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Business & Economic Review 1996年09月号

【論文】
ペーパーレス・マネーを受け入れるための社会システムの問題点
-なぜ、パチンコのプリペイドカードは問題になってしまったのか-

1996年08月25日 山本雅樹


1.パチンコカード偽造問題の現状

今年になって、パチンコ・プリペイドカードの偽造問題が一気に表面化した。96年3月期の被害だけで630億円に達したと報道されている。その内訳は、三菱商事系の日本レジャーカード(日本LEC)社が550億円、住友商事系の日本ゲームカード社が80億円である。この結果、日本LECの当期損益は291億円の赤字を計上することとなった。95年3月期には80億円の黒字を計上していただけに、パチンコカード会社の経営に対するパチンコ・プリペイドカードの偽造問題の与えた影響は非常に大きいものであった。

パチンコ産業の市場規模は、レジャー白書(平成8年版)によれば26兆円である。これはいわゆる貸し玉料金で、パチンコ業者はここから、割数(貸し玉に対する出玉比率)が13~14割、特殊景品への交換率が62.5%ということから、12.5%の粗利益率、金額にして3.25兆円の粗利益をあげていることになる。しかも、ここ5年の年平均成長率は9.3%にも及ぶ。これは、日本の半導体生産額が年間約4兆円であることを考えるとパチンコ産業の大きさがより理解できる。

この巨大産業の中でCR機(カード対応型パチンコ台)は全国のパチンコホール18000店のうち、13000店に導入されているという。現在のところ、プリペイド・カードシステムを全面的に採用しているところは少ないが、もしこの13000店がすべて全面的にプリペイド・カードを導入したと仮定すれば、実に約18兆円がプリペイド・カードを通して取引されることになるのである。テレフォン・カードの数字を比較のためにあげてみると、NTTの公衆電話による収入は平成7年3月期において2484億円で、これに対してプリペイド・カードの販売総量は、1994年度において金額にして約2800億円である(内訳は50度数24545万枚、105度数15664万枚)。したがって、テレフォン・カードのようにパチンコにおいてもプリペイド・カードが成熟すると、市場のほとんどをカバーする売上規模になることが予想されるが、その際の市場規模は同じプリペイド・カードであっても、公衆電話とパチンコでは2桁違うのである。

このようにパチンコのプリペイド・カード事業は非常に魅力的であったわけだが、問題は、プリペイド・カードの導入により当然のことながら、偽造問題が起る可能性のある「場」ができてしまったことである。そしてその結果として、ある意味では必然的に偽造問題がおこり、被害が拡大してしまった。必然的とは言いすぎかも知れないが、テレフォンカードの偽造は以前から問題になっており、プリペイド・カードの偽造の可能性は決して無視してはいけないはずであった。しかし、その対策が事前に十分にされていなかった結果として、テレフォンカードと同様、五千円、一万円のプリペイド・カードの使用が不可能になり、ユーザーの利便性は減少してしまった。そして、カード会社も事業の継続を慎重に検討しなければならないという事態を迎えてしまっている。

パチンコのプリペイド・カードは本来、ユーザーの利便性やパチンコ会社の経営の透明化など、さまざまな目的を持っていたはずである。しかし、ある程度、事前に想定できたはずの偽造問題への対応をあらかじめ十分に検討してこなかったがために、今後のプリペイド・カードの普及にはブレーキがかかることも懸念されてしまう。

この種の問題はプリペイド・カードの問題だけにとどまらない。今後のマルチメディア時代において、エレクトロニック・コマースが本格的に普及した際に、同様の問題がおこらないとも限らない。ペーパーレスマネーが庶民の中で本格化する時代を迎えるにあたり、パチンコのプリペイド・カード問題を整理し、ペーパーレスマネーの起す可能性のある問題点とそれへの対応策を事前に検討すべきではないだろうか。さもないと、将来のエレクトロニック・コマースの普及に向けて、なんらかの問題が生じ、プリペイド・カードのようにブレーキがかかってしまうということも十分懸念される。

