1.はじめに
人材版伊藤レポートⅰにおいて「人的資本経営」が提唱され、はや5年が経った。「VUCA時代における持続的な企業価値向上に向けては経営戦略と人材戦略の連動が必要不可欠である」とする人的資本経営の中核的コンセプトは、この5年で多くの企業の経営に組み込まれ実践されている。一方でこの5年を通じ、人的資本経営の実践にあたっての課題も浮き彫りになってきた。そのうちの一つが戦略人事機能の実現である。
本稿は、日本総研が2025年3月に実施した「戦略人事への変革プロセスに関するインタビュー調査」を引用しつつ、企業が戦略人事を確立するための道筋・要諦を解説すべく、全3回にわたり連載する。

図表1 「戦略人事への変革プロセスに関するインタビュー調査」の概要
前編では本稿で扱う「戦略人事」の定義を明確にした上で、戦略人事実現に向けた企業の現状の課題を押さえ、インタビュー調査で注目した課題解決の切り口について解説する。中編では当社が実施したインタビュー調査に基づき、戦略人事実現に向けて企業が取り組むべきポイントを考察する。第三回ではインタビュー結果をデフォルメしつつ、伝統的な人事から戦略人事への変革事例をいくつかご紹介し、より手触り感ある形で戦略人事への変革に向けた要点を解説する。
2.戦略人事とは
「戦略人事」という言葉の定義は非常に広いが、人事機能変革の文脈でよく用いられるのはDave Ulrichの「Human Resource Champion」ⅱで提唱された、企業の競争優位を創り出すために人事部門が果たすべき4つの役割で説明されることが多い。
① 戦略パートナー:経営・事業のパートナーとして経営戦略と人材戦略を整合させ、また実行する機能。
② 変革エージェント:経営者が推し進める改革(例えば企業風土改革、組織間シナジーの発揮など)のサポートとして、組織開発に取り組む機能。
③ 管理のエキスパート:採用,評価,処遇,勤怠管理といった人事オペレーションに精通し、またその効率向上に取り組む機能。
④ 従業員チャンピオン:従業員のコミットメントや能力向上に向けて、従業員を支持・擁護する(champion)機能。人事制度や育成プログラム、ピープルアナリティクスを活用した人材マネジメントまでさまざまな対話の仕組みを用いながら多様な個に迫っていく。

図表2 戦略人事が果たすべき4つの役割ⅱ
デイビッド ウルリッチの戦略人事機能は1997年に発表されたコンセプトであるが、未だ色あせず近年においてもさまざまな媒体で取り上げられている。これは人的資本経営実践にあたって戦略人事が有効であるからであろう。例えば人材版伊藤レポートでは有効な人材戦略の要件として、「経営戦略と人材戦略が連動していること」、「人材戦略の実行が、組織や個人の行動変容を促し、企業文化として定着すること」などを挙げているが、こうした要件を牽引する役割として、戦略パートナーや変革エージェントが重要となることは想像に難くない。また人材版伊藤レポートではこうした人材戦略の実現に向けて組織や人材の活性化が重要であることも示唆している。例えば従業員エンゲージメントの向上や多様な個人の貢献意欲向上などである。したがって従業員チャンピオンとしての役割も必要不可欠である。いずれにせよ戦略人事とは「企業の競争優位となるような人材戦略を立案し、またその実践を組織・人創りの両面から強力に牽引する」機能であると言い換えることができる。人的資本経営実践と戦略人事の親和性が高いことをあらためてご理解頂けるだろう。
3.戦略人事実現の難しさ
このような背景で、人的資本経営に注目が集まるほどに人事部門が戦略人事の役割を果たすことに対する期待も高まっていった。それではこの数年間で人事部門強化はどの程度進んだのであろうか。
一橋大学CFO教育研究センター長伊藤邦雄氏らが発起人となり、また経済産業省および金融庁がオブザーバーとして参加している人的資本経営コンソーシアムが2024年6月に公表した「⼈的資本経営に関する調査結果」では、コンソーシアム会員企業が「CHROの設置・人事部門の強化に取り組んだか、そしてその結果、成果を上げることができたか」について確認している。
結果、回答企業のうち、CHROの設置・人事部門の強化に取り組んでいる(と理解できる)(※1)企業は全体の70.2%にのぼる結果となっている。一方、取り組みの結果、成果を出していると言えるのは全体の6.9%(※2)にとどまっていることがわかる。

図表3 CHROの設置・人事部門の強化に関する取り組み状況ⅲ
つまり、多くの企業は戦略人事への変革プロセスの渦中にある、ということである。
この変革プロセスの最中にいる企業群について、コンサルティングの現場の肌感も踏まえつつもう少し解像度を上げて解説したい。この5年で、取り組み意欲のある企業において、戦略人事に必要なハードウェアの整備はかなり進んだ印象がある。ハードウェアとは例えば人事情報基盤や人事組織体制整備、人員の増強、スキルの強化などを指す。
したがってここまで取り組んできた企業の多くは戦略人事機能を「理屈上は」(部分的にでも)実践できるようになっているはずである。一方、こうした企業が、戦略人事がまだ機能していないと捉えていることは前述の通りである。そこで企業はハードウェアをさらにアップデートする、という方向性を選択しているように見受ける。例えば、要員をより拡充する、解像度の高いピープルアナリティクスを行うために人事情報基盤を拡充するといった具合である。
一方で成功事例を紐解けば、ハードウェアの整備・更新のみでは戦略人事への変革に向けては片手落ちという印象が強い。具体的には関係性・風土や行動基準、習慣といったソフトウェアまで踏み込むべきである。例えばよく挙げられるのは現業部門と人事部門の関係性である。人事部門がよりよい人材管理のために新たな人材管理手法を現業部門の管理職に対し展開したとして、展開手法が制度説明会でありがちな「説明した」という旧来型のスタンスにとどまれば、管理職側も新手法をよりよく使おうとはならないことは明白である。人事部門側の行動様式を変える必要があるし、受け止め側の現業部門の問題認識を変える必要もある。前項の定義に基づけば変革エージェントや従業員チャンピオンがその役割を果たす上でどのような点に留意すべきか、という問題に置き換えることもできるだろう。
いずれにせよ、我々はこのようなソフトウェアに注目し、どのようなポイントで変革を推し進めるべきなのかを整理すべく今回のインタビュー調査を実施した。
中編では「戦略人事のソフトウェアで起こっている問題」、そして「問題を乗り越えるためのポイント」について、日本総研が実施した「戦略人事への変革プロセスに関するインタビュー調査」を引用しつつ解説する。
ⅰ 経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート ~」
(参照 2026-1-5)ⅱ David Ulrich「Human Resource Champions」(1996/11/1)
ⅲ ⼈的資本経営コンソーシアム事務局「⼈的資本経営に関する調査結果(概要)」
(2024年6⽉20⽇)(参照2026-1-6)(※1) 「具体的に対応策を検討している」、「対応策を実行している」、「対応策を実⾏済みであり、かつ、その結果を踏まえ必要な⾒直しをしている」、「実⾏した結果として、成果創出に明確に寄与している」と回答した企業の比率を合計した値。
(※2) 「実⾏した結果として、成果創出に明確に寄与している」と回答した企業の比率。
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
関連リンク
「戦略人事」実践論
・前編
・中編

