RIM 環太平洋ビジネス情報 2005年07月号Vol.5 No.18
「富裕」から「愛国」、そして「覇権」へ-中国は何を求めているのか
2005年07月01日 調査部 環太平洋戦略研究センター 顧問 渡辺利夫
中国経済は外資系企業に牽引されて高成長をつづけており、他方、国有企業は凋落してみる影もない。わずかに残る国有企業にも株式制が導入され、四大商業銀行もまた株式会社化への道を歩み始めた。農村において人民公社が廃止され、家族農業が全土を覆ったのは20年も前のことである。少なくとも経済的にみる限り、中国がみずからを社会主義と認じる根拠のほとんどが消失している。
一元的な計画経済が多元的な市場経済へと転じ、これを反映して国民階層も著しい速度で多層化し、利益集団相互の関係も複雑化した。中国の社会構成は共産党による一党支配で統治できるような単純なものではなくなったのである。社会主義はもはや求心力をもつイデオロギーではない。このことは政権中枢部が誰よりも深く知悉している。
社会主義にかわる求心的な理念を必死に探し求めるものの、国民の心を捉える理念は容易にみつからない。たどり着いたものが「富裕」である。共産党支配の正統性を証すものは、共産党の統治によって初めて高成長が保障され、国民の生活水準が着実に上昇するという論理である。鄧小平の登場以来、中国が世界の中で最速の成長を実現してきたという事実がこの論理を補強する。
最貧状態にあった毛沢東時代の中国が鄧小平の時代にいたりにわかに高成長を開始し、昨日より今日、今日より明日へと生活水準が上昇する躍動的な経済の中に身をおいて、国民は高度経済成長の臨場感を味わうことができた。計画経済から市場経済への転換の中におかれながら、しかし鄧小平の時代にあっては国民の求心力が失われることはなかった。鄧小平の権力基盤が盤石だったからばかりではない。貧困を脱して「富裕」へと向かうその過程自体が国民的求心力を強める何よりの要因であった。
しかし、鄧小平の時代が終わり、江沢民の時代がやってくる1990年代の中頃には、中国人の胃の腑は満たされ、沿海部の発展都市にはきらびやかなオフィスビルやマンションが立ち並び、「富裕」は当たり前の現実となって、その求心力は薄れざるをえなかった。
そのうえ、なるほど平均的にみれば中国の所得水準は上昇したものの、都市と農村の所得格差は一方的に拡大し、都市内部においても分配の不平等は極度に深刻化した。江沢民時代の終わりには、農業就業人口約5億人のうち1億6,000万人が潜在失業化しているという推計値が社会科学院によって発表され、都市就業者の失業率も10%を超えるという説が中国の著名なエコノミストの口から語られるようになった。中部の貧困省から沿海の発展都市に向かって流動する人口が累計1億人を上回るといわれるようにもなった。
高成長の過程で放置された「無告の民」の怨嗟の声が次第にヴォルテージを高め、政府・党幹部の腐敗・汚職に対する反感が広範に広がっていった。2002年11月に開かれた第16回共産党大会は江沢民が党総書記として人民大会堂の雛壇に座る最後の大会であった。江沢民はこの大会において党総書記を退き、その座を胡錦濤に譲った。大会初日、冒頭の党総書記による党活動報告の中で、江沢民は次のように発言せざるをえなかった。
「われわれの活動にはまだ少なからぬ困難と問題がある。農民と都市の一部住民の所得の伸びはなお遅い。失業者が増え、大衆の生活はなお苦しい。所得の分配関係が正されていない。市場経済の秩序を引きつづき整頓し、規範化しなければならない。地方には治安のよくないところがある。党員指導部の形式主義、ならびに官僚主義的作風、虚偽を弄し派手に浪費する行為がひどい。腐敗は依然として際立っている。党の指導と政権担当の方法が新しい情勢や任務の要請に完全には即応していない。中には弱腰でばらばらな党組織もある。われわれは存在する問題を大いに重視し、引きつづき強力な措置をとって解決しなければならない」。
また党員の腐敗・汚職には強い危機感をにじませて、「腐敗に断固反対し、腐敗を防止することは全党の重要な政治任務である。腐敗を断固処罰しなければ、党と人民大衆の血と肉の結びつきは著しく損なわれ、執権党の地位が失われる危険があり、党は自滅に向かう恐れがある」と語ったのである。尋常ならざる実態の反映なのであろう。
「富裕」のスローガンには、これが実現すれば、それゆえに退色せざるをえないという宿命がある。そのうえ、市場経済を通じての「富裕」は勝者を作り出すと同時に、膨大な数の敗者を排出し、彼らの社会的不満を蓄積させざるをえない。ひょっとして不満はすでに「臨界点」にいたったのかも知れない。江沢民の後を襲った胡錦濤が「共同富裕」「親民政策」をスローガンにせざるをえなくなった由縁がそこにある。「富裕」を享受できたものが少数にとどまり、国民の多くが疎かにされてきたことをこの新スローガンは問わず語りに語っている。
