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道路が信頼を取り戻すためには

出典:日本工業新聞  2003年12月18日

インフラの中のインフラ

筆者は、車の運転が好きである。乗る車にはこだわりがあるし、遠乗りもよくする。渋滞になるとイライラするし、道路がもっと便利になればいいと思う。
今や、世界中の大多数の人が道路の恩恵にあずかっている。通勤に使っている人も多いし、毎日の食材も道路を通して運ばれてくる。社会のインフラともいえるコンビニエンスストアも道路文化の賜物だ。救急車や消防車のような社会の安全を守る機能も道路によって支えられている。
世の中には、実にさまざまなインフラがあるが、これだけ多くのものを支え、生活に密着し、世界中津々浦々にまで普及しているインフラはあるまい。仮に、水道管が破裂した場合でも車で水を運ぶことは可能かもしれないが、道路が完全に切断された場合、これに代替し得るインフラは見当たらない。
道路建設こそは、人類が行った最大の建設工事である、と言われるが、規模から見ても、機能から見ても、インフラの中のインフラといえるのが道路ともいえる。
しかし、「道路を造る公共事業」と聞いて、必ずしも良い印象を持たない人が少なからずいる。何故、自らの生活を支えている道路にこうした印象を持つ人が増えてしまったのだろう。構造改革が進む今こそ、その理由を捉え、新しいインフラづくりのための仕組みを再構築しなくてはならない。もし、道路が本当に重要なインフラであるのなら、その整備に対してネガティブな感情が存在することは、将来に誰のためにもならないからだ。

財政モラルを取り戻せ

道路建設に対するネガティブな感情は何故生まれたのだろうか。特に重要と思われる点を述べてみよう。
まず、有料道路を中心として不採算の道路が多数建設された、と思われていることがある。確かに、四国と本州の間に3本の橋が必要とは思えない。そこで、返済不能とも思える負債を積み上げてしまったのであれば、批判もやむを得ない。
しかしながら、不採算道路の問題は道路自体の採算性にあるのではなく、財政責任の不在にあると考える。そもそも、道路は必要になってから造り始めたのでは遅いのだから、具体的なキャッシュフローが前提となる投資事業が成り立つケースが一般的とは思えない。例えば、ロサンゼルス近くのフリ-ウェィは片側8車線もあるが、採算性を考えたらこうした道路は造れない。
回収期間と経済効果が発生する時期との間にずれがあるのなら、投資事業としてではなく、もっと枠組みの大きな財政基盤をベースに道路を造ることを考えるべきだ。例えば、都道府県が主体となって有料道路を造るよりも、都道府県の財政責任において道路を建設するということだ。その上で、大きな枠組みの財政の運営責任を明確にすれば、財政モラルを維持することはできる。
つまり、道路に関する財政面の問題は大きく2つに分かれる。1つは、回収可能性が極めて低い事業計画が策定され、リスクの曖昧な資金が投入されたことだ。これによって積み上げられたのが、40兆円とも言われる公団関連の負債である。今1つは、道路を含む大枠の財政モラルが低かったことだ。経済規模ベースで欧米の3倍にも達する公共投資を行い、国と自治体合わせて国内総生産の140%にも上る負債を積み上げるに至ったことがモラル欠如を示している。
したがって、「無駄な道路云々」といった類の批判をなくすためには、投資事業の適性を考えた上で新規の有料道路建設を限定し、一般道路を建設する公共団体の財政責任を厳格化することが必要だ。財政モラルなしに行われる事業評価が説得力を持つとは思えない。 

