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第2回「経産省『新産業創出戦略』の心許ない方策とそれへの示唆」

新保豊

出典:Nikkei Net「ネット時評」 6月25日号

 2004年5月17日、中川昭一経済産業大臣が経済財政諮問会議で報告する「新産業創出戦略」(報告書)を明らかにした。主な内容は次のようなものだ。
(a)ロボットや燃料電池など重点7分野を育成し、現在200兆円強の市場を2010年に300兆円市場に育て上げる。
(b)有望事業への投資を促し、産業育成の好循環を加速させて景気の持続的な回復軌道に導く。
 この目標は素晴らしい。現在も続く長期のデフレ不況を脱する契機となればよい。しかし、あまり期待できそうもない。なぜか。方法論が核心を突いていないからだ。

首を傾げざるを得ない「骨太の方針2004」

 同戦略は「骨太の方針2004」(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004)に盛り込まれているものだ。同方針では、最近の「景気回復」が「構造改革」によるものだとする一方、「今年前半においても緩やかなデフレ状況が続いており、デフレ克服への取り組みは依然重要な政策課題」としている。つまり、景気回復はまたっくもっていまだ十分ではなく、構造改革がデフレ克服への処方箋となっているとは認めがたい。

 本稿は複雑なマクロ経済を論じるものではないが、政府の構造改革、例えば不良債権処理などが景気回復につながるとは到底思えない。むしろその処理が進むほどデフレ不況下では、不良債権が増えて当たり前だ。景気が底を打ったのだとすれば、それは構造改革によるものではなく景気循環によるものか、あるいは円安による輸出型企業(自動車や電機メーカーなど)の工夫と努力によるものであろう。特に電機の場合には、中国の現下の旺盛な消費に支えられている。外需頼みということだ。

 同方針では構造改革を「我が国が持てる資源(人材、資金、技術力等)を最大限に活かすための改革」としている。これは供給側の話だ。デフレとは需要が少なく供給過多の状況であるから、需要(特に内需)拡大が先決であるにもかかわらず、供給側の整備ばかりに終始する。これでは何をやっているのか分からない。需給のバランスが問題となるが、デフレ下では消費者需要を引き出すことがポイントとなる。

「新産業創出戦略」の問題点

 「新産業創出戦略」は同方針の目玉である。これ以外は方針にはほとんど見るべきものがない。しかし、この「戦略」も実に心許ない。例えば次のような点だ。問題点と合わせてその解決の方向性を示唆するに留めたい。

A. 産業政策と景気対策が分離され、マクロ経済の視点が不明瞭で実効性に乏しい

 産業政策と景気対策は車の両輪だ。いくら戦略的な素晴らしい産業政策を打ち出しても、デフレ不況下ではその担い手である企業は、設備投資にも研究開発投資にも消極的にならざるを得ない。戦略産業としての要件は十分裾野が広く投資効果が大きいことが望まれる。つまり、戦略の担い手には輸出型の一部大企業ばかりではなく中小企業の参画も不可欠だ。

 その日の糧にもあくせくせざるを得ないデフレ不況下において、産業政策の一環を担えなどとは到底言えたものではない。今日の糧なくして明日の糧を創り出せというのは所詮無理だ。つまり、そもそも中期的な目標である構造改革に耐えよというのが無理だというのと同義である。直近(足元)の有効な対策があって初めて2010年に向けた戦略も意味が出てくるというものだ。私たちは出口が見えない中、もう何年耐えていることだろう。

B. これでは「需要の好循環」づくりなどできるはずがない

 デフレ不況とは、需要が供給に対して不足している状況なのだから、適切な景気対策により需要をつくらねばならない。それには個人消費を引き出すことが最大のポイントとなる。同戦略ではさすがに供給面のみだけではなく需要づくりにも触れている。消費者が心底欲しいと思うものが登場すれば、その商品やサービスを購入するものだ。今はそれがないか、あるいは所得は上がらないし将来が不安なので、買いたくても買えないのだ。効果が大きいのは、国民(消費者)の所得を上げること(つまり減税する)ことの方だ。

 「景気回復策では、構造改革と量的緩和と不良債権処理と公共事業とばかりが紹介され、“減税”という案はまったく紹介されない。米国では“減税で景気回復”という見事な実例があるのに、それを評価することもないし、それを意見として提示することもない」と「需要統御理論」を唱える気鋭の経済学者南堂久史氏は指摘している。同氏のマクロ経済観は誠に慧眼である。したがって、前述の通り産業政策は景気対策とセットで行わなければ意味がない。消費者の財布の紐が緩めば、商品は売れる。潜在需要を開拓するよりも効果絶大だ。

