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フィンランドは何故「経済競争力No.1」になったか
-「国ぐるみの集中と選択」を超えるもの-

新保豊

出典:『選択』 2004年1月

 「彼らはノキアンと呼ばれている人達ですよ。」

 4年前、グラスゴー(スコットランド)での仕事が終わった夜半のことだった。ドイツ人コンサルタントに案内された、魚介類系レストランの薄明かりでディナーをとっていた。すると黒系のビジネススーツで身を固めた、しかし華やかな男女数人のグループが楽しそうに隣のテーブルについた。

 ドイツ人には言語体系も異なる”欧州”の外れの、三十歳代で金髪のエネルギッシュな一団は、当時すでに絶大な存在感を放っていたノキアの社員だった。

 紙やゴム長靴を作っていた田舎の工場は、10年を経てフィンランド経済のエンジンとなった。ヨルマ・オッリラ率いる、同国ICT(欧州ではITをこう呼ぶ)の巨人の株価総額は同国株式市場の3分の2、輸出額の5分の1を占める。

 ノキア躍進に伴い周辺地域に500ほどのICT関連産業が出現。同国の経済競争力は世界経済フォーラムの指標で、2003年も2年連続、世界一だった。

この国の発展の原動力は何か。

1. 過酷な環境と混乱から抜け出す

 人口は福岡県と兵庫県の間ほどの520万人。国土は日本から九州を差し引いた程度。3分の1は北極圏に属しそこではマイナス50度を越すこともある。

 独立国となった1917年の前100年間はロシア(ノブゴロド)のもと自治権をもつ大公国だった。そしてその前650年間はスウェーデンの支配にあった。

 厳しい自然環境、大国にはさまれた厳しい政治環境、文化的にも欧州の外縁であった環境がそうさせるのか、フィンランドに降り立つたび、男女ともに険しく厳しい顔付きをした人たちが目に付く。今の日本には見られない光景だ。

 独立後、第2次大戦中ナチスの援助を得たために戦敗国へ。ソ連に領土を割譲し賠償金を支払い、その後ソ連が消滅するまで、ソ連から様々な影響を受けた。

 1945年以降、概ね共産党や社民党の躍進が続き、87年の政治転回により、右派国民連合と社民党が多数派内閣を結成、91年保守党と中央党が組閣し経済運営を担った。しかし、大不況に見舞われ深刻な経済危機に陥る。銀行などの大企業も建直しに失敗し倒産。金融部門は壊滅的打撃を受け、政府が預金を保障し、不良債権処理機構により同処理を余儀なくされた。今の日本と似ている。

 厳しい歴史的・地理的環境に加え、これら政治経済的環境をばねにその後、官民の集中と選択による産業構造の転換に成功。94年から高い経済成長を維持。全輸出品のハイテク品割合は99年までの10年間で20%と4倍に伸張した。

 限られた資源の活用先転化と効率性追求の姿勢に、そのしたたかさと「集中・選択」戦略が垣間見られる。“小国“だからできたこととして、この貴重なケースを、他人事として済ますにはいかない。

2. 驚異的な躍進の鍵は2つあった

 僅か10年余前の大変厳しい状況から、一体どのようにして立ち直ったのか。それまでの森林産業や金属産業に加え、ICTに絞り込んだといってもそれだけでは不十分だろう。鍵は2つ。①外形的なインフラ整備と、②内形的なインフラ整備(組織ケイパビリティ強化)だった。

 前者は、緊密な産学官連携による全国14の“サイエンス・パーク”や、経済的に自立した地域を目指し起業家らを支援する仕組みである、各種“産業クラスター”などのフレーム(外堀)である。

 産学官連携体制の要であるTEKES(技術庁)や、企業からの依頼研究や長期の戦略的研究を手掛けるVTT(技術研究センター)の存在が大きい。一方、研究機関同士を引き合わせたり、ビジネスプランなどを直接出資のかたちで支援するSitra(研究開発資金)。これらが科学技術政策と実施を担う。あるいは国内企業の国際化と輸出振興を輸出・国際投資交流促進機関(Finpro)がバックアップする。

