オピニオン
【未来社会価値研究所報(Annual report 2024-25)】
4-3.コンプライアンス経営2.0
〜「コンプライしない」主張も含む真のインテグリティの実践〜
2025年10月29日 山口尚之
第3回 「やらされ企業倫理」から「攻めの企業倫理」へ
| 本連載は、ルールベースからプリンシプルベースへと変化しつつあるコンプライアンス経営の文脈において、企業に「明文化されたルール以外も順守せよ」と要請することの弊害を説くとともに、企業価値を維持・向上するために企業がとるべき戦略を明らかにすることを目的に、全5回に分けて多面的に論じるものである。 |
対外的コンプライアンスの重要性
企業のコンプライアンス対策と聞けば、従業員の行動規範といった内部統制に着目されがちである。そのため第2回では、従業員コンプライアンスにおけるプリンシプルベースの実践について述べた。一方でコンプライアンス経営の文脈では、社内向けの施策だけでなく外部への発信や説明責任等の対外的コミュニケーションも重要となる。
なぜなら、組織として外部ステークホルダーから信頼を得ることは、企業価値の維持・向上の観点から非常に重要であり、その際、とりわけ不祥事等のレピュテーションリスクを回避することが求められるからだ。加えて、対外的コンプライアンスの推進は、リスク回避だけでなく発信・表現手法によっては自社のアピールにも使える。つまり、対外的コンプライアンスは信頼の棄損防止だけでなく、信頼の拡大にも寄与するのだ。
企業は「倫理の強要」を回避できるか
第2回で述べたとおり、企業と従業員という雇用関係においては、企業(雇用側)が従業員にインテグリティを「強要」することは不適切であり、あくまで「引き出す」「自発的に促す」姿勢が重要だと述べた。同様に社会と企業という関係性でも、社会が企業に、法令順守以上の倫理を強要することは本来、過剰であり、社会が企業にインテグリティを「命令」することは本質的に矛盾している。
しかし、企業から社会に対し「インテグリティは強要されるものではない」と発言することは、現実的に可能だろうか。ESG投資の拡大等社会から企業への要請は増大傾向にあり、またSNSの普及といった企業への監視機能は強化されてきている。このような状況下では、企業への社会的要請は期待から義務へと変容しやすい。結果として企業は、企業倫理に対する義務感からは逃れ難いと一般的には考えられている。
企業倫理という期待圧力との向き合い方
このような、企業倫理を期待する、社会から企業への圧力に対し、企業はどのように向き合えばよいのか。まず挙げられる手段としては、社会からの期待圧力を最大限に功利的に利用するというアプローチだ。
例えば、CSR等社会貢献的な活動を外部にアピールすることで、自社のブランディングに活用するというアプローチが考えられる。あるいは、社会的な期待を反映した商品・サービスを展開することで、新たな市場を開拓し、シェアを拡大するというアプローチも可能だろう。昨今のエシカル消費等は、このアプローチに該当し、マーケティング戦略のひとつと言える。
このように、コンプライアンスをブランディングやマーケティングに有効活用し、面倒なコストと認識されがちなコンプライアンスを最大限功利的に利用するというのは、企業倫理という期待圧力に向き合うひとつの姿勢だろう。
「やらされ企業倫理」が期待圧力の原因
しかし、たとえコンプライアンスをブランディングやマーケティングにすり替えようとも、社会からの期待圧力が根本的に軽減されるわけではない。そこで、これらの期待圧力の本質的な原因を考えることで、企業がどう向き合うべきかをあらためて検討する。
まず、社会からの期待を「圧力」と感じる本質的な原因は、社会的な要請が自社のプリンシプルと一致していない、受け身の理念であるためである。環境配慮にせよ、人権配慮にせよ、根本的には自社にとって負担やコストでしかなく、しかし外部からの信頼維持のためにやらざるを得ないから仕方なくやると、意識的か無意識的かによらず認識しているため、「圧力」と感じるのだ。いわば、「やらされの企業倫理」であることが、この圧力感の根源なのである。
では、やらされ企業倫理から脱却するためにはどうすればよいのか。環境配慮も人権配慮も、自社にとってどのように影響し得るのかを、多面的かつ丁寧に分析することで、自社の成長に必要不可欠なドライバーであると認識する作業が求められる(いわゆる、「マテリアリティの特定」と呼ばれるプロセスだ)。その際、他社の事例に倣って網羅的にドライバーとなりそうな項目を並べるのではなく、真の意味で自社の成長に不可欠な項目を取捨選択し、抽出することが肝要である。そして、社内で明確化・明文化するだけでなく、自社ポリシーを外部に対し積極的に発信していくことも忘れてはならない。
つまり、やらされ・受け身の・守りの倫理から、自発的・能動的・攻めの倫理に転換するマインドセットが必要なのである。
企業の価値観表明が重要な背景
マテリアリティを特定し、社内で明確化することが重要なのは理解しやすいが、加えてそれらのポリシーを積極的に対外発信すべき理由は何か。
権威主義国家勢力の台頭や、ポピュリズムの拡大に加えて、SNSでの陰謀論が流布する等、価値観の社会的分断が進んできていると言われている。結果として、「何が正しいのか」の判断基準すら不透明化してきている傾向が見られる。このように価値相対化が進んだ情勢下で、企業が「何を大切にするか」を曖昧にして、社会的コンセンサスを喪失した単なる「世間の空気」を基準に倫理判断すると、かえって批判にさらされる可能性が生じてきている。法令や世論に従うだけの「受け身の倫理」では、もはや企業は信頼されない。
