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"IT革命第2幕"を勝ち抜くために
第18回「ナノテクに見るハイテク国家戦略――国益の追求」

新保 豊

出典:Nikkei Net 「BizPlus」 2002年12月19日

(1)日本のお家芸に通じるナノテクへの期待

 先週末(2002年12月第2週)、今年のノーベル賞受賞の小柴、田中両氏のフィーバーが最高潮に達した。

 この後にも、青色発光ダイオードの中村修二博士(カリフォルニア大学)や、飯島澄男博士(NEC主席研究員、科学技術振興事業団、名城大学、独立行政法人産業技術総合研究所)などの名前が挙がっている。

 飯島博士が1991年に発見した「カーボンナノチューブ」などはナノテクの代表格である。これは、全く新しいタイプの直径数ナノメートル(nm:10億分の1メートル)に過ぎない炭素チューブである。鉄よりも強度が高く、低い電圧で効率よく電子を出すなどの特長を持つ素材として、水素吸蔵や複合材料、電子デバイスなどの幅広い分野への応用が注目されている。

 ナノテク分野は、元々は走査型トンネル顕微鏡(STM)、原子間力顕微鏡(AFM)などの領域で開花したものであり、近年では材料技術からナノマテリアル、光技術からナノフォトニクスなど、わが国産業の強みとなっているものだ。そのほかごく最近では、ナノバイオやDNAチップなど、バイオとのかかわりの可能性も出てきている。

 IT・ネットバブル以降、ナノテクは、とかく元気の無くなったわが国産業界の起死回生の切り札との期待が大きい。しかし、一見華々しいサイエンス・テクノロジーの舞台裏には、地味ではあるが日本の産業の屋台骨を形成するパワーがある。この存在を忘れてはならないし、またその基盤を弱体化させてもならない。

(2)一方で金型加工データ流出などが足元で起こっている

 昨日(2002年12月15日)放映された、テレビ東京の「ガイアの夜明け『不況を越えろニッポン町工場・超技術で世界挑戦:危機・職人技が盗まれる?』」は、大変興味深いものであった。

 東京都大田区の中小企業、いや零細といった方がよいほどの小さな、しかし世界に誇る技術をもったエンジニアと、資金調達に奔走する企業経営者らの現実がリアルに描かれていた。

 後継者も育たず、年々減少していくそれら企業の数。従業員を手放してまで発注先の大企業の要請に応えるために高価な機械・機材を購入する社長兼作業スタッフ(とそれを手伝う奥さん)。老朽化した建物、機械類が消えてしまった工場内などなど、わが国の製造業弱体化の象徴的な風景を見たようだ。

 しかし一方で、大企業も舌を巻く技術レベルの高さをもつ。番組では薄膜化・ナノテク装置が映し出された。いかにも手作りで相当な忍耐を要した上ででき上がった労作のようだった。筆者もかつて10年間近く総合電機における半導体分野のエンジニアの端くれであったので、その様子は見て取れる。

 このコラムの第13回で取り上げた中村修二博士は著書『考える力、やり抜く力 私の方法』の中で、第一に「勘を大切にした」こと、第二に「とにかくすべてを自分でやる」ことを挙げている。話は反れるが、昭和初期の大政治家、吉田茂が『日本を決定した百年』の中でほぼまったく同じことを言っており大変興味深い。科学も政治も一流どころの人物の直面する共通の境地なのだろう。

 その中村博士は続けてこう言う。「自分でやればさまざまな創意・工夫が生まれてくる。(略)これを他人任せにしたり、業者に委託していると創意・工夫ができずに終わりになってしまう」と。島津製作所フェローの田中耕一氏による、生体高分子の質量分析法のための脱離イオン化に関する「発見」にも通ずるところがある。

 その意味で、今の大企業には、一見地味な仕事を額に汗し、時に泥まみれになって自身の力で完遂するエートス(行動規範)やその源となる野心(志)が失せているように見えた。少なくともその番組からはそう伝わって来た。これではグローバル競争には勝てない。

 ただ、工業化あるいは産業基盤の形成過程という観点では、大企業から中小・零細企業につらなる「裾野」の出来不出来が産業競争力には効いてくる。本日発表のあったソニーのインドネシア撤退などは、その「裾野」が無いからという要因がある。一昔の韓国もそうだ。中国はまさにその基盤作りに奔走中というところだ。これら隣国の実態を、日本の周回遅れの動きと見てはいけない。

