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"IT革命第2幕"を勝ち抜くために
第34回「シナリオアプローチで見る将来通信市場の行方(上)――決定因子を抽出する」

新保豊

出典:Nikkei Net 「BizPlus」 2003年10月9日

(1)産業構造の転換期には不確実性の要素が高まる

 日本経済新聞紙上で、2003年9月29日から「電子復興:第1部-脱"総合電機"」なる興味深い特集が5回にわたり行われた。その中で、総合電機の解体・統合が進み、「日の丸通信連合」が近く実現する可能性について論じている。この壮大な構想の実現に向け、昨年12月、経済産業省商務情報政策局長が、実際、日立、富士通、NECのトップ3人と個別に会ったという。

 エレクトロニクスや通信産業においても、大きな転換期を迎え何が起きてもおかしくない時代となった。不確実性の高いビジネス環境に今、日本企業は置かれている。第32回と第33回で触れたIIJやCWCなどのケースを「すでに起こった将来」として念頭に置き、今回はシナリオアプローチによって、よりダイナミックな展開を見せるであろう将来通信市場(IT市場)の行方を概観してみたい。

 そもそもシナリオアプローチ手法は、第2次世界大戦後、米軍のシナリオ研究に寄与した未来学者ハーマン・カーンが1960年代に、企業の経営戦略手法として応用し始めたとされる。この手法は、SRI(スタンフォード研究所)のピーター・シュワルツが、当時石油メジャーの下位企業に過ぎなかった、英蘭合弁のロイヤル・ダッチ・シェル社からの委託を受け(後にスカウトされ)たことを契機に、本格的に経営戦略へ活用されるようになった。

 ピーター・シュワルツは1970年代に起きた2度の石油危機後の石油価格暴落を的中させ、同社をセブンシスターズ(石油メジャー)の上位企業へと押し上げる立役者となった。これでシナリオ分析は、一躍脚光を浴びることになった。

 シナリオアプローチの基本は、『シナリオ・プラニング』(1998年)の著者である、英国グラスゴーのストラスクライド大学キース・ヴァン・デル・ハイデン教授またはその訳者でもある西村行功氏によると、MECE(ミーシー:Mutually Exclusive Correctively Exhaustive)に従って、まずは重複すること無く全体集合として漏れ無く、市場支配因子を抽出することから始まる。以下、この両氏の考え方などを参考にした。

(2)シナリオ策定の前の市場支配因子を抽出する


 次の図表をご覧頂きたい。これは今回、通信分野のうちB2C市場に絞り、「セプテンバー」(SEPTEmber)、すなわち、Society(社会・文化)、Economy(経済・市場)、Politics(政治・規制)、Technology(科学技術)、Ecology(地球環境)のマクロ環境因子を横軸に、そしてマイケル・ポーターの「5フォース」を縦軸にしたマトリクスにおいて、市場支配因子(ドミナンツ)を抽出したものである。

(注1)    シナリオアプローチにおいて、市場支配因子を抽出する際、もう一方の軸に通常必ずしも「5フォース」を持ってくるわけではない。

【図表】 「セプテンバー・5フォース」マトリクスにおける市場支配因子(B2C市場)


(注)「①~⑤」:マイケル・ポーターの5フォースの考え。「◎→○→△」:この順に不確実性が高い。「下線部」:シナリオへのインパクトが大きそうなもの。「RENA」:NTTの次世代IP通信網。「EMS」:Electronics Manufacturing Serviceの略。電子機器製造における調達、製造、設計に加え物流管理等までを総合的に請け負う電子機器の受託製造サービス。
(出所)日本総合研究所 ICT経営戦略クラスター作成


 本来であれば、シナリオアプローチでのこれら市場支配因子については、複数人の関係者・専門家により多面的に抽出すべきものであるが、ここでは筆者の日頃のコンサルティング現場での経験や知見により、大まかなものを列挙した。