「富裕」に代わって新たに登場した理念が「愛国」である。江沢民が1994年に出した「愛国主義教育実施綱要」に発するこの政策はまことに徹底的であった。幼児から大学生にいたるまで愛国主義教育を強化し、日中戦争の発火点である盧溝橋近くの「中国人民抗日戦争記念館」に代表される「愛国主義教育基地」を全土に建設して、愛国主義の社会的雰囲気を醸成しようという試みであった。
中国における「愛国」とは「反日」と同義である。抗日戦争を果敢に戦い抜いた共産軍が帝国主義者を中国から追い出し、革命に勝利して中華人民共和国が成立したのだというのが中国現代史の論理であり、この論理が共産党一党支配の正統性を人民に訴える根拠だからである。愛国主義政策が草の根にまで及んで「みごと」な成功を収めたことは、昨夏のサッカー・アジアカップ時の大ブーイング事件、今年4月の北京の日本大使館、上海の日本総領事館への罵声と投石の威嚇によって具体的な形でわれわれに証された。
大使館と総領事館への暴力という歴然たるウィーン条約違反に対して、当然ながら日本政府は謝罪と賠償を直ちに求めたが、これに対する中国政府の対応は、中国側に一切の責任はなく、中国人民の心を傷つける基本的な問題に誠実に応じない日本政府に責任のすべてがあるという、およそ近代的国家の対応とも思われないものであった。
問われるべきは、江沢民の反日政策がなぜこうまで露骨な形で発揚されるにいたったのか、反日政策に国民が大規模に呼応して暴動にまでいたったのか、である。記述したごとく中国の市場経済化が国民の平均的な所得水準を上昇させる一方で、失業者に代表される膨大な敗者の群れを作り出し、彼らの社会的不満が反日にその吐け口を求めたからなのであろう。
幼児に始まり大学生にいたる恒常的な反日教育、これに加えて日本の首相の靖国神社参拝や日本の中学歴史教科書への飽くなき糾弾、マスメディアを動員しての日本の旧悪へのとどまることを知らない非難、「反日」は中国人の心の中に容易に払拭することのできない怨念として「刷り込まれ」、「構造化」されてしまったのである。
「反日」は「富裕」に代わって登場した、政権中枢部の国民的求心力強化のためのスローガンである。しかし、それにとどまらない。東アジアにおける「覇権」拡大のための手段でもあり、ここに真に問われるべきテーマが潜んでいる。東アジアにおける覇権確保が中国の長期的戦略であり、その戦略の最重要目的が台湾統一にあることは容易に見通すことができよう。
「反覇権」が中国の常套句であるが、ありえない話である。経済規模が拡大して国力が拡充し、それに応じて対外的交渉力が強化されれば、その国が国際社会の中で覇権を求めることは歴史的経験則である。大英帝国時代のパクス・ブリタニカ、戦間期から第2次世界大戦後のパクス・アメリカーナ、冷戦期のパクス・ルッソー・アメリカーナといわれる時代は、いずれも大国がみずからの国際的な政治・経済的影響力の拡大に応じて自国中心の世界秩序を創出しようとして成った安定的体系であった。意識的にではあれ無意識的にではあれ、はたまた好むと好まざるとにかかわらず、国家の発展が国際的覇権に結びつかないという歴史を見出だすことはできない。
中国がパクス・シニカの時代を築くにはこれから相当の時間を要しようが、少なくとも東アジアにおける地域覇権を求めて大いなるエネルギーをここに注ぎつづけるであろう。
一国の覇権は他国の覇権を認めず、前者が後者を全力で阻止するという行動をもってその特徴とする。中国の東アジアにおける覇権掌握のためには、もう1つの大国日本の覇権を封じ込めねばならない。尖閣諸島問題、日中中間線でのガス田開発問題、潜水艦の日本領海侵犯などは、中国の地域覇権行動の眼にみえる具体的な行動であり、その先には中台統一が見据えられている。中台統一により、中国積年の願望である外洋進出の自由を手にし、アジア太平洋という一層広い地域に向けて覇権を行使する可能性が開かれる。
2005年4月の反日暴動は政権中枢部の政治的プログラムによって始まったものとみてまず間違いない。日本の国連安全保障理事会常任理事国入り阻止がその主たる目的であった。みずからの常任理事国としての既得権益が日本の常任理事国入りによって薄められることを厭うというのは、中国の自然の政治的心理である。より具体的にいえば、記述した尖閣諸島問題、日中中間線でのガス田開発問題、潜水艦の日本領海侵犯など、日中間の2国間交渉でみずから外交的優位性をもって交渉できるはずの諸問題が、国連という多国間の交渉の場に持ち込まれるのはどうしても許容できないということなのであろう。大規模な反日運動という粗暴な方法で中国人の怒りを日本にぶつけてみせ、日本をひるませることにより常任理事国入りを阻もうという目算である。