ここでは、パチンコ・プリペイド・カードに関する問題を整理し、エレクトロニック・コマースの普及に向けての問題点を検討してみたい。

2.なぜ、パチンコカードが導入されたのか

問題を整理するにあたって、まず、なぜパチンコにプリペイド・カードが導入されたのか、そのメリットを検討することが必要であろう。パチンコのプリペイド・カード事業を巡るステークホルダーとしてはは、パチンコホール、カード会社及び機器メーカー、警察庁、そしてユーザーがいる。各ステークホルダーのプリペイド・カード導入によるメリットは以下のようなものが挙げられる。

(1)パチンコホール

パチンコホールにとってのメリットは、一回に買う球の量が増えることと、パチンコがスマートになることが挙げられる。パチンコ台は以前よりハイリスクハイリターンになっており、この博打性の強さから一回に使用する玉の量が増加している。また、ユーザーも若者や女性にファンを増やしており、それに伴い最近はおしゃれなパチンコホールが登場をしている。パチンコにおけるプリペイド・カードの登場はこの両方の時代の流れにマッチしたものであり、パチンコホールの目指したホール造りに大きく貢献することができるものであった。

(2)機器メーカー及び関連企業

国内の景気がなかなか回復しない中、このところのパチンコ産業の成長性は魅力的なものがあり、事実パチンコ産業への異業種からの参入も多い。ダイエーやナムコなどはその代表例である。また、これに伴い、このパチンコ産業への機器の納入も非常に魅力的な事業である。特に、最近のパチンコ台はより複雑性を増し、エレクトロニクスの技術は不可欠なものになってきている。また、パチンコのプリペイド・カードシステムの潜在市場は非常に規模の大きいものとして想定されていたはずである。メーカーやその他の企業にとって、この市場は不透明性はあるものの、巨大なアミューズメント産業として、多少無理をしても参入する魅力は大きかったということができる。

(3)警察庁等の行政当局

昔から脱税などその事業の不透明さが指摘されてきたのは、ラブホテルとパチンコホールであったといわれている。実際、この2つは顧客が領収書を必要とする可能性はほとんどなく、その事業内容を隠すのは他の産業に対して容易であり、その結果、一部の業者における事業内容は不透明であったと言わざるをえない。パチンコのプリペイド・カードの導入による警察庁等の行政当局のメリットは、これにより貸し玉の状況が捕捉しやすくなり、パチンコ業界の透明化、健全化を促進できるということである。

(4)ユーザー

ユーザーにとってのメリットは、ギャンブル性の高い台をゲーム感覚で楽しみやすくなったことが挙げられる。最近のギャンブル市場はさほど成長を遂げておらず、パチンコの最近の市場の伸びが一般市民の好みがギャンブルへシフトしていることによるとは一概にはいえない。むしろ、最近のパチンコ市場の伸びはゲーム市場の伸びに似ており、ハイリスク・ハイリターンのパチンコ台の魅力は、ゲーム感覚の魅力、すなわち、ユーザーがパチンコ台を攻略することにあるのではないかと考えられる。ゲームを攻略するということは終わるまでプレイすることであるが、これと同様の感覚で、パチンコ台を攻略しゲームを終わらせることに満足する。このような攻略感覚を、ハイリスク・ハイリターンのギャンブル性の高い台ではだれでも容易に味わうことができる。

こればかりが理由とはいえないかもしれないが、実態としてハイリスク・ハイリターンのパチンコ台は人気になっており、このような台に大量の金額を投じやすいプリペイド・カードはマッチしたものとなっている。

また、先にも述べたが女性をはじめとする新しい顧客層がパチンコをするようになってきており、このような底辺の拡大に向けて、小銭をたくさん用意して何度も玉を買う必要のないパチンコのプリペイド・カードは、魅力的であったといえるであろう。

このようにパチンコのプリペイドカード導入は、すべてのステークホルダーにとって魅力的であったということができる。パチンコ産業全体の視点から見て、

・顧客のニーズにマッチする
・パチンコ台のギャンブル化というトレンドにマッチする
・業界の健全化にも寄与する
・更に異業種にとっても魅力的になり、その参入を促進する

