さも守ることはできなかった、という事実を認めなくてはいけない。改革は事実を認めるところから始まる。
ここで、民間企業とは違うと言い、改革を行わないなら、それは経営のあり方として怠慢である。
法律があるのだから、民間企業とまったく同じことはできないのは当たり前である。しかし、地方分権、地域経営と言うのであれば、制度にあまりにこだわったエクスキューズは言うべきではない。まずは、公共団体は調達戦略において優れた民間企業に後れをとった、という認識に立ち、民間企業が何をやっているのかを学ぼう。

3 民間企業と公共団体の比較

民間企業と公共団体の調達構造の違いについていくつか述べてみよう。 一番目は予算の考え方である。
民間企業では、予算とは、それを達成すれば財務的な経営目標が達成できるブレークダウンである。そして、民間企業は常にチャレンジングでなくてはいけない宿命を背負っているから、予算とは、達成そのものが容易ではない目標である。
この点は調達を行うにあたって重要な観点である。実際の調達行為を行う担当者にコストの位置づけを明確にできるからだ。一つ一つの調達行為で与えられる予算が厳しいものであるから、予算が達成される限りにおいてまず重視するのは調達する製品やサービスの質である。
場合によっては、敢えて高い方を選択することもある。したがって、仕様を決め、それに対して複数の事業者から一発勝負で価格を提示させ、それだけで判断する、いわゆる入札行為は民間企業において一般的ではない。もちろん、最も質のよい、あるいは信頼できる製品やサービスを調達した上で、なおかつ調達価格も予算を大幅に下回った、というのならなお良い。
これに対して公共団体の調達では、予算とは公共団体の知見において実行可能と考えられる積み上げであって目標ではない。ここで公共団体側の積み上げ能力が十分でないから、民間企業から見ると公共側の予算は甘いものになる。
最終的な調達価格は入札による競争で予定価格より十分に低くなることが期待されているが、先に述べたように、落札率が90%を超え、期待の多くは裏切られる結果となっている。こうした経緯から考えて、公共団体には民間企業と同じレベルの調達目標が存在しない。

二番目は調達先企業の位置づけである。 何故、入札が一般的でない民間企業でコストが下がるのかを考えてみよう。民間企業、特に日本がお家芸として世界最高レベルにある製造業で、入札によって一過性の競争を繰り返すことで長期的に見てコストが下がる、と考えている人は少数派だろう。
民間企業にとって、調達先となる企業は経営目標を達成するためのパートナーであり、パートナーとと膝を突き合わせて仕様を効率化し、生産方法を改善し、質を向上させる努力を重ねることが、質を維持しながらコストを下げていくための最善の方法であることを理解しているからだ。
したがって、パートナーとなる企業の数が多ければ良いという訳ではない。先に紹介した日産自動車の調達改革でも調達先の企業の数は毎度絞り込まれている。企業の数を絞り込み、パートナーとなってもらい、一蓮托生で質の向上とコスト削減に取り組むのが昨今の民間企業の調達戦略といえる。もちろん、パートナーとの間に緊張感を維持するためには、特殊な製品等を除き、パートナーの数は複数の方がいい。ただし、それが過剰な競争を強いるものであってはいけない。
これに対して公共団体の調達は、応札する企業の数と落札率の間に重要な相関がある。という幻想に立脚している。五社で入札するより十社で入札した方が落札率は下がる、という訳だ。
しかし、相手が一社であろうが十社であろうが、強敵がいればベストの提案をするのが民間企業であって、応札企業の数が絶対的に重要な訳ではない。数が重要なのは優れた企業の出現確率が高まる、という理由だけである。
一方、数が多くなればなるほど、民間企業の側は失注する確率が高くなるから、その分のコストが落札額に反映される可能性が高まる。
公共団体にとって、民間企業はいまだに「業者」に過ぎない。受注した後はパートナーと言うかもしれないが、選定過程で価格勝負だけを強いられる民間企業が本気で受け入れると考えるのは甘い。
次もまた匿名の過当競争を強いられるのであるから、民間企業は受注した業務でいかに利益を上げるかを考える。将来のパートナーシップを考えて、常に改善を意識している民間企業の調達先とは大違いである。匿名かつ一過性の過剰な競争が最も低いコストを約束する、という机上論を押し付けられたら民間企業は疲幣する。従来の公共調達は、モチベーションという経営上最も重要な要素を見落としている。
公共事業で談合が横行した一つの理由はここにある。モチベーションや個性を認めず、民間を業者扱いすることを当然と思ってきたことのしっぺ返しが談合システムであったとも言えるのだ。

三つ目は、調達の体制である。 民間企業で、コストが高いにもかかわらず質の優れた調達先を選ぶことができるのは何故だろう。質を重視した調達は、自信を持って質の重要性を訴えることのできる設計部門や生産管理部門の専門家の存在無くしては実現しない。 また、彼らの進言が生きるには、専門性の高いスタッフの知見をリスペクトする上層部や社内の仕組みが不可欠だ。
組織的にも専門性がある。多くの企業では購買部など調達を専門に担う部門が存在する。彼らは実際に材料や部品を使う部門からの依頼を受けて様々な企業から調達を進める。調達を専門とする部隊であるから、調達先となる企業やこれまでの調達実績などに関する多くのデータを保有している。調達先企業の選定や交渉というと交渉や技術に長けた人が思い浮かぶかもしれないが、調達において最も重要なのは情報である。
したがって、調達部門のスタッフは調達を有利に進めるための情報収集に力を注ぐ。調達は情報戦略である、と言っても過言ではないのだ。
一方、公共団体には調達専門の部署は存在しない。公共団体では担当部署が仕様や条件を決め、契約課などが事務的にチェックするだけである。調達情報をストックする組織的な構造はない。加えて、調達を行う担当部署の職員も調達の経験が殆どなく、対象となる製品やサービスに関する専門的知識が不足している。2、3年で部署を転々とするジェネラリスト指向のローテーション人事がこうした状況に拍車をかける。民間企業に比べると公共団体の調達は素人調達とも言える構造なのだ。
これでは、何十年にわたり同じ製品やサービスを担当したスタッフを擁し、組織的にも専門化している民間企業に勝てる見込みはない。入札で叩けるうちはいいが、民間企業の意のままに牛耳られているものもある。ITや機械プラントなど、公共団体に専門的素養が不足している分野が良い例だ。以上に述べた点を改善するだけでも、公共団体の調達は相当に改善されるはずだ。
次回は、公共団体の技術力が相対的に低下することにより、最近ますます重要性が高まっている、性能発注について述べることとする。
(次回へ続く)

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