顧客志向を徹底せよ

さて、2つ目の問題は、顧客志向がどれほどあったのか、ということだ。「何度も同じところを掘っている」と思える道路工事に憤慨している人は、いまだにたくさんいる。道路工事が少なくなっている、あるいは計画的に行われている、という説明もあるが、日頃の顧客へのサービスが欠けている状態で行われる説明は説得力を持たない、という一般論を理解すべきだ。
例えば、「道路工事で工事業者の車両を横の路地に置いておけば、もっとスムーズに走れるのに」と思うことがある。道路建設の資金を負担している運転者が顧客である、という観念が徹底しているのであれば工事スペース優先と見られるような状況は減るはずだ。仮に、道路を建設している事業者が工事の発注者である国や自治体のことを考えているのであれば、誰が顧客なのかを今1度徹底することが必要だ。
速度制限についても問題を感じている人は多いはずだ。例えば、東京都内には見通しの良い片側2車線の道路で制限速度40kmとなっているところがある。いわゆる「ネズミ捕り」でもやっていない限り、40kmで走っている自動車などいない。高速道路の80km制限も守られていない。首都高の60kmもそうだ。そして、制限速度を2、3割オーバーすることによって、重大な事故が発生するなどと思っている人は稀だ。自動車の制御機能が大幅に向上しているのだから、制限速度に反映されないのだろうか。
道路の制限速度の管理ほど、”官”の裁量によって行われているものはそうはない。そしてこうした運営のまずさが、道路運営に対する不信感を拡大してもいる。道路建設と制限速度の管理は管轄が違う、という指摘があるかもしれないが、それこそ官の論理である。利用者にしてみれば、無駄に見える道路工事も裁量的な速度制限の管理も、道路を不便にしていることに変わりはない。
そこで、道路関連の全ての政策や業務を包括的に運営する、顧客志向型のオペレーション機能の強化を提言したい。顧客志向は官民を問わず、全てのサービス機関に通じる重要なキーワードである。そして、道路政策とは、国民に対して便利な移動手段を提供するためのサービスであり、道路建設はそのための1つの手段である。
そうした理解から、道路の建設、維持管理、情報管理などに関わる投資も、統括的なオペレーションの観点から決められるようにすれば、顧客志向に則った迅速な道路の整備・運営が可能になるのではないだろうか。速度制限についても道路の状況に応じて、安全かつ円滑な走行が可能となる最適な管理を行えばいい。事故が起きた場合の道路管理も含めれば安全性も高めることができる。
これまでの道路管理では、利便性と安全性がややもすると相反すると捉えられてきた嫌いがある。公的分野には、こうした単機能的な指摘がよく見られる。公共サービスのアウトソーシングを巡る、「民間事業者は営利を追及するからサービスの質が落ちる」といった指摘などは代表的なものだ。これは、「1つ1つの機能の質を高めれば全体としての質が高まる」という部分最適化偏重の考え方が公的サービスのベースとなっていたからだ。
しかし、部分の最適化が全体としての最適化を保証することを信じている民間人はいない。民間ビジネスの顧客は、時には相矛盾した要求をする。それに対して、いかに適切に応えるかは、サービス全体としての最適化をいかに図るかを考えることに他ならない。利便性と安全性を対立して捉えているうちは、顧客志向が浸透することはない。
道路という最大の公共サービスに対する不信感が高まってしまったのは、こうした顧客志向の不在にあるのではないだろうか。例えば、顧客志向には情報公開や対話が不可欠だが、これまで道路には閉じられたコミュニティの中で進められてきた、と思われるところもある。一度つくった計画が世の中のニーズに合わせて柔軟に変更できないことや、特定のコミュニティを指す言葉が存在することなどがその表れといえる。
株式相場が1万円台を回復し、復活の兆しがみえてきた日本経済であるが、公共部門の構造改革はこれから本格的な段階を迎える。返済不能と思われる巨額の負債を見れば、それが決して簡単なものでないことは容易に想像がつく。
道路に限らず、その時、的確な改革を可能とするのは、サービスの顧客であり、資金の拠出者である国民や地域住民の理解なのである。構造改革は、官システムと民システムの対立的な概念のように捉えられることもある。しかし、公共サービスが産業活動や国民生活の基盤となるものであれば、こうした対立的概念は将来に禍根を残すことにつながる。まして産業活動、国民生活の基盤である道路であればなおさらである。
社会インフラは100年の計。公共事業推進派からよく発せられる言葉である。構造改革で社会の仕組みが変わる今だからこそ、100年の計を達成するために顧客志向が必要となっているのである。

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