 一方で、では仮に同戦略が示すように潜在需要を喚起できたとしよう。ここで問題になるのは、需要のコントロールである。言い換えると、供給能力の柔軟性の問題でもある。需要は消費者心理に負うところ大であるから、何かの拍子ですぐに流行になるものも少なくない。今のデジカメなどはその例だろう。気ままな消費者購買需要をどう読むかの話と、需要に対する供給体制の迅速さの話だ。大概供給は需要の変化のスピードに追いつかない。したがって、在庫の山ができる。半導体メモリーのシリコンサイクルの変動で価格が急転直下する。

 それでも昔(1980年代後半頃まで)は、国内で需給をコントロールしやすかった。何せ半導体メモリーの世界ランキング上位10社のうち日本企業が7社ほど占めていたのだから。今は韓国のサムスンやら米国のマイクロンやら台湾の南亜テクノロジーなどが上位を占めていてそうはいかない。当時の日本企業は価格面で出し抜かれたのだ。それに、半導体メモリーは久しく、CPUトップメーカーの米国インテルやそれと一緒に売りまくっているマイクロソフトのウィンドウズがデファクト標準となったパソコン型製品の一部に過ぎない状態が続いている。

 パソコンIT産業での需給コントロール戦略において蚊帳の外に置かれているのが日本なのだ。このことは、先日 「"家庭の情報化"は情報通信産業の競争力復権となるか?」として、第1回 「家庭の情報化研究会」でも述べた。

 「需要の好循環」など何を根拠に言っているのだろうか。この点、経産省の報告書はまったくの無策に等しい。この好循環をつくるには、個人消費の拡大のほか、供給側の仕組みの柔軟性がポイントとなる。報告書全体に言えることだが、最近の流行言葉や差しさわりのない言葉で埋め尽くされていて、これでは国民は納得しない。

 簡単に示すとその仕組み自体に、将来の不確実要因に対し重要な意思決定を先に延ばし、状況(消費者需要や競合他社の出方)を見てその仕組みを改定する選択肢(オプション)を包含させられるか、ということだ。つまりリアルオプション価値(ROV)をもたせておくこと。リアルオプションを環境に応じて適宜切ることのできる仕組みづくりしだいで、需給ギャップはかなり埋められる。

 これは通常、1企業のミクロの話であるが、産業全体、いや経済全体がそのような仕組みをもつことができて初めて、「需要の好循環」もつくれるというものだ。この仕組みをモジュールと呼ぶこともある。供給側の柔軟性はハードウエア的な外形的インフラに加え、ソフトウエア的な内形的インフラ(シナリオアプローチに応じた組織設計、個人の発想・機転)の整備が不可欠となる。外形的および内形的インフラの整備とは、読みにくい需要に対する柔軟性をもつことを目指すものだ。需要を予測することは難しいので、あらかじめそのシナリオを想定しておき、それに応じたカード(内外のインフラ供給能力)を切る準備をしておくこと。これが今後の「需要の好循環」の鍵を握る。

C. 「迅速な擦り合わせ機能」とか「連携」ということが強調され過ぎていてピンボケである

 無策などとんでもない、という反論が来るかも知れない。「シーズ面からの技術開発戦略に加え、ニーズ面からの技術開発戦略を策定して相互に擦り合わせていけばよい」と。そもそもこの「擦り合わせ」は、東大藤本教授などにより自動車産業などで見出された競争優位性である。同戦略の「7分野」すべてに通ずる共通的な軸でもなかろう。自動車と情報家電(デジタル家電)はその違いの程度で両極にあるような産業だ。

 自動車は、非常に複雑(約2万種類ともいわれ部品点数が膨大)かつ1商品の単価が高い(数百万円もする)システムである。またその製造方法はトヨタ生産システム(TPS)とも呼ばれ、熟練工の存在が大きい。例えば、トヨタ工場内組織では、課長、チーフリーダー、チーフエキスパート、グループリーダー、シニアエキスパート、エキスパート、一般工員などで構成されている。これを見てもその工程の複雑さと人手の関与がいかに重要かがわかる。

 一方、デジカメ(情報家電)はパソコンほどではないだろうが、部品点数は少なく(電荷結合素子CCD、液晶ディスプレーLCD、光学ズーム部、電源回路基盤などのモジュール構成)、価格も数万円程度だ。CCDやLCDなどには日本の得意技術が凝縮しており一日の長があるかも知れないが、それでもこれら技術の模倣障壁は高くなさそうだ。それに自動車と異なり、低資本でも参入できる。資本力が要る、情報家電のコアとなる半導体メモリー産業では、韓国や台湾勢が資金力と意思決定の速さにモノをいわせ、日本企業を席捲している。

