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第1回「フィンランド成功の秘訣と「民民学」の仕組み――欧州IT事情」

出典:Nikkei Net「ネット時評」連載企画 3月25日


田舎の工場で紙やゴム長靴を作っていたノキアは、10年を経てフィンランド経済のエンジンとなった。ヨルマ・オッリラ率いる、同国ICT(欧州ではITをこう呼ぶ)の巨人、ノキアの株式時価総額は同国株式市場の3分の2を、輸出額では同国の5分の1を占める。

 ノキア躍進に伴い周辺地域に500ほどのICT関連産業が出現。同国の経済競争力は世界経済フォーラムの指標で、2003年も2年連続、世界一だった。この国の発展の原動力は何なのだろう。

過酷な環境と混乱から抜け出す

フィンランドの人口は福岡県と兵庫県の間ほどの520万人。国土面積は日本から九州を差し引いた程度だ。3分の1は北極圏に属し、そこではマイナス50度を越すこともある。独立国となった1917年の前100年間はロシア(ノブゴロド)のもと自治権をもつ大公国だった。そしてその前650年間はスウェーデンの支配下にあった。

厳しい自然環境、大国にはさまれた厳しい政治環境、文化的にも欧州の外縁であった環境がそうさせるのか、フィンランドに降り立つたび、男女ともに険しく厳しい顔付きをした人たちが目に付く。今の日本には見られない光景だ。

 独立後、第2次大戦中にナチスの援助を得たために戦敗国へ。ソ連に領土を割譲し賠償金を支払い、その後ソ連が消滅するまで、ソ連から様々な影響を受けた。1945年以降、おおむね共産党や社民党の躍進が続き、1987年の政変により、右派国民連合と社民党が多数派内閣を結成、1991年に保守党と中央党が組閣し経済運営を担った。しかし、大不況に見舞われ深刻な経済危機に陥る。銀行などの大企業も建て直しに失敗し倒産。特に金融部門は壊滅的打撃を受け、政府が預金を保障し、不良債権処理機構による処理を余儀なくされた。

 今の日本と随分と似ている。IT先進国ということに加え、このあたりのことで最近、わが国でフィンランドが注目されているのだろう。厳しい歴史的・地理的環境に加え、これら政治経済的環境をばねにその後、官民の集中と選択による産業構造の転換に成功する。1994年から高い経済成長を維持している。全輸出品に占めるハイテクの割合は1999年までの10年間で20%と4倍に伸びた。ここは日本と随分違う。

 限られた資源の活用先を転化し、効率性を追求する姿勢に、そのしたたかさと「集中・選択」戦略が垣間見られる。「小国」だからできたこととして、この貴重なケースを、他人事として済ますにはいかないだろう。

躍進の鍵は2つ

 わずか10年余前の厳しい状況から、いったいどのようにして立ち直ったのか。それまでの森林産業や金属産業に加え、ICTに絞り込んだから――といってもそれだけでは不十分だろう。鍵は2つ。(1)外形的なインフラ整備と、(2)内形的なインフラ整備(組織対応能力の強化)だった、と筆者は考える。

 (1)外形的なインフラ整備とは、緊密な産学官連携による全国14の「サイエンス・パーク」や、経済的に自立した地域を目指し起業家らを支援する仕組みである、各種「産業クラスター」などのフレーム(外堀)である。

 産学官連携体制の要であるTEKES(技術庁)や、企業からの依頼研究や長期の戦略的研究を手掛けるVTT(技術研究センター)の存在が大きい。一方、研究機関同士を引き合わせたり、ビジネスプランなどを直接出資のかたちで支援するSitra(研究開発資金)がある。これらが科学技術政策と実施を担う。あるいは国内企業の国際化と輸出振興を輸出・国際投資交流促進機関(Finpro)がバックアップする。

 (2)内形的なインフラ整備は、こうしたフレームを最大限機能させるための組織活性化策だ。より重要なのはリーダーシップ型人材の育成などのフレーム(内堀)を明確に視野に入れている点である。仏作って魂を入れる、ということだ。

 その姿勢の表れは、文部省が1990年代に産学連携を「奨励から強制」へ変更したことにも見られる。内外の仕組みが競争力の源泉となり、これをてこに次の戦略コア産業として、医療・バイオ技術育成にも注力している。昨年以降、この分野のベンチャー企業が日本市場へのアクセスをうかがっている。

知財を蓄積しそれを活かす

 日本でも立派な「箱物」は作られた。地域情報化施策であった旧郵政省のテレトピア構想、旧通産省のニューメディア・コミュニティー構想などだ。ただ、今では沢山のハードが放置され、機能を麻痺している現実を見せつけられる。

 最近ではその反省もあってか「ハードだけではだめ、ソフトウエアやコンテンツも」ということで経産省などが、米国シリコンバレーなどをお手本に、民間のコンサルティング会社やシンクタンクの支援のもと、ベンチャー型人材育成のための教材開発などに余念がない。しかし、どれほどの効果・成果を出せるか疑問だ。なぜなら基本要件を欠き、問題の核心をまだ突いていないからだ。

 第1に政府への信頼性が不可欠だ。

 直近のOECDランキングによると、フィンランドは「政府のムダの少なさ」「契約と法令への信頼性」「政治腐敗認知指数」「政府の効率性」の全てで世界一。これら項目は、わが国の年金・税制問題解決にも不可欠な要素だ。

 第2にグローバルな人材育成の問題だ。

 ICT教育のほかフィンランドでは語学教育が徹底される。例えば、ヒアリング習得として、世界で実際に使われているスコティッシュ、ジャマイカ人や中国人の話す現地英語に加え、大学では第4の外国語がトレーニングされるほどだ。