 そもそも現下の不確実性の高いビジネス環境を乗り切る、このシナリオアプローチとはどのようなものか。

(3)不確実性を乗り切るシナリオアプローチとは

 前述のキース・ヴァン・デル・ハイデン教授らによると、「予測」が社会・産業の方向性(トレンド)に着目するのに対し、「シナリオ」ではトレンドと不確実性の両方に着目した上で描ける、起こりうる将来ビジネス環境についての複数ストーリーのことである。

 人口動態などの持続的変化が統計的に見込めるような例を除き、不確実性の高い事象(未来)を予測しても大概当たらない。筆算にもいろいろ苦い経験が少なくない。もちろん、予測する場合の多くはクライアントなどから請われて行うものであるから、その時は仕方なしに「この予測手法には、幾つかの前提が必要であり、その前提が狂えば自ずと結果も変わってきますよ」といったことを付け加えるのを忘れないのだが…

 「前提」とは、予兆(EWS:Early Warning Sign)に基づく市場支配因子的なものである。こうした予測のもと戦略を策定することがセットで行われることが多い。ここで「戦略」とは、自社スタッフらがトップマネジメントのビジョンを踏まえ、外部環境分析(例:3C分析)と自社の内部資源分析(例:強み・弱み分析)によるSWOT分析など行った上で、目標達成のための計画や手段の方向性を決定していくことである。その後の実行手順はライン部門に任せ、スタッフは計画の実行状況をチェックするに留まる場合が多い。

(注2)「3C分析」:顧客(Customer)、競合企業(Competitor)、自社(Company)についての、主に外部環境を分析する手法。
(注3)「SWOT分析」:企業の強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)の全体的な評価手法。


 「戦略」とは、自社のこうしたいという願望であり、これが強過ぎ固執し続けると、前提から乖離した環境変化に応じられないことが少なくない。経営戦略のポイントは、これまでのような機械的・硬直的な戦略策定とそのモニタリングではなく、将来結果的に対処せざるを得ない事態へのリアルオプションを持てる柔軟な戦略策定にある。

(注4)「リアルオプション」:不確実性の高い事業環境下の投資において経営が持つ選択権(オプション)のことであり、金融工学におけるオプション理論を実物資産やプロジェクトの評価に適応したアプローチとなっている。

(3)シナリオアプローチにおける決定因子とは

 では、不確実な事業環境のもと柔軟な戦略とそのアクションを行うために、準備しておくべきシナリオを考えてみよう。

 不確実性の比較的小さい場合の「共通トレンド因子」と、それが大きい場合、すなわちシナリオの時間軸上の要所においてそのシナリオの経路に影響を与えうる「分岐因子」に分け、「不確実性・インパクト」マトリクスにおける決定因子のマッピングを次の図表で行ってみた。

【図表】 「不確実性・インパクト」マトリクスにおける決定因子のマッピング


(注)「S」:消費者、「E」:経済・市場、「P」:政策・規制、「T」:技術に関するシナリオ決定因子。「RENA」:NTTの次世代IP通信網。「EMS」:Electronics Manufacturing Serviceの略。電子機器製造における調達、製造、設計に加え物流管理等までを総合的に請け負う電子機器の受託製造サービス。
(出所)日本総合研究所 ICT経営戦略クラスター作成

