ITS(高度道路交通システム)ビジネスは生活者視点から描け
出典:日本工業新聞 「シンクタンクの目」 1999年11月
新聞トップに踊るITSの文字。交通円滑化、それに伴うコスト削減、新産業創出、雇用拡大など、様々な期待が寄せられる。ITSの実現は、実は一般消費者向け情報通信端末の普及にかかっているにもかかわらず、なぜかマーケティングとコミュニケーションの議論は非常に希薄。コミュニケーションのシンクタンク・電通総研として、「ITSライフビジョン」を急ぎ構築する必要性、ITSビジネスの広がり、生活者視点の切り口を解説する。
●ITS市場は交通システムを超えて拡大
信号機の管制システムが世界で初めて実施されたのはカナダのトロントで、50年前という。以来進められてきた交通システムの高度化が、近年のコンピューター技術の進歩によって急激に発展しつつある。この動きを総称するのが、ITS(Intelligent Transport Systems:高度道路交通システム)というキーワードである。
昨今、ITSの領域の捉え方に変化が生じてきた。とりわけ1998年末、小渕内閣の景気対策にITSが盛り込まれたことで、ITSの文字は新聞の一面トップにも登場し、人々に広く認識されるようになった。官庁の予算拡大、民間企業の先行投資や業務提携が大々的に報じられ、大いにフォローの風を受けている領域、市場である。1999年末の現在は、補正予算要求による各省庁のITS関連研究開発や実用化の構想が発表されるとともに、来年春に実用化されるETC(高速道路自動料金収受システム)に向けて電機メーカー各社が積極的に受注に取り組んでいる、といった状況である。
しかし、それでは従前どおりの公共事業、いわばGtoB(Goverenmnet to Business)という、ITSの一部分でしかない。官民共同プロジェクト・ITS市場の本丸は、BtoCB(Business to Consumer)、それを支えるBtoB(Business to Business)市場、でなければならない。ITSは、消費者市場も取り込んだ、新しいビジネスフィールドのキーワードでもある。
●ITSライフビジョンを描け
電通総研では「ITSライフビジョン」を提唱している。この特殊な市場を分析するために、消費者を中心とし、移動に関わる情報生活全体の視点からITS市場の未来を描いている。すでにITSにかかわるコンサルティングが様々に展開されつつある中で、電通総研としては、官庁と民間企業の取り組み方についての「ITSマーケティングとコミュニケーションの処方箋」を構築中である。以下、その考え方の一端を示したい。
ITSでうたわれている交通円滑化も産業創出も、実は情報通信端末商品の普及にかかっている。消費者への普及の方法は2つ、購買してもらうか、税金で作って無償で配るしかない。法律で義務づけて買わせては、もともと何かと批判の声の強い交通政策だけに、ITSの普及そのものに自ら足かせをはめるのは明らかだ。
経済効果もビジネス規模予測も、消費者には何のインパクトもない。「出せば買う」「義務づければおとなしく買う」といった消費者はもはや少ない。
誰がいつITSの端末を買うのか、ITSのサービスに対価を払うのか、を明確にし、マーケットの支持を得ないと、ITSの普及は危うい。「それ、誰のお金で、いつ買うの?」にきちんと答えること、自分の家族に購入を納得させるだけの説得力を商品に盛り込むことこそが、ITS普及と市場拡大の本質的な突破口である。
●ユーザー視点はモバイルメディア市場から描け
現在のITSの議論にはユーザー視点が欠けている。そのことも今年になってから徐々に指摘されはじめた。先日カナダのトロントで行われたITS世界会議でも、欧米の多くの実務者からこの点が指摘された。あるスピーカーは「ITSは、個々のお客さんの注文にきちんと応える情報サービス(Information Tailor-made Service)にならねばならない」と宣言し、「市場調査と普及促進」というテーマが今年からメイン会議の一つに掲げられていた。ナビゲーション情報の将来形はエンターテイメント型情報(Info-tainment)になるだろう、という意見も一致していた。
しかし、マーケット分析のコメントについて見てみると、ITS市場を展望する視点が、まだ狭いと言わざるを得ない。例えば、運転中の情報ニーズというものを運転目的からしか分析しておらず、逆に新しい情報が移動目的を創り出る可能性についてのコメントはなかった。また、「消費者がITSにいくら払ってくれるか」という分析はあったが、他の情報メディアに対する消費者の支出状況や意向との比較の視点はまったくなかった。
また、世界各国の機関が、世界の消費者向けITS商品市場の約半分は今後とも日本が担うと予測しているにもかかわらず、その有望市場についてのコメントは欧米からはなかった。さらに、日本のスピーカーからも日本の市場の勘どころについて自己分析のコメントはなかった。日本の市場の特殊性、とりわけ日本の雑誌系情報コンテンツ市場、携帯電話やカーナビゲーションを基点にしたモバイルメディア市場予測との対比もなかった。
