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新たな発展「地方の時代」に道筋をつける
「構造改革第二期」の取組みへの視点 <第4回>

出典:旬刊 国税解説 速報VOL/44 第1621号

公正な市場づくりに向けて


1 自由と責任

前回まで、「構造改革とは公共団体における選択と集中であって、その受け皿となる付加価値の高い民間マーケットの存在が不可欠である」ことを述べてきた。信頼感のある民間企業を選定し、創意工夫と自己責任を委ねることにより、効率性と質の絶妙なバランスを維持する、という極めて動的な世界を我々は志向している。こうしたマーケット指向の構造改革に対しては、これまで公共セクターが負ってきた仕様指向を盾に反論する向きがあるが、マーケット指向の構造改革は決して公共セクター
不要論を意味してはいない。市場メカニズムだけで満たし切れない社会のニーズを満たすための公共セクターの存在意義は、その大きさはともかくとして今後もなくなることはない。その上で、本来求められているのは、公共セクター不要論ではなく、公共セクターの役割シフトである。構造改革の受け皿としての民間マーケットが育った後も、公共セクターにはマーケットに対する重要な役割が存在する。マーケット論は決して安易な丸投げ論であってはならないのだ。そして、マーケットに対して公共セクターが負うべき重要な役割の一つが、公正なマーケットの維持である。

 PFI法成立後の状況

1999年にPFI法が成立してからの日本の流れ、あるいは先行する海外の流れを見て共通して言えるのは、性能発注はひとたび開始されると民間への委託内容が広範かつ高付加価値化する、ということだ。例えば、単独施設の建設維持管理が中心だった委託内容がその施設を使った事業運営を委託するようになる、あるいは、一つの廃棄物処理施設を建設運営していたものが複数の施設管理やリサイクルを含めた廃棄物マネジメントを委託するようなる、といった具合だ。際限なく民間への委託内容が拡大することはないだろうが、民間事業者の委託内容付加価値が高まる、といった流れはしばらくの間続くに違いない。一方、付加価値を高めることはマーケット管理という側面で新たな要請を生み出す。前回までも述べたように、委託する内容が高度になる分だけ、民間事業者に求める素養は高度にならざるを得ない。そして、民間事業者に求める素養が高度になることは、結果としてマーケットの淘汰につながる。構造改革の受け皿を民間マーケットに求めていけば、委託内容が高度になる、高度な要求に応えられる事業者は限られる、結果として市場淘汰が進む、という流れは避けられないのだ。現在、PFIやアウトソーシングの分野で最も高度な委託を行っていると考えられる公立病院のPFI事業については、既に応募する民間事業者グループが5社以内に絞りこまれつつある。ここで、多くの事業者が生き残れるような幻想を持たせる指摘は無責任の謗りを免れない。多くの民間事業者に対して示すべきなのは、付加価値の高い特定の分野における共存という幻想ではなく、他分野へ展開する機会である。一方、高度な委託内容が必要になる市場で民間事業者の数が減れば、競争環境は弱まらざるを得なくなることも事実である。公正なマーケットをいかに構成するかは、それを前提に考えなくてはならない。

