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日本の新しい企業像

出典:PHASE 2004年No.132

時代を創るビジネスの種

日本でも構造改革という言葉がすっかり定着した。構造改革というと非効率な公共セクターを改革すること、と捉えられがちだが、民間セクターでも改革は進んでいる。規制緩和、有力企業同士の合併、リストラ、等、スタイルは様々だ。官にしても民にしても改革の目的は、片や「選択と集中」の戦略で既存事業の効率性を増し、片や新たな成長の芽を創ることである。事業の観点から現在を語る上でもう1つの重要な点は、21世紀初頭が新たな成長の時代となる可能性が高い、ということだ。ITバブルは終焉したが、ITビジネスは隆盛であることに変わりない。その他にも、燃料電池、ナノテクノロジー、バイオ、ICタグ等、革新的と言われる技術が次々と実用化の段階に入っている。21世紀初頭は革新技術の時代として後世語られることになるだろう。これらが相俟って、日本は新たな競争と飛躍の時代に入る。社会はこれまでのしがらみから解かれ、ますます進化のスピードを上げる。その中では、たとえ今日覇を誇る企業であっても、新しい事業への貪欲さを失ったのならば将来の成長は望めない。
では、どうやったら新しい事業を立ち上げることができるのだろうか。どこの企業でも確信できるモデルがある訳ではない。新事業部を作って新しいビジネスの芽を探せばいいのだろうか。新しい事業を立ち上げるのだから、そのための組織はないに越したことはない。しかし、組織を作って事業が立ち上がるのなら、よほどの判断ミスがない限りどこの企業でも新しい事業は立ち上がる。社内ベンチャー制度を作ればいいのだろうか。確かに、ベンチャービジネスは新しい事業のドライビングフォースとして重要だが、社内ベンチャー制度の成果を見ても大企業が将来食っていけるビジネスを立ち上げた例は多くない。
ここ10年くらい、ベンチャービジネスを含めた新しい事業の立ち上げやマーケット開発を行なってきた。その結果理解しているのは、「ビジネス開発で最も重要なのは人材開発である」、ということだ。優れた人材を育てることなくして新しい事業はない。可能性のあるシーズを見極め、ビジネスモデルを練り上げ、マーケットを開拓するには組織の合議よりも個人の完成や想いの方が重要だからだ。筆者は、新しい事業を考えるに当たって、企画会議なる合議式の検討を薦めていない。多くの人が関わって議論すればするほど、当り障りのない、どこにでもありそうな企画になるのは自明のことだからだ。市場にアントレプレナーとベンチャーキャピタルがあるように、新しい事業の立ち上げには事業の主体者と投資家といった役割の明確なプレーヤーが必要だ。通常の会社組織の中で実現するのは、社内起業家を育てるのと並行して、明確な投資判断をできる機能と法務、財務などのバックアップ機能を作ればいい。これが実現できれば新しい時代に向けて強い組織が作れる。ところで、社内起業家といってもベンチャービジネスを作れと言っている訳ではない。ベンチャービジネスを作るかどうかは器の議論である。企業にとって重要なのは、ベンチャー精神を持ったプロジェクトであって別法人としてのベンチャービジネスではない。逆に優れたプロジェクトシーズさえあればベンチャービジネスを作ることは難しい話ではない。事業シーズに目をギラギラさせ、プロジェクトの立ち上げを提案し、リーダーを希望し、アグレッシブに事業を開発し、困難にも立ち向かえる人材。今企業が求めなくてはならないのはそうした人材だ。だからといって、経営者は間違っても、全社員に対してベンチャープロジェクトの中心人材になることを求めてはいけない。組織には2:6:2の黄金率があるというから、マジョリテイに向けた言葉は可能性のある人材に対しては希薄に響いてしまう危険性がある。感度の高い人材に対してビジョンを発し、社内にいる前向きな異端を発掘したい。
昨今、先進的な大学では異分子との交流が進められている。産学交流や社会で経験を積んだビジネンスマン等による講義などである。筆者は、後者のような企画に出席したことが何度かあるが、どこでも学生達の目線は非常に真剣である。異分子である我々ビジネスマンに向けられている学生達の熱いまなざし。本来、企業の新事業開発で最も求められているのはこれなのかもしれない。新しいものを志すことに経験も年齢も関係ない。たとえば、40になって、学生の熱い視線を斜に構えて見るのなら、その人の心が錆び付いているに他ならない。企業が求めるのは、年齢を経ても錆び付かない輝きのあるハートであり、シニシズムこそ新しい事業の芽を摘み取る退化の兆しである。その上で、企業自身も異分子との交流を積極的に進めることによって、自らも変わろうとする姿勢を見せるべきだ。
最後に、ある美術館で見た言葉を紹介して本稿を締めくくることとする。「ようやく子供のような絵が描けるようになった」巨匠ピカソの晩年の言葉とのことである。

 

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