 これら因子を、前述の市場支配因子を抽出する際に分類した方法に従って、特にシナリオへのインパクトの大きそうなものを列挙したので、その若干の補足を行いたい。

 まず「共通トレンド因子」、すなわちほぼ確実に起こる因子について

【E】(経済・市場動向): まず、「低成長経済」は今後もしばらく持続すると思われる。
こうした経済環境下では、「範囲の経済性志向」により低価格な複合サービスを消費者へもたらす傾向は必至であろう。
一方、「海外(中国など)からの低コスト生産地の部品供給は増加」し、「EMSは日本市場にあっても進展」するだろう。
さらに、企業は競争力強化のため目下「バリューチェーンの外延化」、すなわち米ウォルマートが中心となって進めているSCMの発展形でもある、新しい製販協力の方法CPFR(Collaborative Planning, Forecasting and Replenishment)において、通信インフラの持つ意味合いが高まっている。
あるいは、映像アーカイブなどを用いた暗黙知の形式知化を実現する「ナレッジマネジメント高度化」の動向も無視できない。
買手(消費者)の「低価格志向」はさらに進み、「デジタル家電も普及」し、通信分野との接触面積が大きく増大してくる。

(注5)「範囲の経済性」:複数のサービスや事業を同時に、多角化した企業の内部で行う場合のコストの方が、それら事業を別々の企業が担当した場合にかかるコストの総和よりも低くなる現象などのことで、補完性が問題となる。


【P】(政策・規制動向): 2003年7月に発表された「構造改革(e-JapanⅡ)の進展」はわが国では大きな支柱になっている。
また今や携帯電話サービスの契約数が頭打ちになるなか、次世代携帯電話である3G(第3世代)や4G(第4世代)の行方や、一方、大きな関心を呼び起こしている無線LANなどの動向を決定付ける、「電波規制の緩和」にも目が離せない。


【T】(技術動向): これまでの回線交換技術から「IP技術が進展」し続けるのは時代の趨勢になった。また、「モバイル技術は今後も目覚しい進展」を遂げるだろう。
そして、現在は単なるICカードに過ぎないSuicaや Edyあるいは住民記録システムなどにおいて、モバイル環境での「ICチップ採用」が相次ぎ、携帯端末やPDAなどにこれらが幅広く組み込まれていくだろう。
テレビ電話の域を超え、企業のコア・コンピテンス(中核能力)をさらに引き出すためのコラボレーションにも、「ビデオコミュニケーション技術が大きくかかわっていく」だろう。


 次に「分岐因子」、すなわち不確実性が高く現下の予兆をどう読むかによって、将来準備すべき戦略が大きく異なる因子について。

【S】(主に消費者の動向): 気ままで移ろいやすい「消費者ニーズの多様化」はいつの時代も供給者泣かせである。
また、これまで通信サービスに支払ってきた「消費者の財布の状態」(紐の締め具合)、言い換えれば、経済成長により個人の可処分所得が増加するなか、限られた可処分時間内での当該通信サービスにおける紐の締め具合見込みは想像しにくい。それは価格なのか、それともそれ以上のものか、何が財布をこじ開ける のか。


【E】(経済・市場動向): 固定電話の収入減少が続き、情報をエンド・トゥ・エンドで橋渡しする「キャリアの再定義」が求められるなど通信市場再編の動向に関係者は大きな関心を寄せている。
また、ネットワークの経済性の一面を表している「連結の経済性」志向が、パートナーとのアライアンスを前提にした、棲み分け的な複数組織による連携が今 後は鍵を握ろう。1980年代に米IBMがパソコン市場への新規参入を果たす際に、時間制約と内部資源制約のなか、同社が採った行動でもある。この経済性 は不確実性下において効力を発揮するリアルオプションの源泉ともなるものである。
また、2000年春にはじけたIT・通信バブルの再来は5年以内にはあり得ないだろうが、それ以降においては不確実であり「バブル経済化の動向」を無視できない。
一方、「コンテンツ系企業の著作権管理動向」は依然予断を許さない。既得権益をもった放送業界が、過去の資産の著作権を手放すことは、経済的合理性がな い限りあり得ない。しかし新規のコンテンツや、コンサマトリー(consummatory)な、すなわち人の行為そのものが完結した意味をもつコンテンツ レス・コンテンツについてはその限りではないだろう。こうした類のコンテンツについての扱い如何によっては、新たな収益源を見込むことも可能かも知れな い。


