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終焉(エンド)に耳を傾けること

2025年08月26日 山本尚毅


 2025年4月にはじまったNHK朝ドラ「あんぱん」は「アンパンマン」の作者やなせたかしの妻小松暢(以下、のぶ)を主人公にしている。のぶは戦時中に国民学校の教員として、子どもたちを戦争に導く教育をしたことを悔いており、戦後に伴侶となったやなせたかしとともに「変わらない正義」を追い求めていく。このドラマが戦後80年という区切りの年に放映されているのは偶然ではないのだろう。その流れに導かれるように、私自身が専門とする教育の世界と戦争との交差を描いた『歓待と戦争の教育学 -国民教育と世界市民の形成』を紐解いた。

 ”いま私たちが直面しているのは、戦争をも含めた厄災=カタストロフィによる地球の生命圏の終焉であり、ここでは空間と時間の両方が終わりに向かうという事態である。今日、人類が死滅するだけでなく、生命圏全体の絶滅が現実のものとなった。世界の目的(エンド)からではなく、世界の終焉(エンド)から、歴史が問い直され、世界市民の新たなかたちが問われ、教育の課題が呼びかけられているのである。”
 矢野智司(2019)『歓待と戦争の教育学 -国民教育と世界市民の形成』東京大学出版会 P327

 昨今、世界各地で地殻変動による地震・噴火や気候変動に起因する大規模な自然災害が頻発し、戦争・紛争も勃発している。遠い国の出来事でも手元のスマートフォンに配信されるニュースで確認できるため、カタストロフィに直面しているという実感はたしかにある。しかし、だからと言って、私を含め多くの人々は破局や厄災に備えるわけではない。カタストロフィの認識はあるにしても徐々に危機感は薄まっていき、どこかで今まで通りの生活や社会が続くと考えている。

 どうしたら、来るべき破局や災厄を見越した行動を私達はできるのか。矢野は、20世紀を代表するドイツの科学哲学者ギュンター・アンダースが語る「ノアの寓話」の中にそのヒントがあると評す。「ノアの寓話」とは、洪水が来るという悲劇の預言をするものの、誰も聞き入れてくれないことに疲れ果てたノアが、肉親が死んだときにだけ許される衣服を纏って街へ出て、人々の注目を集めたというエピソードを描いたものだ。この時、「誰が死んだのか?」と問われたノアは、「多くの人だ。お前たちだ」と答え、「洪水が起こったのはいつか?」という問いには、「明日」だと返した。ノアのパフォーマンスは、人々の動揺を誘い、ノアの箱舟を完成させる手伝いに出向く者も少数ながら現れた。

 この寓話は、何を示唆するのだろう。従来の直線的な時間を前提にした場合は、予防をすることで、未来に厄災が起こる可能性を減らすことができると考える。この場合、同時に厄災が起こらない可能性が分岐して存在するため、今まで通りの生活が続くことも常に想像可能である。しかし、ノアの寓話は明日という未来に起こる洪水によって死んだ者を、今日という現在に悼むことによって、時間の向きを逆転させた。未来を現前させることで、未来から現在に接続する回路を作り出し、現在が未来をつくるという直線的な関係に加え、未来が現在をつくるという関係をつくり出すことで、直線的な時間のあり方を円環的なそれに変えたのである。同じような考えは、ネイティブ・アメリカンの「大地は、先祖から譲り受けたのではなく我々の子孫から借りている」という言葉に見出すことができる。現在が未来を規定するのでなく、むしろ未来が現在を規定するという関係性がここにはある。ここにあるのは、未来は現在の延長で、現在が未来を決めるのでなく、未来は現在の延長としてあるのでなく、むしろ未来が現在を規定するという感覚だ。

 やなせたかしは戦時中の経験から、飢餓を絶対的な苦しみととらえ、お腹を空かせている人に食べ物を分け与えることに「変わらない正義」を見出した。いっぽう、のぶは国民国家の方針に左右される教育の変わりやすい正義、つまり「目的(エンド)」に置き換えられる「正義」を探していたはずである。見つかったのかどうかは不明だが、矢野が見出した「終焉(エンド)」が、教育における変わらない正義の候補になりえるだろう。

 平和教育や防災学習などに代表される厄災の歴史と教訓を学ぶことは、これまでもこれからも重要な営みとして学校現場で行われていくだろう。いっぽう、未来を終焉(=破局)として想像し、行動を促す学びは、いまだ混沌とした領域であり、今後のさらなる発展が求められる。加えて、大人が大事だと考えた学びを、子どもたちの世代に押し付けるだけでは芸がない。どうしたらよいか、どうやったら面白がってもらえるか、朝ドラを食い入るように見る8歳の娘の横顔に、そのヒントを探している。


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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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