 トヨタや今の日産のような自動車会社であれば、部品メーカーは多少値切られても必ず買ってくれると信頼している。つまり、擦り合わせの仕組みおよびその成功例である自動車産業は、むしろ特例に近いと思った方がよさそうだ。情報家電に加え、「戦略」対象である、燃料電池やロボット、コンテンツ産業(以上「先端的な新産業分野」)は、この擦り合わせ技術をそう活かせる分野ばかりではなさそうだ。自動車産業での成功を単純に外延化し過ぎてはいないか。

 また報告書に多出する「連携」について。連携相手同士が烏合の衆では駄目だ。つまり、お互い連携するにあたって得られる利得以上に連携コスト(取引コスト)がかかってはうまくいかない。異なった企業間での経営資源の共有関係で生み出される効果がどの程度かを定量的に把握することが必要だ。これは「連結の経済性」と呼ばれ、産業連関分析でも著名な一橋大学名誉教授の宮沢健一氏が1980年代から強調していることだ。

 この問題は結局、取引相手間のインタフェースの標準化問題に置き換えられる。設計ルールの標準化との重要性については、ハーバード・ビジネススクールの前副学長と学長であるカーリス・Y・ボールドウィン、キム・B・クラークが、その著書『デザイン・ルール』で述べている。このような実証的な理論の裏づけは大いに注目される。

 さらに「合成の誤謬」の問題もある。個々人としては合理的な行動であっても、多くの人が同じ行動をとると、好ましくない結果が生じる場合が出てくることがある。つまり、個々の企業にとってその時は利得があると思われる行動が、当該業界(産業)全体においては必ずしも得策でないことを示す。「連携」は当該企業同士に任せるべきであるから、国がしゃしゃり出る場面はない。すると各企業は自己の利益のみを追求し、かくして合成の誤謬が起こる。抜け駆けが避けられない。

 そこでイタリアのインパナトーレ(impannatore)のような役割がクローズアップされる。インパナトーレは、元々イタリアの繊維産地・プラートで発祥した職業機能として、各製造工程や産業の詳細や市場動向などを熟知した上で、商品の企画開発をコーディネートする役割だ。イタリア中小企業における元気の源泉またはブランディングの鍵となっている。関係者の間で、仮に特定企業や業界が抜け駆けした場合、関係者全体あるいはその地域全体が地盤沈下するといったこと(シグナル)が十分浸透していれば、全体最適がはかられ合成の誤謬が回避できる。この種のモデル研究をもっとするべきだろう。

D. 一連の構造改革による効率化による雇用面での手当てに相互補完性の視点がなく、ちぐはぐである

 IT化やデジタル化を進めるとどういうことが起こるか。生産力が増加しその適用分野で効率化が進むので、不要な人員がその分増大する。経産省報告書のとおり仮に「年7%弱のペースで急激に成長し、日本経済を牽引していく」ことが本当だとしたら、そこで効率化しただけ人は不要になるわけだ。

 一方報告書では、「地域再生の産業群」として、「サッポロバレー」や「東大阪のものづくり」はともかくも、「ももいちご(佐那河内村)」や「沖縄県佐敷町の薬草の街づくり」に「先端的な新産業分野」からあぶれた人を投入するつもりなのだろうか。雇用カットは徐々に進むにしても、まったく異なった分野への就業はミスマッチも甚だしく、雇用者の円滑な移転が進むとは考えにくい。

 行うべきは、「先端的な新産業分野」をハブとしてそのスポークに、またはバリューチェーン(価値連鎖)の中で位置づけられる市場の創出だ。これでないと相互補完とならず雇用面での非効率がせっかくの「成長」を台無しにしてしまう。その視点がちぐはぐしている。

 今般の経産省「新産業創出戦略」がいかに心許ない方策となっているか、読者の皆さんにその一端がうかがえただろうか。将来の戦略を指し示すことも重要ではあるが、日本の喫緊かつ最大の政治経済課題は早急な景気回復だ。これなしには、どんな立派な産業政策も効果を発揮できないどころかつぶれてしまう。税金の無駄になる。マクロ経済とセットで考えることの視点に加え、本稿での示唆が今後少しでも、本質的な課題解決のための舵取りに役立つとよいのだが

 

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