(注6) 「連結の経済性」:異なった企業間での経営資源の共有関係で生み出される効果。アライアンス企業間でのバリューチェーンの一部共有化による費用の節約に加え、新規事業の創造などにもつながる経済性概念。

【P】(政策・規制動向): 本稿の冒頭で触れた「通信機器大手の事業統合の行方」は興味深い。対象となる各社が短期的には利益を出せる体質に変革できたとしても、無効10年間を戦って勝つだけの準備はどうか。
一方、1993年にダークファイバーのホールセール専業会社として設立されたスウェーデンのストーカブ公社のごとく、わが国においても将来の社会・産業インフラとなる、「光ファイバーインフラ網の公的整備」をPFI(Private Finance Initiative)やPPP(Public Private Partnership)方式などを用いて、短期に一気に実現してしまうことの意味は、IT市場をよりダイナミックな競争環境に仕立てる、ひいてはわが国の競争力強化ために有効な方策であろう。車の走らない道路や橋を造ることとは比べようもない。第30回では0種のみに限定したが、アクセス網を含む FTTH(Fiber To The Home)を加えるものであれば、将来シナリオに与えるインパクトは計り知れない。
そして、この動きは自ずと「NTT再再編」問題に発展することになろう。
また、光ファイバーIP網の上にすべてのものが乗ることになれば、現下のKDDIやソフトバンクBBが取組む「IP放送」の普及動向に加え、「通信と放送の融合」動向とも大きくかかわってくる。


【T】(技術動向): クリステンセン教授が『イノベーションのジレンマ』で論じた「低価格ローエンド技術動向」はゆっくりと現下のハイエンド技術の領域に忍び寄り込む。いつその主役交代が起こるか常に予測できるばかりのものではない。
2002年11月に発表された次世代IP網である「NTTのRENA網」の活用動向は、関係者には目下最大級の関心事であるろう。なぜなら、NTTグループにとって経営の大きなリアルオプションを保有することのできる可能性を秘めているからだ。
一方、RENAの開発着手前から「ソフトバンクBB等自前通信網」は世界最大のオールフルIP網として、さまざまなサービス(ADSL+IP電話+IP 放送など)をそのネットワーク上で展開できるオプションを手に入れている。2003年8月に会員数300万人を突破し破竹の勢いにある同社をNTT東西が 同年4月、ADSLの単月純増数では追い抜くなど、総力戦の様相を呈してきた。しかしながら、3社とも確固たる収益基盤の確立にはまだ及ばない状況にあ り、ネットワークの活用動向(いかにカードを切るか)が競争の行方を支配するだろう。
では電力系通信キャリアはどうか。NTTのネットワーク規模に対抗し、価格面での有利な戦いをするためには「全国電力網」の統合とその活用動向が鍵を握 ろう。パワードコムでは、同一ネットワーク上でさまざまなサービスを展開(範囲の経済性を追求)すべく、これまでグループ各社のポートフォリオを組んでい るようだが、まだ明確な将来を描けているようには見えない。
また、これらキャリアに加え、携帯電話キャリアにおいても、「モバイルIP携帯電話」の動向は予断を許さない。現在、三菱電機などが提供しているモバイ ルIP携帯電話端末はどこまで普及するのか。普及次第では手ごろな価格帯となることで普及に拍車がかかるだろう。もしも無線LANなどのネットワークが都 心部など一定規模をもつようになれば、現在の携帯電話サービスへの影響も少なからず出てくる。固定電話キャリアに起こったことが、携帯電話キャリアにおい ても「既に起こった未来」となる可能性も否定できない。


 以上、通信市場ないしIT市場の将来シナリオを左右する決定因子を抽出してみた。多くの因子が予兆として観測できるなか、シナリオを描くための本質的な軸は何か。

 次の第35回は「シナリオアプローチで見る将来通信市場の行方(下)」とし、その軸を仮定しシナリオに沿った具体的な将来図を鳥瞰してみたい。


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