というようにそれまでどちらかといえば閉鎖的であったパチンコ業界が拡大と更なる飛躍を遂げるための切り札としてプリペイド・カードが見られていたといっても過言ではない。

導入当時に課題としてあげられていたのは、偽造問題よりも、むしろ、テレフォンカードのメリットであった、[1]コレクター向けの販売等未利用カードによる収入、[2]実際の利用前に収入を確保することによる利息などによる収入、[3]完全に利用されないカードによる実収入の増加、等と同様の事業的なメリットがパチンコのプリペイド・カード場合、期待できないことであった。つまりパチンコのプリペイド・カードの場合には、購買したその日に殆ど全てを使いきってしまうため、テレフォン・カードようなメリットを出すことができるかといったことが懸念されていた。

3.問題の本質はどこにあるのか

問題の本質をもう一度整理してみよう。玉を直接貸すタイプの玉貸しのシステムにおいては、偽造問題は起らなかった。玉を大量に偽造しようと言うユーザーはまずいないし、大量にパチンコホールに外部から持ち込むのは不可能だからである。第一コスト的に見合わない。このように玉と貨幣が直接交換されているときには、交換の実態が把握しにくいものの、玉の偽造は難しい。また貨幣の偽造も当然ながら非常に難しいために、偽造という問題はおきにくい。

しかし、この間にカードを介在させた瞬間に偽造が問題になった。成熟した貨幣の代わりに技術的にまだ未成熟な技術を導入し、さも成熟した技術として扱おうとしたために偽造問題が大きくなってしまったのである。新規の技術の導入にあたっては、その技術の「空振り」に対してどのように対処すべきかをもっと慎重に検討することが必要である。

更に、パチンコのプリペイド・カードにおいては、責任は全てパチンコのプリペイド・カード会社に行くことになっている。その結果、パチンコホールでは偽造防止に向けたインセンティブは十分に働かない。一部ではパチンコホールの経営者側が偽造カードを利用して不当な収益を得ようと言うケースも出てきている。

このようなリスクをすべて背負い込んでも事業として進めていこうとしたプリペイド・カード会社の方も問題だが、警察やパチンコホールが技術的な問題をブラックボックスとして、何かが起ったときに自らは責任をとらないようなシステムを作ったことは、パチンコにおけるプリペイド・カードの普及という全体的な視点から見るともっと問題ではないだろうか。

これをリスクマネジメントのフレームで整理する。リスクマネジメントは一般に以下のフレームワークを考える。

(1)プリベンション(Prevention)

これは想定されるリスクを避けるべく、そのような事態に近付かないことである。ここでは、偽造問題を避けるためにプリペイド・カードを導入しないということを意味する。

(2)プロテクション(Protection)

これは想定されるリスクを避けるための策を事前に講じることを意味する。ここでは偽造問題を避けるためにセキュリティの技術を向上させ、偽造をできるだけ不可能にしようと言う策を打つことにあたる。

(3)エマージェンシー・プラン(Emergency Plan)

これはあらゆる想定される事態を事前に想定し、そのための対応策を検討しておくことを意味する。これは、どのような形で偽造問題が発生したときに、どのような形で対応することにより被害を最小限にしていくかを検討することになる。

(4)リカバリー・プラン(Recovery Plan)

これは問題が生じたあとに、どのような形で正常な状態に戻していくかを検討することを意味する。ここでは、偽造問題が起ったときにどのような形で正常な状態に戻していくかということになる。

このようなフレームで考えると、パチンコのプリペイド・カード問題は、プリベンションはあまり意味がない。なぜならば、プリペイド・カードの導入はすべてのステークホルダーにメリットをもたらす行為であったはずだからである。プロテクションに関しては、プリペイド・カード会社や機器メーカーが考えるという現在の体制は基本的にはある程度、いたしかたないであろう。この部分がプリペイド・カード会社のもたらす付加価値であり、ここにプリペイド・カード会社が責任をもたなければ存在価値はないといっても過言ではない。しかし、エマージェンシー・プランやリカバリー・プランに関しては、ステークホルダー全てで負担をしてもよかったはずである。リカバリー・プランに関しては、現在、有価証券偽造などの罪で犯人を検挙したり、高額のプリペイド・カードを廃止する方向での検討を行ったりしている。しかし、何かがおこった時にどのように素早く問題に対応すべきかというエマージェンシー・プランに関してはあまり検討されていないのではないだろうか。この部分をもっと事前に検討することにより、すべてのステークホルダーである程度の責任を分担することは可能になったのではないかと考えられる。

