RIM 環太平洋ビジネス情報 2001年1月号No.52
アジア危機はアジアの強靭性を証した事件であった
2001年01月01日 さくら総合研究所 理事長 渡辺利夫
東アジアの発展メカニズムの中核に位置しているのが輸出志向工業化である。輸出志向工業化とは製造業品輸出が工業化を牽引し、工業化が高い経済成長率を帰結するという工業化のパターンである。輸出志向工業化のメカニズムは、3年余にわたる経済危機の過程で一時頓座したかにみえたが、再びその姿を顕現しつつある。なにより、危機からの力強い修復過程自体が輸出志向工業化によって支えられたものであったことが特記されねばならない。
東アジアは電気・電子機械の世界的な生産・輸出拠点である。それゆえ東アジアが世界的なスケールでのIT革命の追い風を受け、電気・電子機械の需要高揚に恵まれたことは幸いであった。しかし、この需要高揚は危機修復の加速要因ではあったが、危機の修復要因それ自体ではない。修復要因は東アジアに内在する強力な市場経済メカニズムである。このことを見落としてはならない。
市場経済の十全な作動を許さない東アジアの構造的要因に危機の根因を求めようとする、いわゆる構造危機論が一世を風靡した。しかし、3年を経ずして修復を完了した東アジア経済の現実を眺めてみれば、注目されねばならないのは、むしろ市場経済の強靭性の方である。修復のメカニズムを大きく概観してみよう。
東アジアは開発途上国であり、それゆえ経常収支の赤字は恒常的であった。しかし経常収支の赤字は1998年にいたってすべての国で消え、次いで黒字となった。1999年ももちろん黒字である。為替レートのあれほどの低下があったのであれば、輸出が増加し輸入が激減して貿易収支、次いで経常収支が改善するのは当然のことである。
経常収支が黒字となれば、外国為替市場介入のために放出され底をついていた中央銀行の外貨準備は次第に豊富化する。外貨準備が潤沢になれば、各国通貨への国際的信認が強化され、対ドルレートの下落がとどまって安定化に向かうのは至極当然である。
為替レートが安定すれば、為替レートの下落を食いとめるべく採用された緊縮財政、金融引締政策の緩和が可能になる。財政支出増加、金融緩和により「金回り」がよくなって金利が低下する。実際、今日の東アジアの金利水準は危機前よりむしろ低い水準にいたった。
金利低下は投資主体の金利負担を減少させ、新規投資意欲を引きだした。投資増加に支えられて工業生産が復調し、危機時に低下した賃金・給与が増加に向かい、失業率も低下傾向を示した。このことが危機時に抑制されていた消費の高揚につながった。アジアが自律的な成長経路に乗ったことは明らかであろう。
危機が構造的要因に由来するものであれば、このような簡明なメカニズムに沿う修復が、しかも3年程度で可能なはずはない。東アジアの経済危機はむしろ東アジアの市場経済の強靭性を立証した事件であったかのごとくである。
アジアは豊富な潜在力をもつ国々から成っている。1国の潜在力を示す最も重要な指標は国内貯蓄率である。国内貯蓄とは総所得のうち消費されなかった部分である。国内貯蓄は、金融機関の仲介(金融仲介メカニズム)を通じて、最も効率的で収益性の高い投資主体に融資される。企業はこの融資を受けて投資を行う。すなわち国内貯蓄は投資の原資である。1国は投資を通じて拡大再生産過程を歩み、そうして将来の所得と消費が最大化する。
国内貯蓄とは、現在消費を最小化し将来消費を最大化するダイナミックな人間行動のことである。現在の享楽のために消費を最大化するのではなく、自分や家族、コミュニティーや社会の将来のために現在消費を犠牲にする人々の紡ぐ社会の国内貯蓄率は高い。勤労意欲において高く将来志向において強い人間を擁する社会の国内貯蓄率は高いのである。
東アジアは世界でも有数の高貯蓄国群である。東アジアは外資に依存することなくみずからの豊富な国内貯蓄に依存するだけで、世界で最高位の投資率、したがって成長率を実現できる力をもっている。
投資率(I)を経済成長率(G)で除した値(I/G)が限界資本係数(ICOR)であり、この係数は1単位の成長に何単位の投資が必要かを示す。したがってICORの逆数(1/ICOR)は1単位の投資によってどの程度の成長が可能かをあらわす。それゆえこの逆数に国内貯蓄率を乗じた値は、国内貯蓄を原資として実現可能な、その意味での潜在成長率である。
いかにも単純なハロッド=ドーマー流の成長式である。しかし、1国がその潜在的資源を生産力の増強に向けて投入しながら拡大再生産を図っていく開発途上局面においては、この成長式の論理が力強く貫徹すると私はかねてより考えている。1990年代前半期の潜在成長率は、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国でほぼ7パーセントであった。これら諸国の潜在成長率は今後10年ほどのスパンでみれば、なお7パーセント程度だと考えてよかろう。東アジアはみずからの国内貯蓄に依存するだけで、世界最高の投資率、したがって世界最高の経済成長率を実現する潜在力に恵まれている。
東アジアの国々が世界的にみてこの顕著に高い国内貯蓄率をさらに上まわる投資率を持続してきたこと、すなわち国内貯蓄率と投資率との差(貯蓄・投資ギャップ)を外国の貯蓄、つまり外資の導入によってまかない、そうして超高成長過程を歩んできたこと、ここに問題がある。東アジアはこのギャップを外資、とくに短期性の国際資金によってまかない、この短資があるきっかけから大量に反転流出して危機が発生した。
東アジアは国内貯蓄率によって実現される成長率では満足できなかったのである。外資導入により一段と高い成長率を求めたその余りに野心的な成長戦略、この戦略こそが危機の真因である。超高成長の夢からさめ、「身の丈」に応じた成長率を持続することが肝心である。危機がアジアにもたらした最大の教訓である。
さきにもそう記したが、今回の危機は東アジア経済の脆弱性を示した事件ではない。その修復のありようを振り返れば、東アジアの市場経済は他の地域諸国とは異質の強靭性をもっていることが理解されよう。アジア危機はこの地域経済のしなやかさを証した事件であったと私はみる。アンドレ・グンダー・フランクの大著『リオリエント-アジア時代のグローバル・エコノミー』(山下範久訳、藤原書店、2000年)の「日本語版への序文」にこうある。
「今日の経済危機は、過去1世紀以上の間で初めて、西洋から非西洋へ波及するのではなく、西洋以外の地域から起こって西洋へ波及した世界規模の景気後退だということである。したがって、今日の景気後退は、東アジア経済の一時的な弱体化の証拠としてよりも、むしろ、世界経済の重心が東アジアに再びシフトして、西洋の勃興以前の状態に帰りつつあり、基底的な部分での経済的な強さが増していることの証拠として解釈されうる。」
東アジアの潜在力を高く評価する私には快哉を叫びたくなるような主張である。