インテグリティとは単なる誠実さではなく、「社会の中で一貫した価値観と行動指針を持ち、それを発信・実践する力」であり、不確実性の高い時代におけるステークホルダーからの信頼獲得の基盤と言える。企業は、商品やサービスの広告宣伝だけでなく「何を信じ、どこへ向かうか」という哲学を社会に伝えるべきであり、ブランドメッセージの積極的な発信は、単なるマーケティング戦略ではなく社会との信頼構築に資する。いま、企業は自らの価値観を言語化し、自律的に発信すべき時なのだ。
受け身の企業倫理がもたらすリスク
2025年1月、回転ずしチェーン「スシロー」を展開するあきんどスシローが、落語家の笑福亭鶴瓶氏を起用した広告を取り下げた。これは、別の芸能人の性加害疑惑に関連するとされた食事会に、同氏が参加していたという週刊誌報道に反応したものだ。しかし、十分な根拠に基づかない拙速な対応だとSNS上での批判が噴出し、取り下げのわずか1週間後に異例の起用再開となった。
これは、世論に迎合した行動をとった上に、さらにSNS批判で対応が二転三転するという、二重の世論への過敏反応を示した事例であり、このような対応は一見すると社会の要請を迅速に反映しているようで、実際にはかえって信頼を損なうリスクを有している。
以下に、世間の目や一時的な社会の空気に安易に迎合した場合に想定されるリスクを列挙する。いずれも、自己保身的で過剰な受け身の企業倫理を示すことが原因と考えられる。
まず、CSR等社会的な活動にかける従業員の工数が増加する一方、「やりすぎ」、「ポーズだけ」、「見せかけの善行だ」と顧客や投資家が見なして大きな評価を得られず、事業収益性が過度に低下してしまうリスクが考えられる。また、環境や人権の観点から発展途上国等における取引先を過度にスクリーニングすると、その国や地域の経済機会そのものを剥奪し貧困を助長するという、サプライチェーンの過度な権利制限と「新たな不公正」を生むリスクがあり得る。さらに企業内部においても、従業員へ過剰に倫理的プレッシャーを与える「正しすぎる組織」では、モチベーションが低下し離職を助長するだけでなく、率直な議論が妨げられイノベーションが阻害される懸念が生じる。
時には逆風の中でも価値観を主張せよ
一方、分断が進んだ現代社会において、「攻めの倫理」を実践し企業が能動的に価値観を表明すると、一部の主張や政治的潮流と対立する場合がある。こういった局面では、消費者や株主の反発、ボイコット、風評等のリスクが生じる。特にわが国では、企業が政治的・社会的に敏感なテーマについて発言することは控えられてきた傾向がある。背景として、わが国特有の「空気を読む」文化や、企業の社会的な発信を報じるメディアの少なさ、リスク回避優先の保守的マインド等が挙げられるだろう。ましてや、多数意見に反する価値観の表明であれば、なおさら及び腰になることは、理解できる。しかし、ウォルト・ディズニー社が米国フロリダ州の反LGBTQ法案に沈黙していたために社内外から激しい批判を受けた(※1)ように、分断が進んだ現代において「沈黙はリスク」であると、日本企業も認識する必要があるのではないだろうか。
米国ではいわゆる「トランプ2.0」の到来により、反ESG・反DEIの波が押し寄せている。しかしアップルやコストコホールセールコーポレーションは、株主総会における反DEIの提案をあえて拒絶したものの、株主や市場からの支持を獲得できている。このように、企業による価値観の発信はリスクと同時に差別化戦略となる。逆風の中でも主張を曲げずにいることで、ブランドの独自性と信頼性を確立し、従業員ロイヤリティーが向上し、特定の顧客層との強い結びつきも生まれるのだ。
第3回まとめ:価値びん乱社会において、企業は「攻めの倫理」で差別化を図れ
本来、倫理やインテグリティは外圧ではなく内発的な動機から発揮されるべきものである。しかし社会から企業への期待は、どうしても義務としての色合いが強くなる。ましてや、SNSの普及等世間の監視機能が強化された現代では、社会からの期待は企業の負担感を増す傾向にある。
対策として、企業倫理の実践をブランディングやマーケティング等の功利的手段に最大限利用するというアプローチが考えられる。ただし根本的な負担感の解消には、「やらされ倫理」から「自発的・攻めの倫理」へと転換し、積極的に発信・表明していくことが求められる。
企業による価値観の表明や主張は、時に異なる価値観サイドから批判の対象ともなり得る。しかし社会の分断が進んだ現代では、沈黙することこそがリスクであり、あえて「攻めの倫理」で意見表明することで、差別化を図るべきだ。
(本稿は、「山口尚之,コンプライアンス経営2.0 〜「コンプライしない」主張も含む真のインテグリティの実践〜,未来社会価値研究所報2024-25」を、企業関係者向けに分割し、再編集したものである。)
(※1) 通称「Don't Say Gay法案(2022)」。その後ディズニー社は方針を転換し、法案への反対を表明した。
以上
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
関連リンク
未来社会価値研究所報(Annual report 2024-25)
1.巻頭言 覆される常識と社会価値を再構築する意義
2.改めて問われる企業価値評価のこれから
3.資本主義2.0:倫理資本主義社会を実現させる条件
4.コンプライアンス経営2.0
第1回/第2回/第3回
5.企業の社会的価値創造を推進する多元的企業価値評価
6.地域活性化に向けて“地方議員”に求められる役割とは