まさにここがITS市場を読む突破口である。それは、消費者の情報関連商品に対する消費意向からも明らかだ。「その情報商品によって、いま持っている情報商品を活かす形で使えて、しかも自分の交通移動が人並みより安全・快適・迅速になるなら、買いましょう」という考え方が現在の主流である。
昨今の携帯電話やパソコンの普及によって、消費者も広く「情報化が生活にもたらしてくれることの本質」がわかりかけてきている。すでにいくつかの情報関連商品で会得したようなレベルで使いこなせそうになければ、ITS関連商品は買われない。
自分が使いたくて会得した情報機能は使いこなす、会得できた機能はもう手離せない、という体験型マーケティング商品の典型が、450万台(1999年9月末現在)普及したカーナビである。このカーナビを基点にモバイルマルチメディアサービスをクルマの中に持ち込み、交通安全や円滑化を含めたインカー・エンターテイメントの市場を作ろうというのが、日本の消費者向けITS市場の基点である。
情報過多で交通事故の危険、渋滞を解決せずに渋滞情報だけ送るのはナンセンス、などの指摘を承知の上で、なお重視しなければならないのは、クルマが「移動する情報消費空間」になったときに、消費者は何を望むのか、何にお金を払ってくれるか、ということである。上述の世界会議では、外国機関のいくつかが「もはや交通の情報化にとって'安全'が絶対的ニーズではなくなりつつある」という発表があった。カーナビ先進国の日本ではさらにその傾向が強い。それは多様化差別化したカーナビ製品のラインナップだけ見ても明らかだ。
生活感のある商品の魅力を、交通安全の絶対的な重要性ですべて打ち消してしまうと、ITS普及に対する市民の合意はそこで終わる。あとは「情報で私たちのプライバシーを把握するな」の批判に、官民共同で耐えなければならなくなる。
ITSの政策が順調に進捗している今こそ、早急に生活者視点でのITSの姿を描き、消費者に向けたITS関連商品のコミュニケーション戦略を構築すべきである。
●ICカードマルチユース+情報提供、が本丸
ではどの産業が、広い意味でのITS市場で「ひともうけ」できるのか。ひとことで言えば、ITSに関係ない業界は一つもない。情報を得て移動することは、消費行動と非常に密接に結びつく。
この点において、注目すべきは、ETCで実用化されるICカード(スマートカード)である。日本ではサービスエリア等での買い物や駐車場の料金支払いで、マルチユース化を立ち上げようとしている。
現在の技術では、一枚のカードに数十個のチップを埋め込み、チップ間の情報セキュリティーを保って、なお一枚千円もせずに開発可能であるともいう。日本では、ETCでのICカード普及を起爆剤に、ポイントカードの相乗りも含めて、「トータルな移動生活に使える決済カード」として育て、リアルタイム情報提供が消費活動の役に立つ、という位置づけにならなければならない。ETCの普及の成功はこのマルチユースにこそかかっているのであり、料金支払いシステムのみの普及をこのまま試みても、消費者に受け入れられるはずもない。
このカードと情報提供のシステムを、Eコマースによる新しい販路として活用できる業界は多い。既存の放送、電話、インターネット関連ビジネスにはじまり、カーディーラーのアフターマーケット、ロードサイドを中心とした小売流通、レジャー産業全般、などがメインプレーヤーとなる。運転制御機能が充実してくれば、事故の責任形態も変わり、自動車保険、生命保険のビジネスにも変化が生じる。2004年頃にはデジタル放送が本格化し、無線通信速度の高速化とあわせ、「消費のための情報コンテンツ」が課金に値する価値を本格的に持ってくると考えられる。もちろん、現在すでにITS業界として認知されている自動車、電子機器などの業界も、業態の拡大発展を遂げることだろう。
●フロンティアマーケットにはコミュニケーション戦略が不可欠
やや短絡的に言えば、ITSはモノを売るためのマーケティング・プラットフォームであり、そのフロンティアにさまざまな消費財・サービスを展開させることができる。そこに消費者視点でのマーケティングが必須であることは、すでに説明したとおりである。
ITS市場は、あらゆるビジネスプレーヤーにとって、有望である。しかしデジタル、マルチメディアと言う言葉が今や「売り文句」としては陳腐化したように、ことさらにITSという言葉で説明しなくても消費者に受け入れられる市場になってこそ、ITS市場の本当の成功、定着と言えるだろう。
ITSビジネスには、事業開発段階から消費者の体験に至るまでの、消費者向けのトータルなコミュニケーション戦略の構築が、各業界、各企業とも不可欠である。政策合意形成とイベント展開とマス広告とEコマースを同じ主体が同じテーマで同列に検討しなければならないのが、ITSコミュニケーションの特殊性である。
エンジニアとビジネスマン以外にもわかるコミュニケーション戦略が体系的に構築された時点で、ITS関連市場(全産業への波及効果)「2015年までの累積107.9兆円」の下地はできあがったと言っていい。肝心なのは、「情報通信関連60.3兆円」以外の'47.6兆円'の立ち上げ方であり、60.3兆円のほうの成否も、そこにかかっている。