"IT革命第2幕"を勝ち抜くために
第50回「"新・この国のかたち"【4】情報通信インフラ会社のガバナンス(上):国富を増やす」
出典:Nikkei Net 「BizPlus」 2004年7月15日
第49回では、「通信と放送の垣根論争の行方(下)」として、「行方の鍵を握るのは著作権処理型の管理のあり方」「拝借(Rip)型コンテンツの流通」について概観した。通信と放送の垣根としての技術的な制約が無くなりつつあるなか、問題は特に放送業界のもつ既得権益をどう扱うかだ。通信業界はIPブロードバンドという枠組みにおいて目下、未曾有(みぞう)の競争が展開されており、金額ベースの市場が縮小するなか放送・コンテンツという新たなフロンティア領域に進入せんとしている。今回は、ブロードバンド・ユビキタス時代の新しい社会資本としてのデジタルインフラを整備することを目的とする「情報通信インフラ会社のガバナンス」について考えてみたい。最初に「国富を増やす」ことの意味について触れたい。
(1)情報通信産業の競争政策に産業政策の視点を
筆者ら(日本総合研究所の通信ハイテク戦略グループ)は総務省情報通信基盤局からの依頼を受けて、ADSLやFTTHなどブロードバンド通信の競争評価政策に資するべく、その基になるウェブアンケートなどの調査票設計とその実施およびその概括的分析などを手がけてきた。得られたデータは、依田高典氏(京大経済学部)チームにも渡り、依田チームでは特に計量的なミクロ経済分析を行った。
2004年7月1日から日本経済新聞のコラム“やさしい経済学”に「情報通信と競争政策」として、その成果が紹介されている。特にブロードバンド通信において、これまでなかなか定量的な評価を行うことができなかったなかで、この分析内容のいくつかは興味深いものだ。ただ、需要の価格弾力性などについては今回の分析以前のフェーズですでに分析済みであり、ADSL市場、CATV市場、FTTH市場では競争的であることは限定的に分かっていた。今般、依田チームにより一層それが本格的に検証されたことには意味がある。
しかしながら、そもそもミクロ経済手法により競争評価を行い、それを基に競争政策を推し進めるだけでは、大きな視点が欠落している。ブロードバンド産業の定義にもよるが、同産業をトリプルプレー型サービス(電話+インターネット接続+映像配信)とみなすことを含め、従来の電気通信の枠で考える限り系の均衡が一定部分保たれているため、競争評価を行う意味はある。ミクロ経済的な均衡市場にあっては、関係パラメーターを測定することで競争有効性のレビューは可能だ。
一方競争政策の本義は、国民への利便性の向上(安くて良いサービスを購入できる)よりも経済の活性化(国富の増大)にある。つまり産業政策との連動が不可欠だ。安価なサービス競争を行うばかりで国富が減少(金額ベースで市場が縮小)するようでは、そのような競争は悪弊をもたらす。国民所得の減少や失業などのことだ。現下のデフレ経済下にあっては、「需要統御理論」を唱える南堂久史氏が指摘するようにマクロ経済における総需要や総所得の増減を考えるなど、景気状況に合わせた適切な手を講じなくてはならない。したがって、産業政策は景気対策ともセットで考えなくてはならない。このあたりの視点がいまの競争政策や産業政策には欠けていた。
(2)ミクロ経済政策のみでは限界(マクロ経済の視点を)
現下のブロードバンド通信競争下にあって、NTTだけでも20万人規模の従業員をかかえる電気通信産業は、電気通信機器などの部品や素材などを製造している関係メーカーなどの裾野まで考えると、優に数十万人規模の雇用吸収力がある。この分野での市場のパイ(金額ベース)が広がらない限り、その中で新旧入り乱れてのパイの食い合いになる。一向に市場の富は増えない。
ブロードバンド産業の従事者の雇用が確保され、かつ所得が増えるような政策が求められる。そのためには、ミクロ経済政策のみでは限界がある。総需要や総所得を増やすことが喫緊の課題だ。デフレ不況下にあって特に後者では、法人税率を下げるのではなく国民への減税の観点も問われるべきである。そうすれば総需要が増え、つまり堅い財布の紐が緩み、金額ベースの市場は拡大する。併せて前者では、通信料がADSLサービスやIP電話などの普及で大幅に下がった分、他の関連サービスで支出が増えるような方策が求められる。デジタル家電やネット家電との接点もここで出てくる。