 後者は、こうしたフレームを最大限機能させるための組織活性化策だ。より重要なのはリーダーシップ型人材の育成などのフレーム(内堀)を明確に視野に入れている点である。仏作って魂を入れる、ということだ。その姿勢の表れは、文部省が90年代に産学連携を“奨励から強制”へ変更したことにも見られる。

 内外の仕組みが競争力の源泉となり、これを梃子に次の戦略コア産業として医療・バイオ技術育成にも注力している。

3. 知財を蓄積しそれを活かす術

 日本でも立派な“箱物”が作られた。地域情報化施策であった旧郵政省のテレトピア構想、旧通産省のニューメディア・コミュニティ構想などだ。ただ、今では沢山のハードが放置され、機能を麻痺している現実を見せつけられる。

 最近ではその反省もあってか「ハードだけでは駄目、ソフトウェアやコンテンツも」ということで経産省などが、米国シリコンバレーなどをお手本に、民間のコンサルティング会社やシンクタンクの支援のもと、ベンチャー型人材育成のための教材開発などに余念がない。

 しかし、どれほどの効果・成果を出せるか疑問だ。なぜなら基本要件を欠き、問題の核心をまだ突いていないからだ。

 第一に政府への信頼性が不可欠だ。直近OECDランキングによると、フィンランドは「政府の無駄」「契約と法令への信頼性」「政治腐敗認知指数」「政府の効率性」の全てで世界一。わが国の年金・税制問題解決にも不可欠な要素だ。

 第二にグローバルな人材育成の問題だ。ICT教育のほかフィンランドでは語学教育が徹底される。世界で実際に使われているスコティッシュ、ジャマイカ人や中国人の話す現地英語習得に加え、大学では第四外国語が学ばれるほどだ。

 第三はリーダーシップ教育の問題。大学生が“勉強する”ことは当然である。博士号取得が奨励されるが取得が易しい訳ではない。博士学生は主に研究プロジェクト構成員として雇用される。博士取得者は実際のビジネスに役立つプロジェクト運営まで熟知することになる。博士号取得時の審査委員は指導教授、国内の別大学の教授、国外の大学相当教授という3人構成。時に6時間に及ぶ質疑応答に耐えられねばならない。日本と随分違っている。国全体が各個人が、競争に勝ち抜くために全資源とパワーを結集しているかのようだ。

4. では日本は何をどう学ぶか

 これらの術に注目したい。第一の点は時間がかかる。第二に関する大学教育などでは、わが国は事実上失敗している。将来ボディーブローのように効いてくる教育問題の本質は家庭にある。文科省だけを悪者にした被害者意識からは何も生まれない。セルフヘルプの唱道者、英スマイルズがもし渋谷駅に立ったら、“ケータイを持った猿”をどう見るか。

 第二と第三の点は別の仕掛けで試みられよう。例えばこうだ。フィンランドの意気旺盛なベンチャー企業と、現状を何としても打破したい日本企業が日本市場をターゲットに手を組む。そこに大学も加わりトライアングルをつくる。両政府が後押しする。内形的なインフラ整備、つまり組織ケイパビリティの強化にはコンサルティング会社のノウハウも活かせよう。黒船を迎え入れ修羅場を自らの周囲につくり、トライ&エラーを含む体験を通じ生きた教材を作る。大学のMBOやMBAのカリキュラムに取り込み学生の必修科目とする。

 フィンランドの成功体験を梃子に一気に、しかも粘り強く続ける。過酷な状況に自らを追いやり、ボリュームの洗礼を浴びる。質は後から付いてくる。勝つためのシステムに加え、逆境に耐えられる体力とそれでも冷静でいられる判断力を手に入れる。これこそ“ゆで蛙”状態の日本人が忘れているものであろう。

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