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"IT革命第2幕"を勝ち抜くために
第22回「フィンランドのIT戦略に学ぶ(上)――なぜ今フィンランドか」

出典:Nikkei Net 「BizPlus」 2003年3月20日

(1) なぜ今、フィンランドか:国際ランキングの優等生に学ぶ

 先月(2003年2月)初旬に、TEKES(テケス)というフィンランドの政府機関(同国通産省配下の技術庁)が来日した。その目的は、科学技術のイノベーションに関するケーススタディであった。一昨年度も来日し、筆者の東京一番町の職場に来社したのはこれが2度目である。前回は1週間ほど日本を滞在したのだが、今回は2泊3日のみ滞在の強行日程で、その後韓国と中国(上海)へも脚を延ばしたようである。

 この日程を筆者が耳にした時、イノベーションのケーススタディ先として、まるで"日本passing(パッシング:通り過ぎること)"のようにも映った。何せ最近の韓国や上海の勢いは凄まじい(ように見える)から、無理からぬことだ、と。

 訪日メンバーは、ICT分野(Information and Communications Technology)、航空分野(Space Activities)、バイオ分野(Bio- and Chemical Technology)、生産・製造分野(Product and Production Technology)、およびエネルギー・環境・建設分野(Energy, Environment and Construction Technology)から成る、TEKESの幹部スタッフ16名だった。

 当日のミーティングにおいては、ICT分野では日本で今、世界のどの国よりも激烈な戦いが起こっているブロードバンド市場での競争に起因する問題(第20回、第21回参照)や、様々な規制緩和も手伝い市場の広がりを見せる環境・エネルギーに関する分野での意見交換がなされた。

 本稿では、フィンランドのIT戦略に学び、なぜ今フィンランドかを取り上げるのかを論じ、次回以降で日本企業の復権へのヒントを模索したい。

 なぜ今、フィンランドか。

 人口500万人余の"小国"フィンランドが、世界の注目を集めるゆえんは、携帯電話機器市場でのトップシェアを誇るNokiaの成功を筆頭に挙げられる。しかし、これだけではない。

 次のような経済・産業面での競争力、世界投資関連面、IT分野の水準、生徒の学習到達度「国際ランキング」において、今やトップクラスにあるのだ。下の図表をご覧頂きたい。

 翻ってわが国のそれを比較すると、その惨状に目を覆いたくなるほどだ。

【図表】 人口、および国際ランキング


(出所)   各種公表資料から日本総合研究所ICT経営戦略クラスター作成

(2) IT国家戦略の背景と成功体験をレバレッジに

 現下の日本の経済状態と、1990年当時のフィンランドは酷似している。但し、国や産業の規模や広がり、さらには国の生い立ちなどは大きく異なるため、両国を一面的に取り上げるのは適切でない。

 とはいえ、わずか過去10年で飛躍的な成長を遂げたフィンランドの成功のプロセスには学ぶ点は多い。結果論になるが、IT分野、とくに携帯電話分野での成功を"運がよかった"のみと言えば、フィンランド国民からはお叱りを受けるかも知れない。

 しかし、フィンランドという国の成長・成功はおろか、携帯電話市場そのものが今日これほどまでに急成長するとは、通信関係者の間でも誰が想像できただろうか。

 産業や企業の成長・発展をビジョンやシナリオどおりに実現していくことは並大抵ではできない。日本企業が今、不況から出口が見えないのも同様の状況に直面しているからである。

 そのビジョンや戦略シナリオを明瞭にし、それを実現するための意思決定の問題は"運"とは無関係の問題である。意思決定のタイミングは、追い詰められ修羅場に向かい合っている為政者や経営者のセンスの問題であろうし、意思の堅固さは、当人に備わった能力の問題であるからだ。

 当時の過酷な状態はフィンランド国民に一国の存亡の危機感を抱かせ、国全体に共通の雰囲気(空気)を醸成させたに違いない。そのなかでの成功体験ほど貴重なものはない。

 フィンランドの成功体験モデルとは、少々乱暴かつ単純な物言いをお許し頂ければ、Nokiaという1企業が時の携帯電話ブームにうまく乗り、従業員5万人台の企業にして、GDPの25%ほどを稼ぐまでに至ったプロセスに拠るものだといえよう。
(注) 「25%」:2001年度売上高を約320億ユーロ、2001年為替レート換算の国内総生産を1,209億米ドルとして計算。

 Nokia単独による経済効果は計り知れない。この25%という数字は尋常な数字ではない。例えば、従業員数約34万人を抱える、日本を代表する総合電機の日立製作所の連結売上高8.4兆円(2001年3月)をしてみても、日本のGDP約500兆円の1.7%に過ぎないのだから。

 見方を変えれば、Nokiaに依存したかなり"いびつな"構造をフィンランドは内包しているといえる。

 しかしながら、TEKESを中心とするフィンランド政府がとったレバレッジ手法、つまり、Nokiaの成功とそこで獲得した外貨やITなどのスキルを通じ、ある種の梃子(レバレッジ)を利用したかのような勢いで、周辺エリアまで一気にその果実を波及させた手腕は素晴らしい。

【図表】 IT国家戦略の背景、および成功体験


(出所)フィンランド情報については、フィンランド大使館フィンランド技術庁(TEKES)鷲巣栄一氏資料(2002年8月)やTEKES発表資料を参考に、日本総合研究所ICT経営戦略クラスター作成

(3)ここが日本と異なる

 一方、日本が1990年代に国際競争で劣勢となり始めた半導体などの基幹産業から、米国に遅れまいとIT産業を志向したところは、フィンランドと同様な面があった。

 しかしながら、フィンランドほどの"決意"もなく、IT産業強化に向けた独自の戦略(青写真)とシナリオの貧弱さや、その一貫性の無さなどがたたってか、日本経済は長い不況から脱することができず、また年々競争力を落としている。

 どこがフィンランドと違うのか。

 第2次大戦後、日本経済の発展の牽引役として、製鉄や自動車に続き、重電部門からエレクトロニクス・半導体などの軽薄短小の分野までに広がるビジネスモデルをもつ、"総合電機"が活躍した。日立や東芝、三菱電機などの御三家が代表である。このときの成功体験が、「日の丸株式会社」の強さと自信、そして日本の産業のアイデンティティともなった。

 しかしながら、とくに重電や通信機器分野においては官庁や電電公社等との蜜月関係の"成功体験"がいつのまにか形成され、それが40年ほども続く。これら分野は殆どグローバル競争の洗礼を受けず、内需に大きく依存したものであった。

 これが今にして思えば、競争力に黄色ないし赤色ランプを灯すことになったわけだ。

 日本企業の中でも勝ち組は、この間、より激烈な国際競争を戦ってきた一方で、負け組は経営者の怠慢も手伝い、集中と選択を通じた経営資源の効率的な活用もままならず、フィンランドのような産業構造の転換はできず、産業や事業の構造的な桎梏化により、問題が続出し今日に至っている。

 経済産業省をはじめとする政府も、産業の構造的な転換の必要性を感じながらも、その成就には程遠い状況に悩んでいる、といったところだ。

 では、フィンランドからさらに学ぶことはないか。そして、日本企業復権へのヒントはないか。次回はここに着目したい。


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