 第3はリーダーシップ教育の問題。

 学生が「勉強する」ことは当然である。博士号取得が奨励されるが取得が易しい訳ではない。博士学生は主に研究プロジェクト構成員として雇用される。博士取得者は実際のビジネスに役立つプロジェクト運営まで熟知することになる。博士号取得時の審査委員は指導教授、国内の別大学の教授、国外の大学相当教授という3人で構成される。時に6時間に及ぶ質疑応答に耐えねばならないという。

 日本と随分違っているでのではないだろうか。国全体または各個人が、まるで競争に勝ち抜くために全資源とパワーを結集しているかのようだ。

日本の学ぶべきこと

 では日本は何をどう学ぶか。これらの術に注目したい。第1の政府への信頼性については時間がかかりそうだ。本稿では飛ばしたい。

 第2の人材育成問題について。外国語教育はもとより、大学教育全般、すなわち知を高めることや知への興味を喚起することにおいて、わが国は事実上失敗しており、大学教育には課題が多い。研究機関としての大学から、ここ数年連続してサイエンス部門のノーベル賞を輩出している実績はあるが、産業界では大学卒を再教育しなければ使えない実態、あるいは産業界の最前線の知や情報から大学が取り残されている実態など、多くのことが指摘されている。中央および地方官僚や法曹界においても、産業界と同様なことがいえるのではないか。

 トップクラスの人材を輩出続けることも依然重要であるが、こうした産学官の知と行動が実質うまく結びついたシステムが求められる。このシステムづくりに成功するかが国の競争力を決定づけよう。

 第2と第3の点は別の仕掛けで対処することが試みられよう。例えばこうだ。

 フィンランドの意気旺盛なベンチャー企業と、現状を何としても打破したい日本企業が日本市場をターゲットに手を組む。実際、IT、バイオ、ナノテク、介護などの分野でフィンランド企業は、日本企業とのパートナーシップを求めている。そこに大学も加わりトライアングル(民民学)をつくる。そのトライアングルの動きを両政府が後押しする。ここでポイントとなる内形的なインフラ整備、つまり組織対応能力、すなわち関係者個々人やチームレベルにおける組織能力の枠組みの強化には、民間コンサルティング会社のノウハウも活かせよう。

民民学による知的資産の可視化を

 眠れる日本へのカンフル剤としての黒船を例えばフィンランドから迎え入れ、修羅場を自らの周囲につくり、トライ&エラーを含むさまざまな体験を通じ生きた教材を作る。フィンランド政府はすでに数年前に米国UCLAにおいて同様の受け入れ体制をつくっている。わが国では最近、MBAに加えMBO熱が高まっているが、筆者は現段階の「閉じた」(教室内だけの)教育システムにどれほどの効果があるかを疑っている。

 米国や欧州諸国でビジネススクールを修了し、そのまま現地でビジネスの経験ができる機会は貴重であろう。しかし、時間も資金もそう余裕がなく、それが適わないわが国の社会人の再教育や現役学生のビジネス教育においてはどうか。このトライアングル(民民学)の中で得られた数々の経験(無形知的資産)の可視化を通じ、そこでのノウハウをMBOやMBAのカリキュラムとして形にする。知的資産の可視化については、スウェーデンのスカンディア生命がBSC(バランス・スコアカード)の実践と知的資本経営への展開をはかっており、これら取り組みも参考になろう。

 民民学の共同作業を通じた日本側とフィンランド側との間では、例えば、フィンランド企業に対して日本市場参入の手助け(同一顧客への協調ソリューション開発など)とを引き換えに、フィンランドの技術や国際展開(マーケティングなど)の経営ノウハウを学ぶ。両国企業の利害は補完関係であることが必要条件になろう。両社にとっての十分条件は、最低半年から1年間ほどのビジネスプログラムの中、その期間の中でアウトカム(成果)を出せるようになるまで粘り強くプログラムを進めることであろう。

 そこで経験した顧客開拓や技術開発などに関する業界共通的または普遍的なことを後日、大学のカリキュラムに反映させる。これを生きたケーススタディとして、学位修得のための必修科目としてもよい。

 トライアングル(民民学)をより機能させるには、そこで必要な経費のうち国からの補助金はゼロとし(または最低限とし)、比較的短期間でリターンを確保する必要に迫られる市場からのリスクマネーで経費をまかなうのがよいだろう。トライアングルの個々の主体に切迫感が生まれない限り成功はおぼつかないからだ。目標とする一定期間、一気にしかも粘り強く続ける。過酷な状況に自らを追いやり、一定の成功体験を共有するまで、課題となる幾多のことを短期間で詰め込むかたちで、個々人がビジネス面での「ボリュームの洗礼」を浴びる。ビジネスにおいてこの洗礼を一度も受けたことがないことが、国際競争力の格差を生み出しているともいえよう。

 種々の失敗を繰り返しながらも「ボリュームの洗礼」を乗り越え、初めて手にする成功体験(勝つための知)をトライアングル(民民学)間で蓄積する。そして、そこで獲得した知のさらなる高度化を図ったり、次のフィールドワークの指針としたりする。質またはリターンは必ず後から付いてくる。勝つためのシステムに加え、そのプロセスを通じ逆境に耐えられる身体的かつ知的体力(知的好奇心を持続する力)と、逆境下でも冷静でいられる判断力を手に入れられないものか。

 これこそいつの間にか「ゆで蛙」状態の日本人が忘れているものであろう。筆者の仕事上でのつきあいで目にしたフィンランドの人々や親しい友人を見ていると、このようなことを最近思うのである。

 

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