4.ではどのようにすべきなのか

上記のような方向で考えると、今のパチンコのプリペイド・カードを取り巻く問題に対しては、

・エマージェンシー・プランの検討
・各ステークホルダーのインセンティブの向上

という2つの方向で対応策を考えておく必要があったと考えられる。

エマージェンシー・プランというのは、先にも述べたように、プリペイド・カードの偽造が起ることを前提として、いかに素早く対応し、被害の広がりを食い止めていくかということである。この方向としては、いかに不正の及ぶ範囲を最小限にするかことと、いかにすぐに見つけるかということを具体化することが挙げられる。

不正の範囲を最小限に押さえるためには、[1]「時間的な利用抑制」、[2]「空間的な利用抑制」、[3]「金銭的な利用抑制」、という3つの方向が考えられる。これにより、偽造技術の開発コストに対する期待効果を小さくすることができる。

例えば、「時間的な利用抑制」のためにはシステムを動的にどんどん変えていき、ある特定の技術による偽造の有効な時間を短くすることが考えられる。また、「空間的な利用抑制」のためには、全国でカードの標準化を図るよりも例えばハウスカード化などが有効な手段であるだろう。これは、カード技術にも競争原理を導入することになり、技術の向上までも期待することができる。「金銭的な利用抑制」のためには一枚のカードで利用できる金額を小さくすることが考えられる。この方向では、現在、高額のプリペイド・カードを廃止しており、対策は実施されている。

いずれの方策も、プリペイド・カードにおけるユーザーの利便性は制限されるが、偽造による被害を最小限に食い止め、プリペイド・カードを存続させるために、ユーザーとしても一歩譲るべきところである。

また、すぐに不正を見つけるための方策としては、[1]パチンコホールが見つける、[2]警察が見つける、[3]プリペイド・カード会社が見つける、などが考えられる。しかし、[1]のためには見つけるためのインセンティブをどのように設計するかが問題であり、[2]のためには警察の能力、あるいは情報リテラシーが問題となる。[3]が現状での対策にあたるが実際のところはシステム的に課題のあることは現段階ですでに明らかになっている。

これらのシステムを存続させるためには、特にパチンコホールの取り締りに向けて、どのように前向きに取り組ませていくかが最大の課題となる。これが先にあげた各ステークホルダーのインセンティブの向上にあたるものだが、プリペイド・カードの偽造に対してパチンコホールのインセンティブをどのように設計するかはパチンコホールの不正を防ぐとともに、一部ユーザーの不正行為を罰したり、あるいはさせないためには非常に効果が期待できる。例えば、不正が発生する毎に、パチンコホールにもペナルティを課したり、あるいはある程度の期間、偽造行為がなかったホールに対してはシステム管理に協力したとして、ペイバックを与えるような仕組みが考えられる。こうしておけば、一部の報道で報じられているように、パチンコホールが自ら偽造カードにより玉を購入して換金したりする行為は減少するはずだ。

このように、最初から複数のステークホルダーで責任とリスクを分担することが必要になると、プリペイド・カードの導入はもっと遅れることになったであろう。しかし、テレフォン・カードのように、メリットを受けるのも、技術に対して責任を負うのもNTTであるというケースと違って、いくつかのステークホルダーでメリットを享受しようとするならば、その応分のリスクを全てのステークホルダーで追うべきである。その点に関して十分な検討をすべきだという議論は決して言いすぎではない。その議論がなかったために、プリペイド・カードが今後、拡大できるかどうかは非常に疑問な状況になってしまっている。

