約2,558万人(※1)が訪れた大阪・関西万博が閉幕し、祭りのあとの静けさが漂う2026年初頭。万博会場という「未来社会の実験場」を経て、私たちは日常に戻った。本稿では、万博が掲げた「いのち輝く未来社会のデザイン」の真意について、筆者が87歳の祖父と共に「デジタルの壁」に挑んだ184日間の経験をもとに問うてみたい。
私の祖父は、大阪・関西万博の開催が決まったその日から、誰よりも開催を心待ちにしていた一人だ。1970年の大阪万博当時、祖父は働き盛りのモーレツ社員だった。大阪に住みながらも、仕事に追われ、ほとんど足を運べなかったことをずっと後悔していた。「今度こそは、時間をかけてたっぷり楽しみたい。散歩感覚で、毎日フラッと会場に行くのが夢なんや」。そんな祖父のささやかな願いを前に、筆者は非公式の「祖父専属・万博事務局」として伴走することを決めた。
ところが祖父の前に立ちはだかったのは、健康不安でも体力の衰えでもなく、高く険しい「デジタルの壁」だった。万博IDの発行、チケットの予約、パビリオンの抽選、そして完全キャッシュレス化された会場での支払い。祖父も気合十分、未来社会に取り残されないよう、長年愛用した「らくらくホン」をiPhoneに買い替え、必死に練習を重ねた。電話やカメラ、メッセージのやり取りは習得した。
迎えた開幕日。私は祖父に同行し、実地訓練を行った。QRコードの出し方、スクリーンショットの取り方、決済アプリの使い方、パビリオンの予約画面の提示。何度も何度も一緒に練習した。しかし、毎回同行できるわけではない。2日目以降は入場ゲートもパビリオンも物販も、祖父一人の力で立ち向かわなければならない。後日祖父から聞いた話によると、開幕当初はキャッシュレス決済にどうしても自信が持てず、レジに並ぶ前には必ず「前の人がどうやっているか」をじっと観察し、その動作を必死にマネしたのだという。画面がうまく表示されない、電波が悪くて読み取れない。そんな小さなトラブルのたびに、背後に並ぶ人々への申し訳なさと焦りで、練習の成果が吹き飛んでしまう。未来を体験しに来ているはずなのに、その入り口で躓いてしまう。そんな祖父の姿が目に浮かび、胸が締め付けられる思いだった。万博という「全く新しいシステム」をゼロから覚えるのは、あまりにハードルが高かったといえよう。これらは現代の若者にはちょっとした新しさだったかもしれないが、シニアにとっては、会場に用意された巨大な迷路のようなものだった。
結局、祖父は私の「遠隔サポート」を駆使して26回も万博へ通い、悔いなく思い出を作ることができた。87歳にして、毎度10,000歩や20,000歩を歩き、会場を楽しみつくす祖父からは、確かに「いのちの輝き」を感じられた。しかし、これは極めて稀なケースだろう。祖父はよく、帰宅後にこんな話をしていた。「会場内で、自分と同年代や、自分より年上の人は一人も見かけんかったなあ、どうやら私が最年長のようや」 この言葉は、単なる自慢話ではない。そこに行きたくても行けなかった、膨大な数のシニアたちの存在を逆説的に証明している。
大阪府が2020年に全国の2,126人(大阪府内1,034人、府外1,041人、日本で暮らす外国人(エリア不問)51人)を対象に行った調査では、大阪・関西万博の認知度が最も高い年代は70代以降であり、「とても興味・関心がある」「興味・関心がある」と答えた割合も、70代以降で最も高い値を示した(※2)。しかし、蓋を開けてみれば、万博協会による推計では、開幕(4月13日)から9月12日までの来場者属性のうち、チケット入場者の年代構成比は70代で4.4%、80代で0.6%という結果になった(※3)。この数字のギャップをどう捉えるべきか。祖父の友人の多くは、親戚や旅行代理店に頼んで何とか一度だけ入場できたか、あるいは「仕組みが難しすぎて一人では到底行けない」と、最初から夢を諦めてしまっていた。
万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だ。しかし、その「未来」とは一体誰のためのものなのだろうか。最先端の技術を使いこなせる強者だけが謳歌できる社会は、本当の意味で輝いていると言えるのだろうか。私が祖父と同じ年齢になるころ、社会は今以上に複雑化しているだろう。そのとき、私を置いていかずに、伴走してくれる「事務局」のような存在はいてくれるだろうか。シニアになった私を待っているのが、厳しく、冷たい未来社会ではなく、あたたかいものであってほしい。
「誰一人取り残さない」をスローガンとして掲げているSDGsの達成目標である2030年まで残り4年。26回通い詰めた祖父の笑顔の裏側にある「置き去りにされた声」を、私たちは決して忘れてはならない。「未来社会の実験場」である万博での経験を活かし私たちが真にデザインすべきは、便利さの追求が、誰かの居場所を奪うことのない未来社会ではないだろうか。
(※1) 日本国際博覧会協会発表の累計来場者数からAD(関係者)証入場者数を引いた一般来場者数。
出所:https://www.expo2025.or.jp/news/news-20251014-01/

(※2) 出所:https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/13167/neesdchousa.pdf

(※3) 出所:https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/20251007_rijikaisiryou.pdf

本コラムは「創発 Mail Magazine」で配信したものです。メルマガの登録はこちらから 創発 Mail Magazine
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