「東アジア共同体」の最も熱心な推進者が中国であるのも、中国の地域覇権の掌握戦略に由来する。実際、中国は2003年プノンペンで開催されたASEAN+3(日中韓)の首脳会談において、ASEANとの包括的経済協力枠組み協定を結び、2010年から2015年までの間に自由貿易協定(FTF)を結ぶという合意を取りつけた。周辺諸国とのFTFやEPA(経済連携協定)の締結に中国は今後とも熱意をもって対応していくに違いない。
東アジア諸国とのFTFやEPAの締結に逡巡して足の遅い日本との対照が鮮やかである。中国はASEAN+3の先に「東アジア共同体」の創出を構想している。東アジアはいまだ政策概念として煮つめられているようには思われないが、加盟国としてはASEAN+3が前提されている。 大国化する中国に対抗して日本が東アジアにおいて行動の自由を確保し、みずからの存在を確実に証す2国間関係は日米同盟である。中国が東アジア共同体の積極的な推奨者であるのは、日米の離間がこれによって可能になると踏んでいるからである。日米が離間し、中国が東アジア共同体の主役となるならば、その存在の規模、明確な戦略からして、中国の覇権確保は一段と確実なものとなろう。台湾の帰趨もこれによって決定される。
東アジア共同体にアメリカが嫌悪感を示すのは当然である。前国務副長官リチャード・アーミテージは次のようにいう。
「今やめざましい経済成長を遂げ、通商・投資分野での存在感を高めた中国は、多国間の枠組みでも積極的な役割を果たそうと考えるようになった。だが、中国がいかなる役割を果たそうとしているのか、それは明確ではない。6カ国協議のように、複数の国の利害を調整し、組織立てるといった前向きの役割を中国は果たせる。半面、中国が日米同盟を弱体化させ、時に日米の間に楔を打ち込むというようなマイナス方向の動きに出る可能性がある。中国は、協力的な態度で地域に貢献しようとするのか、あるいは反抗的な姿勢で地域の分断を試みるのか。そこは不透明である。だからこそ、日米が同盟関係を弱体化させる事態は避けねばならない」(Wedge, Vol. 17 No.5)。
事態を冷悧に捉えた論理である。日本が東アジア共同体にいかなる態度をもって臨むべきか、答は自明であろう。さしたる戦略もなく、言葉は麗しいが、内実の不鮮明な、そしてその分、明確な戦略をもつ大国の行動の自由の幅の大きい東アジア共同体という「鵺」のような怪物に日本が飲み込まれることだけは絶対に避けねばならない。
再び話を中国の反日暴動にもどそう。反日は中国の政権指導部の意図によって「作られた」ものである。しかし、これが中国にとって良策であったかと問えば、そうとはいえない。むしろ愚策であろう。反日がすっかり刷り込まれた中国人の反日運動は、政府の思惑を超えて一挙に大規模化し、大衆の不満の欝積が、日本にではなく中国の党と政府に向かいかねないという大きなリスクがある。
実際、デモ隊が上海総領事館を数万人の規模で取り巻いて罵声と投石を繰り返す事態にいたって肝を冷やしたのが中国政府であり、それ以降、反日暴動は完璧に鎮められてしまった。政権中枢部が反日運動を煽ることのリスクに敏感となったことを示唆する。
中国政府は日本人の「反中」を軽視し過ぎてはいまいかと惧れる。日本は厳たる民主主義国家である。民主主義とは大衆の情念をその情念のままに映し出す鏡のような政治制度である。中国からの「冷遇」と「屈辱」にいつまでも日本人が甘んじつづけるであろうという前提は危うい。中国人の反日は日本人の反中の情念を紛れもなく駆き立てている。
この情念が投票行動によって政治化された場合、日中関係は修復不能な事態に立ちいたらないとはいえない。中国の粗暴なナショナリズムが、日本人の中に60年間静かに眠りつづけてきたナショナリズムに火を付ける危険な可能性に気づかねばならない。特に靖国神社の問題のような、日本人の死生観、死せる者の鎮魂にかかわるテーマに的を絞って日本と日本人を糾弾することをやめなければ、日中は厄介な泥沼に足を取られて身動きできなくなってしまう危険性がある。その意味で靖国問題は、鋭い矢となって将来の中国を悩ませることを私は惧れる。
日中外交が言葉の本当の意味での「外交」として再認識されることがまずは先決だと思うのである。