2 監視とペナルティ

限られた数の企業だけが参加するマーケットで求められるのは、そこで事業を営む企業のモラルと責任感である。限られた企業による競争の結果は誰もが納得する合理的でフェアなものでなくてはならない。そこで必要になるのが、これまで以上に厳しい監視とペナルティの仕組みだと考える。日本では談合等が発覚すると指名停止等の措置がとられるが、指名停止や課徴金で倒産した企業はいない、と言われる。そして、何時まで経っても談合がなくならない、という状況は、ペナルティを含めた監視、公正のシステムが十分に機能していないことを示している。談合だけではない。日本の公共マーケットでは海外企業が活躍する場面があまりにも少ないが、一部の海外企業からは、日本で事業をやろうとしても思うように業務の調達ができない、という声がある。世界トップクラスの経済大国である日本において海外企業に対する排他的慣行が残っているとしたら、あまりにも寂しいことだ。構造改革については10年遅れのランナーである日本のマーケットでは、先進的な経験を積んだ海外企業を積極的に受け入れる謙虚さが必要だ。構造改革の受け皿となる付加価値の高い民間マーケットを育成するためには、マーケットの育成と並行したマーケットの強化が不可欠である。そして、ここまで述べたように、公共セクターからの付加価値の高い委託内容の要請が市場を淘汰し、生き残った企業が高い信頼性を求められるのであれば、期待に応えられなかった企業が厳しい措置を受けなくてはならないのは当然である。その意味で、昨今指向されている公正取引委員会の機能強化や違反業者に対するペナルティ強化の方針は極めて的を射たものである。しかしながら、経済界からはいまだにペナルティ強化に対する反論が出る等、日本の公共マーケットのモラルはとても改善されたと言えるレベルにはない。こうした姿勢は、国民の納得を得られないばかりか、付加価値の高いマーケットの形成を脅かすものである。付加価値のあるサービスは、委託者と受託者の間の信頼関係の下に成り立つからである。

3 説明性の向上

次に指摘できるのは、説明性に関する意識の改革である。これまで日本の公共事業の事業者選定においては、最も安い価格を入れた企業が落札者であることをもって当該の選定が公正であることを説明してきた。入札価格が事業者選定の重要な要素であることは今後も変わらないだろうが、付加価値の高いサービスを調達するのに、価格は必ずしも十分な条件と言えない。個々の公共団体の置かれた状況が異なるのであれば、民間事業者に求める要件が団体の価値観に依存する部分があるのは当然である。価値観に裏付けられた事業者の選定は責任ある団体経営の結果でもある。
しかしながら、長らく価格入札という形式的な手続きに慣れてきた公共団体で、自らの価値観を主張して事業者を選定しようとする人は残念ながら多くない。定性的な説明を避け、定量化に走ろうとする傾向が強いのが現実だ。公共団体ができる限り客観性のある事業者選定を目指すことは是としても、付加価値を100%定量化することは所詮不可能である、という意識を持つことが必要だ。公共団体は客観性だけに固執するのではなく、たとえ定性的であっても、自らの価値観を毅然と説明する姿勢を重視すべきだ。厳格なペナルティに対して毅然とした姿勢を示すことができない民間事業者が公共側の信頼を得られないように、自らが求める民間事業者の付加価値を説明することを避けようとする公共セクターも、民間事業者の信頼を得ることはできないのである。

 「総合評価方式」からの脱却

その結果として、公共団体は事業者選定の結果等に対して議論を恐れてはいけない。自らの主張に基づいて民間事業者を選定する場合、その手法や結果に対して異論が出るのは当然である。そこでは、総合評価方式にあるような定量化手法を安易に用いるのではなく、公共団体として選定に至った経緯を住民等に真正面から説明し議論に応じる、という姿勢が不可欠である。言い方を代えれば、民間マーケットに付加価値を求める以上、説明力の向上がどうしても必要になる。これまで、公共団体は客観性という理由から、価値観の提示や住民等との議論を避けてきた。
高度成長に向けて国土整備が公共団体の重要な役割になっていた時代はこれでもよかった。開発あるいは経済的発展ということが概ねの総意であったからだ。しかしながら、公共団体がその置かれた立場に応じた独自で最適な方向性を目指すことが迫られている中、これまでの最大公約数的な政策運営が各々の現場で非効率性を呈していることは否定しがたい。であるなら、公共団体については、個別の事情に応じた主体的な判断とそれに対する説明性が避けられなくなっている。90年代、ステークホルダーに対して堂々と自らの考えを説明してきた民間企業経営者の姿が今、公共団体にも求められている、と言ってもいい。例えば、環境分野では、全国的な範囲で環境事業に関する住民活動を支援する動きがある。筆者の経験では、こうした動きと真摯に向き合うことは公共側にとっても今後の事業展開において学ぶべきところがある。昨今、行政と向き合う人達の指摘は合理的、建設的であることが多い。仮にスタート時点で若干感情的な側面があったとしても、話し合いは結果として建設的な答えを生んでいくことにつながる。住民の味方は長い目で見て地域の味方になっていくものなのである。公共投資が半減した昨今、公共団体には説明、議論、あるいはそのコーディネーションといった役割が求められている。