いまは通信料金が下がり消費者(需要側)は得をしているが、通信会社やISPなど(供給側)は損をしている(赤字持ち出しとなっている)。ブロードバンド産業の競争は、次第に体力(資本力)勝負の様相を呈してきた。先般のソフトバンクによる日本テレコムの買収はその象徴である。ソフトバンクにとっての最大の魅力は法人顧客の獲得にあったのであろう。日本テレコムの回線設備にどれほど市場価値があったかは疑わしい。一方、英国本社との間で日本市場における経営戦略上の確執があったと推定されるボーダフォンジャパンを、ソフトバンクが買収するにはキャッシュ面で難があろうが、1年前では誰も想像しなかったようなことが話題に上るようになった。
携帯電話市場との隣接的に過ぎなかったブロードバンド市場は、ソフトバンクなどの新興事業者にとっては、もはや同一市場として映っている。回線設備というよりも顧客基盤を獲得せんとする規模の経済性追求に加え、同一インフラ設備でさまざまなサービスを安価に提供せんとする範囲の経済性追求の競争が進んでいる。総務省が市場の画定そのものや画定された市場での競争レビューを行っている最中、事業者の方はどんどん先に進んでいく。
(3)今後の競争を見る視点
今後の競争を見る視点には、次がポイントになってきた。
【1】アナログ・メタル回線設備を手に入れるというよりも顧客基盤を獲得するためのM&Aによる再編の流れ
【2】規模と範囲の経済性を同時に追求する流れ、このためには海外資本市場を含めた資金調達力やコンテンツ調達力、さらにはアライアンスパートナーとで事に当たるビジネスのオープン性など
上記【1】に関するブロードバンド市場の競争の枠組みについて、向こう3年間の見通しを立てることはできるかも知れない。残されている売り買いのプレイヤーは限られてきた。Nifty、Biglobe、SonetなどのISPが持つ数100万規模の顧客争奪戦がはたまた繰り広げられるのか。
また、同【2】についてはワイアド(有線)のブロードバンド通信に加え、40年ぶりの今般の電波法改正にあって、商用ワイヤレス(無線)高速通信などへの周波数の再割り当てとそこへの新規参入の状況が関心事となる。国内携帯電話第4位のツーカーの動静、新たな周波数割り当てでTD-CDMA市場が形成されるのか。これらの要素次第では、範囲の経済性追求を通じ、ワイアドサービスにワイヤレスサービスも抱き合わせることが可能となる。
このようにブロードバンド産業では、水平軸(ネットワーク基盤や顧客基盤)を拡大する方向と、垂直軸(さまざまなサービスを上に乗せていく)を拡大する方向の両方で競争が進展されている。経営の舵取りは複雑で難しいものになってきた。旧来の経営センスでこれを乗り切るのは至難の業だ。しかし、この流れは不可避なようにも思える。今般の「諸外国の経験が役に立たないまれな例」(やさしい経済学「情報通信と競争政策」)となっているのを補足すればこのようなことだ。
(4)国富を増やすことが重要
繰り返すと、わが国のブロードバンド産業は、ソフトバンクBBらの新興事業者の投じた低価格競争により、金額ベースの需要増加は契約者数の伸びほどはない。これが問題だ。固定電話市場で見られるように、このままブロードバンド市場は金額ベースで縮小均衡に向かうのであろうか。競争政策だけで、あるいは市場の自由競争に委ねるだけでは、国富を増やすことはできない。特定産業のみのてこ入れだけではなく、一国の経済効果に意味ある政策が不可欠となる。景気(国の体力)が弱っているときには、特定産業の競争促進(筋肉の増強)を行うことと併せて、総需要や総所得を増やす、つまり需要を喚起する方策が採られなくてはならない。
デジタル家電は最近良く売れているようだ。2004年8月13日から始まるアテネ・オリンピック見たさが大きいのだろうが、一方で地上デジタルTV放送が開始され2011年にアナログ放送を停止させるという政府の宣言も、徐々に国民の間に浸透してきているのかも知れない。つまり、適度に消費者の需要にこたえる製品が登場し、かつその製品しかやがて使えなくなる(テレビが視聴できなくなる)ということが明瞭になれば、国民は消費に向かうのだ。
このアナロジーが、ブロードバンド産業にも欲しい。例えば、メタル回線は20xx年に廃止され、デジタル・ブロードバンド通信回線(主役はFTTHと無線LANか)が国主導でもそのときまでに十分整備されますと。地上デジタルTV放送と光ファイバー整備については別の回で述べたい。こうなれば、筆者もいまのADSLサービスからFTTHや無線LANを本格的に利用する気になるだろう。アテネ・オリンピック見たさに液晶テレビを購入する消費者と同様に、ではブロードバンド通信環境が整ったら何が見られるのか、何を楽しめるのか、ということが話題となる。したがって、第48回と第49回に述べたように、通信と放送の融合をはかるために、いまの放送の枠組みを取っ払い両産業のパイが大きくなるような方策を描く必要がある。
次回では、「情報通信インフラ会社のガバナンス(中)」として、主に「デジタル社会資本の蓄積」について概観したい。