世間一般に、技術や科学が「わからなかったから」という言い訳により、責任を回避しようとするケースは非常に多い。例えば、東海地震の予知体制の問題も地震予知の「空振り」の視点が欠けてしまっていたがゆえに、東海地震の警戒宣言が非常に出しにくい状況を招いてしまっている。

技術や科学はまだ未成熟な段階では「空振り」することを事前に考慮しておかなければならない。技術がわからなかったといういいわけはそろそろ卒業する必要がある。その技術が未成熟であることを事実として認め、その上でその技術の未成熟さを社会システム、事業システムとしてどれだけバックアップできるかという検討をもっと進める必要がある。特に、プリペイド・カードやコンピュータ・システムに関しては、そのような「空振り」への対応という視点は不可欠であると考えるべきであろう。

5.エレクトロニック・コマースの実現に向けた課題

さて、マルチメディア社会の実現に向けて現在非常にホットな話題なのがエレクトロニック・コマースである。現在、国内でもエレクトロニック・コマースの実現に向けて、いくつかの企業グループによる実用化実験が盛んに行われている。
エレクトロニック・コマースとプリペイド・カードにおける共通点としては以下のようなものが挙げられる。

・片方はパチンコ、片方はマルチメディアといった成長市場を対象としたビジネスで、参入企業にとって魅力的である。
・貨幣と商品の交換のプロセスの間に、技術的にはまだ未成熟なものを介入させて、ユーザー及び企業の利便性をあげることにより、付加価値を提供することを目的としている。
・片方はプリペイド・カード、片方はネットワークというようにともに情報技術に依存している。
・片方はパチンコ愛好者、片方はマルチメディアユーザーというように、ある程度片よりはあるものの、幅広いエンドユーザーを対象としている。これはシステムと接点を持つ人間の数が非常に多いことを意味する。しかも、一部にはプロがいて、ユーザーの中に隠れることが可能になっている。
・しかし、金銭や商品の取引において直接、ユーザーとの接点をとることがない。

このように両者ともある意味では情報社会、情報空間、サイバースペースといった新しい社会における特徴的なメディアと言ってよいであろう。したがって、エレクトロニック・コマースにおいて生じる可能性のある問題をパチンコのプリペイド・カードの問題から検討することは、性質はかなり異なるかもしれないが、示唆する点も多いはずである。片方は博打性が強く、性格は異なるのではないか、という表面上の違いを最初から議論すべきではない。

エレクトロニック・コマースはいくつかの方式があるものの、簡単に言えば、以下のようなビジネスプロセスにより成立する。
電子キャッシュをネットワーク上で支払う。
商品を顧客に渡す(送付する)。
電子キャッシュの取引に基づき、実際の貨幣の取引が行われる。
ここで、問題となるのは、電子キャッシュの「セキュリティ」である。エレクトロニック・コマースでは、現在、この「セキュリティ」を技術によりいかに守っていくかが普及にむけたひとつの課題とされている。しかしながら、プリペイド・カードの場合、システム全体が「セキュリティ」に過度に依存していた。そして、これが破られることにより問題が発生し、被害が拡大したのである。

したがって、エレクトロニック・コマースが普及していく過程においては、むしろこの電子キャッシュの「セキュリティ」に完璧を期待せず、これが未成熟であくまでも第三者に破られてしまう可能性を否定しない、いわゆる技術の「空振り」を考慮したシステムを検討することが重要になるのではないだろうか。

商品の取引では問題は生じる可能性は実は少ないのではないかという指摘がある。確かに、クレジットカードとリンクさせた電子キャッシュに依存した通信販売では、商品配送のシステムがサイバースペースと独立しているために、他人が不正を行っても商品をその人間が受け取ることはできない。したがって、不正による事故は最終的な商品のやり取り以前に気づくことが可能であり、被害が大きく広がる可能性は、クレジット・カードのシステムがハッカーにより破られない限り少ないであろう。