4 ジャッジメント機能

公正なマーケットの育成という意味で三つ目に重要なのは、専門的で厳格なジャッジメント機能の整備である。New Public Managementが進む先進国では、弁護士、コンサルタントといった第三者的な立場から専門的なアドバイスを行うサービスが発達している、という。この点について日本は相当に遅れた状況にある。弁護士はアメリカの20数分の1しかいない。ロースクールなどによる育成策が検討されているが、効果が出るには時間を要する。コンサルタントもいるが、これまで、公共分野でのコンサルタントはハード面での資料作りと調査資料の作成を主たる業務にし、海外の公共事業などで見られるプロジェクトマネジメントのようなジャッジメント機能をも併せ持ったサービスは発展してこなかった。最近ではPFIアドバイザーのようなサービスも出てきているが、専門性等においてまだまだ十分なレベルにはない。モラルの面でも見直すべきところがある。最近も、重大な談合の案件にコンサルタントが関係していた事例があった。また一部では、コンサルタントが事業者の選定に恣意的に関与することが珍しくない業界もある。そこにはジャッジメントとしての公正さに対する自覚はない。アメリカは、不正な監査を行ったことを理由に世界有数の監査機関であったアンダーセンに引導を渡した。マーケットのルールを犯す者に対しては容赦ない鉄槌を下したのである。まさに市場論者の名主としてのアメリカの真骨頂ともいえる。民間のサービスに付加価値とより自由な提案を可能とするマーケットは、厳しいルールがなければ存在し得ない、という理解が必要だ。そのためには、本稿の前段で述べた受託事業者への厳しい姿勢も必要だが、それにも増して求められるのがモラルの高いジャッジメントのマーケットである。

 ジャッジメント・マーケットのルール

弁護士、会計士、コンサルタントは、委託者の経営の根幹に関わる重要な情報を手にし、重要な判断の場に接する。こうした立場は守秘義務を始めとする責務とそれをベースとしたモラルを前提としている。したがって、マーケットの公正さを保つという意味で、ルールの厳格さは、プレーヤーであるアウトソーシング等の受託者よりも強く求めるべきである。例えば、重大な談合等に関与した場合、ジャッジメントには、指名停止などのプレーヤーに求める措置を超えた厳しい判断があってもいい。不正を行うようなジャッジメントは存在理由がないからだ。同じことは審査委員会などに関与する有識者に対しても言える。日本でアンダーセンのような行為がなされた場合、アメリカと同じような厳しい措置がなされると思っている人は多くあるまい。それは、国情というより、マーケットを守る姿勢に対するアメリカと日本の姿勢の差に起因している。マーケットを守るためのルールに関する厳格さが徹底できないならば、与えられた自由、という指摘を我々は何時までも払拭できない。一方、ジャッジメントに対して厳しい姿勢で臨むには公共側の考え方も改めなくてはならない。委託の方式一つとっても、どのジャッジメント機関を選ぶかが、公共事業等の事業者、つまりプレ-ヤーを選ぶのと何ら変わらない、という姿勢は是正しなくてはならない。フィーの面でも専門的なアドバイスに報いるレベルにはなっていない。例えば、価格入札でコンサルタントを選ぶということ自体が国際常識と離れている面がある。日本では、重要な事業に対してマネジメントコストを払う、という概念がまだまだ希薄だが、設計、建設、施工管理等ハードウェアにまつわる業務に対してのみコストを負担する、といったハード指向が、結局は事業全体として高くついた、という事実を認識すべきである。事業を適切にマネジメントするには専門的なアドバイスができる第三者機関が必要であり、それに対しては初期投資の3%程度のマネジメントコストがかかる、というのが国際常識である。それをないがしろにした構造改革の行き着くところは、これまでと違った形でのハードウェア依存でしかない。ジャッジメント機能を尊重するということは、サービスやソフトウェアなどに関する価値を認める、というパラダイムの転換無しにはありえないのである。(次回へ続く)

 

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