 「ガイアの夜明け」では、ナノテク分野の基礎を成す金型加工データや図面等の、極めて貴重な情報が発注先の大企業を通じ中国などの現地に流出しているという。

(3)グローバル競争では対中国戦略を明確にすべきだ

  あくまで国の競争力という観点から見て、中国の対日産業戦略には要注意だ。

 2週間前、英国ロンドンの通信アナリストと東京一番町で、筆者の同僚とで意見交換の機会をもった。聞けば、日本に限らず、英国においても欧州諸国も(あるいは米国ですら)、対中国市場の潜在的な大きさに目を奪われ随分と火傷を負っているという。

 中国には、次のような3つの狙い(要請)がある。


中国は単に大市場の需要に応えるべく、その買い手に回りたいのではなく、ベンダー(または供給者)になりたい
物品・サービスを中国市場で販売するにしても、中国は現地での工場立地などを要求してくる
中国は現地で雇用を生み出したい

 そのしたたかで競争上の野心をもつ中国に、先の中小・零細企業の汗と結晶にも等しい、そして、わが国ハイテクの基礎となる金型に関するノウハウが流出していることは由々しき問題である。

 実際、2002年7月12日、経済産業省製造産業局素形材産業室は、「金型図面や金型加工データの意図せざる流出の防止に関する指針について」を発表。次が主な点である。


金型の製造委託取引において金型図面等が、金型発注企業に提出させられた後、金型製造業者の同意のないまま、海外で2番目の金型や類似の金型の製造委託に供されているという指摘が国会・新聞等で行われ、また、日本金型工業会からも本年5 月当省に対し、同取引に係る総合的な指導の要望がなされた。
これらを受け(略)実態調査を実施しその把握を行った結果、同取引における「意図せざる技術流出」が、わが国製造業の基盤である金型産業の国際競争力低下を招く懸念があると判断された。

 このようなケースを知るにつけ、日本ほど「だまされやすい、世間知らずの、無警戒な、認識の甘い」などの意味の「ナイーブ」という言葉がふさわしい国は、世界にないと思わされる。あるいは、知的財産や情報のもつ意味を軽んじている現実が未だあることに驚かされた。

(4)意思決定の曖昧さが成否を分ける

  最近の一連の不祥事・不名誉ごとで、その無能さを露呈した外務省などの役割は大きく縮小し(恐らく今はもう不要であろう)、その分経済産業省などの国益に直結した対外産業政策におけるパワーを強めてほしいものだ。

 ただ「要望がなされた」のをもって、「実態調査を実施し」、「懸念があると判断された」は、いかにも悠長なことだ。迅速性が伴わずタイミングを逃しては、元も子もない。その被害は甚大で、取り返しのつかない性格をもったハイテク分野のことだとの認識がいかにも甘い。どこの省庁も変わり映えのしないお役所仕事では、現在の戦争(ビジネス・ウォー)には決して勝てない。負け戦の癖を待ったなしで断ち切らなくてはいけない。

 わが国あるいは米国などのハイテク工業国に見る、戦略製品の意思決定とその鍵となった技術のポジショニングを、例えば次のように行うことができる。

【図表】 意思決定と技術のポジショニング



(注)米ウォートン・スクールのGeorge S.Day, Paul J.H.Schoemaker両教授の資料を参考に加筆・修正。KFS: Key Factor Success、KFD: Key Factor Default(筆者の造語)のこと。
(出所)日本総合研究所 ICT経営戦略クラスター(新保2002)

 今や超優良企業に返り咲いた日産自動車の立役者、ゴーン社長が好んで使う、献身、義務、言質、参加意欲、取引契約、約束、責務などの意味をもつ「コミットメント」や、不確実性下において経営の判断を迫られる「オプション」(選択肢、選択権)などを、積極的に意思決定に用いる領域とそうでない領域を縦軸に、そして、横軸に「技術の成否」をとっているマトリクス、【A】〜【D】の4つの領域を見てみよう。

 経験則から「技術の失敗」とは、技術が機能せず、商業レベルまでの規模も未達に終わり、あるいは他技術に代替してしまったり、市場への投入タイミングが悪く時期尚早であったことが主な要因となる。

 いかに【B】から【A】の領域へ、また【C】から【D】の領域へ移行できるかがポイントとなる。あるいは【A】領域のポジションから決して【C】領域へ転落しないように、経営の舵取りをしなければならない。

 かつて世界トップの座(【A】領域)を占めた(筆者も主に256キロ〜16メガまでその研究と設計などに携わった)半導体DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)産業から、現下の【C】領域にも等しい座を感受する二の舞にならない方策が、わが国期待のナノテクにも大いに求められている。

 今のままでは、日本の宝である技術・ノウハウが消失し、コスト競争力のみしか勝負できない局面においては、近隣諸国には一層歯が立たなくなってしまう。一番の原因は戦後の間違った、今も続いている教育(人材)に帰する問題であろう。

 本稿では「模倣障壁と事業バリュー」に関する技術戦略論に絞り、次回でその概要について触れることにしたい。


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