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"IT革命第2幕"を勝ち抜くために
第51回「"新・この国のかたち"【4】情報通信インフラ会社のガバナンス(中):デジタル社会資本の蓄積」

出典:Nikkei Net 「BizPlus」 2004年7月22日

 前の第50回では「国富を増やす」ことについて考えた。今回は「情報通信インフラ会社のガバナンス(中)」として、主に「デジタル社会資本の蓄積」について概観したい。社会資本の蓄積というと読者は、公共事業的なことを思い浮かべよう。そして、公共事業はいまの時代には無用であるばかりか、悪の元凶ではないかといったイメージを。しかし、本当にそうだろうか。

(1)通信と放送の融合市場が金額ベースで拡大する政策誘導を

 第50回で述べたように、いまの放送の枠組みを取っ払い両産業のパイが大きくなるような方策を描く必要がある。通信と放送の融合を“はかる”ということを積極的に誘導することも重要ではないだろうか。両産業を市場に任せ放置しておけば自然に融合すると考えては駄目だ。また、両者の競争が公平・公正に行われているだけでもマクロ経済的には効果がない。公正取引委員会では市場競争の監視役として目を光らせることが役目ではあるが、市場競争が有効であるかどうかは、市場は縮小均衡に向かうのではまったく意味がない。わが国にも、米国のクリントン政権下でとられたような強力なリーダーシップが求められる。ただその前に、その力がわいてくるようにするためのビジョンとそれを実現する術・算段が不可欠となる。

 通信と放送の融合市場規模を、金額ベースで「1+1→2以上」となるようにする。これがポイントとなる。単なる置き換え(ゼロサム)では駄目だ。そのためには内需だけではなく、お隣の中国市場など外需(グローバル市場)も視野に入れる。オリンピックやワールドカップ級のキラーコンテンツを通信・放送の融合下の共通インフラで視聴できるようにする。

 これには、同コンテンツの2次や3次の利用(流通)を促す措置も重要だ。お金がタンス預金になっていてはマクロ経済的には価値がないのと同様、コンテンツもさまざまなチャネルで利用されて初めて一層の価値が出る。とはいってもいまの民放制作レベルのコンテンツでは、再度見てみたいと思うものは多くないので、このコンテンツ制作能力も別の大きな課題ではある。

 第48回と第49回で触れたように、NHKクラスあるいは英国BBCクラスのコンテンツ制作能力が問われる。現在の数の限られた放送局による、したがって勢い大衆に迎合せざるを得ない状況ではコンテンツを高める競争は起こらない。現下の放送向けエンタテイメント型コンテンツに限らず、わが国のさまざまな地域または海外でのさまざまな地域での気象情報や交通情報、郷土の歴史、大学教育、医療介護などのローカル性とグローバル性、それを合わせたグローカルなコンテンツの流通はほとんどない。ローカルまたはグローカルなコンテンツ、さらには映像コミュニケーションのようなコンテンツレス・コンテンツなどの潜在性は大きそうだ。

(2)消費者の財布の紐を緩めるには

 こうしたさまざまなコンテンツを発掘しチャネルに合ったものを制作する、そして流通させる。消費者の財布の紐をこれまで以上に緩める。これができれば、「1+1→2以上」となる。マクロ経済的には、総所得が増えなければ、代替的な産業からの富のシフトに留まる。例えば、各種音楽コンサートや映画シアターでの上映、さらには宝塚やオペラのような演劇・歌劇市場への支出分がブロードバンド市場へ流れるに過ぎない。

 財布の紐の締まり具合に加え、消費者が実際にコンテンツを視聴できる時間、すなわち可処分時間は1日最大24時間に過ぎないという見方がある。しかし、コンテンツを視聴する、またはコンテンツレス・コンテンツ(映像コミュニケーション)を楽しむ時間を1年間のスパンで見れば、景色は変わってくる。コンテンツには季節性があるからだ。あるいは消費者の生活スタイルには個人差があるからだ。季節性や生活スタイルに合わせた需要喚起はもっとできる。そのチャネルや仕組みがなかっただけだ。これらの需要喚起には、ローカル性やパーソナル性(個人差)が鍵を握る。その意味でも、ブロードバンド産業は、「1+1→2以上」となる可能性を秘めている。

(3)デジタル社会資本の蓄積の意味

 繰り返しになるが、特定産業の富(消費者の支出分)が他の産業へ移行するだけではマクロ経済的には意味がない、つまり景気回復やGDPの増大には寄与しない。デフレ不況が続きGDPが低下し続けるような状況では、総所得は減り消費も増えない。適度な(2―4%程度の)GDP成長率で十分なので需給ギャップが拡大しない程度に経済をコントロールし、景気を安定させる(基礎体力を一定に保持する)ことが極めて重大である。それなしには、いくらブロードバンド産業だけ調子がよくとも、やがてしわ寄せが来る。「この国のかたち」をつくるにはマクロ経済的な観点で取り込むことが重要だ。これはこの種の分析でいままで抜け落ちていた視点であった。

 日銀の所管である金利政策による量的緩和または引き締めだけでは、デフレ不況では限界だ。最近、経済に明るさが見えてきたと報じられているのも、円安下での輸出型産業である自動車や、オリンピックなどの特定イベントで期待感の高まるデジタル家電など、あくまで外需頼みの特定産業での好調なパフォーマンスに過ぎない。一過性のものは長続きしないので、やがてこれら産業も不調に転じる。日本経済全体としては、経済学者のクルーグマン氏や南堂久史氏が繰り返し言及しているような“流動性の罠(わな)”からいまだ逃れることはできていない。

 米国ではレーガン政権やクリントン政権時では、景気状況に合わせて増減税をうまく組み合わせて経済をコントロールした。残念ながらわが国にはその術も発想もないようだ。総需要が不足しているときには、減税を施すことや国民全体へ広く"ヘリコプターマネー"(クルーグマン)を投下することがポイントとなる。また、不十分な社会資本蓄積の状況下では、新たなつまりデジタル社会資本を蓄積する意味があるはずだ。

 次回では、情報通信インフラ会社のガバナンス(下)」として、主に「地方の再デザイン」について概観したい。


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