Economist Column No.2025-080
「投資のための人生」か「人生のための投資」か ― NISA貧乏、NISA損切りから考える持続可能な資産形成とは ―
2026年03月12日 下田裕介
■「貯蓄から投資へ」の裏で懸念される「NISA貧乏」と「NISA損切り」の負の連鎖
2024年にNISA(少額投資非課税制度)が抜本的に拡充されて以降、「貯蓄から投資へ」の動きが進む一方、最近では「NISA貧乏」や「NISA損切り」といった言葉がSNSを中心に注目されている。これらの言葉は、過度な期待や焦燥感に駆られて投資を行ってしまった人の苦しい状況を表している。
「NISA貧乏」とは、NISAの非課税メリットを最大限に享受しようとするあまり、趣味や娯楽への支出を削り、その分を投資に回す状態を指す。なかには、自身の支払い能力や家計の流動性を無視し、日々の食費や光熱費、あるいは急な病気や災害への備えまでも必要以上に削って投資資金に充てる極端なケースもあるようだ。こうした行動は、とりわけ若年層や投資初心者において散見され、SNSなどでの「最短で非課税投資枠(1,800万円)を埋めることが正義である」といった極端な言説や、他人の高い“入金力”(投資余力)を自分と比較してしまう心理的要因が背景にあるのだろう。
一方、「NISA損切り」とは、NISAを活用し資産運用をするなかで、一時的な評価損や市場の調整局面に耐えきれずに保有商品を売却し、損失を確定させてしまう行為である。実際の損切りの規模や程度の詳細は不明であるものの、最近では、イラン情勢の緊迫化などに伴うマーケットの急変動が、若年層や投資初心者を中心に感情的にNISA損切りへと動かしている可能性が考えられる。
ここで注目すべきなのは、これら二つの現象が独立したものではなく、密接に関係し、負の連鎖を引き起こしている可能性である。NISA貧乏に陥り、生活資金に余裕がない状態で投資を続けていることで、一度市場が下落すれば家計の破綻に直結しかねない死活問題として重くのしかかるため、投資家としての精神的余裕が削られてしまう。そして、本来であれば長期保有を貫くべき局面であっても、目先の現金確保の必要性や底知れぬ恐怖心から、最も不適切なタイミングで無理な売却、すなわちNISA損切りを余儀なくされる。「持たざるリスク」を理解して始めた投資が、結果として「持ち続けられないリスク」によって資産運用が非効率となる皮肉な結果を招いている。
■市場からの恩恵を受けるには市場に居続けることが絶対条件
投資初心者がNISA損切りに追い込まれる最大の要因は、自身のリスク許容度を過大評価している点にある。そもそも、リスク許容度を考えるにあたっては、「資産をいくらまでなら失っても大丈夫か」について、自身の生活水準を維持するための具体的な金額だけでなく、精神状態を平穏に保ち、当初の投資方針を維持するための心理的な耐性の度合いも加味することが不可欠である。NISA貧乏にあたる場合は、より注意が必要である。好景気や上昇相場の時期に投資を始めた人は、資産が右肩上がりに増え続けることがあたかも当然であるかのように考えがちだが、金融市場には上昇・下落のサイクルが存在し、時には、かつてのリーマン・ショックやコロナ・ショックのような大幅な下落に直面することもある。この厳しい現実に直面した際、夜も眠れないほどの不安を感じたり、仕事のパフォーマンスが低下したり、あるいは家族との関係に悪影響を及ぼしたりするのであれば、それは自身の投資が、本当の意味でのリスク許容度を大幅に超えているといえる。
とりわけ若年層にとっては、時間が資産形成における最大の武器となり、長期運用によって、いわゆる複利効果を最大限に享受することができる。もっとも、その恩恵を授かるための絶対条件は「市場に居続けること」である。一度損切りをして市場から退出してしまえば、その後に訪れる回復局面のチャンスを逃しかねない。ちなみに、NISAでは、損失が出た場合に他の特定口座などとの損益通算(利益と損失を相殺して課税対象の利益を減らすこと)ができず、損失の繰越控除(損失を最大3年間繰り越して、翌年以降に発生する課税口座の利益と相殺すること)も認められないという、デメリットも併せ持っている点には留意が必要である。
■自身の設計図を基にした規律ある投資こそ人生を支える資産形成に
NISAはあくまで人生を豊かにし、将来の選択肢を広げるための手段の一つであり、資産を積み立てて制度を使い切ること自体が目的ではない。そして、資産形成において最も重要なのは、自身のライフスタイルや将来のライフプランに基づいた、無理のない独自の“設計図”を描くことである。結婚や出産、住宅購入といった大きなライフイベントの想定と必要とされる資金の規模、それを得るための資産の運用方法などを、現実的に、そして自身が納得する形で具体的に考えることが肝要となる。例えば、NISA貧乏のように、家計のキャッシュフローを無視した形で、全財産に近い資金を投資した結果、含み損を抱えた状態で住宅ローンの頭金が必要な事態となれば、ライフプランニングの観点からは致命的なミスであるといわざるを得ない。
また、遠い将来の不確かな利益を優先するあまり、現在の生活の質や、今しかできない経験、そして精神的な安心感を過度に犠牲にしてしまう状況も本末転倒である。特に若年層においては、自己の能力アップや、人的資本拡大が図れる時期でもあり、将来の稼ぐ力に繋がることが期待される。こうした時期に、極端な節約をしてまで投資に執着することが、必ずしも将来の金融資産の最大化、幸福な人生の享受につながるとは限らない。
NISAは税制面だけでなく、長期・積立・分散投資の面からも優れた点が多い制度である。NISAを資産形成のツールとして有効活用するためには、他人の運用手法や運用成績、「乗り遅れてはならない」という根拠のない焦りといったノイズを遮断し、自分にとっての投資額や運用対象、運用期間の適正なバランスを冷静に見極めることが重要である。確かなライフプランニングに基づき、十分な資金を確保したうえで、家計に影響を与えない範囲内で淡々と積み立てを継続する。この一見退屈とも思える規律の維持こそが、ブームとしての投資を、人生を豊かにするための真の意味での資産形成へと変える王道といえる。
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