しかしながら、エレクトロニック・コマースの場合、問題となるのは情報やソフトの購入や通信の利用である。これは商品の取引形態が、これまでのシステムとは大きく異なる。その場でオンラインで商品を受け取ることが可能であり、その代金の回収は後回しになる。つまり、貨幣のパスとロジクティックスが独立していないために、購入した商品を他人が奪うことが非常に容易になる。社会がソフト化することは、情報の商品における割合が大きくなることを意味する。いつまでもハードウェアだけが商品の対象であることはないのである。

このようなエレクトロニック・コマースに関する問題の解決策をリスクマネジメントのフレームから整理すると、プリベンション、プロテクション、エマージェンシー・プラン、リカバリー・プランとしては以下のような方向が考えられる。

(1)プリベンション

これは、エレクトロニック・コマースを利用しないことを意味する。エレクトロニック・コマースが有用でなければこの方向は問題を発生させないためにはいちばんいい方法だが、サイバースペースの実現に向けて、このようなオプションはいまのところ考える必要はない。どうしようもなくなったときに、考えればいいことである。

(2)プロテクション

これは、主に技術的にいかに不正取引を防止するシステムを構築するかということにあたる。現在のところ、エレクトロニック・コマースのリスクに関してはこの視点からの検討が主であるように見受けられる。

(3)エマージェンシー・プラン

これは、不正取引が起ったときにいかに対応するかという社会システムとリスクを各ステークホルダーでシェアする方法の検討にあたる。

(4)リカバリー・プラン

これは、不正をいかに取り締まるかということにあたる。

このような形で考えると、エレクトロニック・コマースの導入にあたっては、検討すべき課題は、決してセキュリティ技術のようなプロテクションばかりでなく、同時にエマージェンシー・プランを検討し、不正や犯罪が起ったときのリスクの分散をどのようにしておくかをあらかじめ考えることも重要であることがわかる。また、プロテクションの視点からでは、偽造や犯罪のリスクの検討は技術的にどのように防いでいくかという議論に問題が集中しがちである。しかし、エマージェンシー・プランを検討することによりむしろプロテクションの方法を社会システムの問題から検討することも可能になるはずである。

エマージェンシー・プランをパチンコのケースと同様に考えてみると、方法としては利用抑制と不正の早期発見が考えられる。利用抑制には、

・システムの動的な変更、例えば短期間毎のパスワードの変更
・利用用途の制限
・利用金額の制限

などの方法が考えられる。また、不正の早期発見の視点からは利用金額のチェックサイクルの短期化などがあるだろう。

更に、先と同様に、ステークホルダーを考えると、エレクトロニック・コマースには、エレクトロニック・キャッシュ会社、商品を提供する企業、そしてユーザーがステークホルダーとして挙げられるが、ここでひとつの問題として、取締る側がここに登場しないことに気づく。先のフレームにおけるリカバリー・プランを充実させるためには、法的な処罰のあり方もさることながら、むしろ、取り締り側の情報リテラシー、対策能力の向上が大きな課題になることが考えられる。実は、この視点はサイバースペースの発展のためには重要である。別な例を挙げてみると、CALS(Commerce At Lightning Speed)においても、公共工事にCALSを導入するにあたっていちばん問題なのは、発注者側の情報リテラシーであると指摘する声もある。

エレクトロニック・コマースの普及に向けての社会システムの検討においては、このような形でリスクマネジメントの視点からの検討を深めることが非常に重要なのである。どのようなセキュリティ・システムでも、破られてしまうという技術の「空振り」の可能性は決して小さくない。したがって、すべての責任を一カ所、特に技術的側面に集中させ、その他のステークホルダーに、システムを守るインセンティブを起させないといった、パチンコのプリペイド・カードに見られた事態を繰り返してはならない。このような方向からの検討は、エレクトロニック・コマースの導入と幅広い普及を、最初のうちは遅らせることになるかも知れない。しかし、最初に導入を早まって大きな社会問題を生じさせ、あとからエレクトロニック・コマースの普及にブレーキがかかってはもともこもないのである。パチンコのプリペイド・カードの教訓に、もっと学ぶべきである。

エレクトロニック・コマースは今のところどうしてもセキュリティに関する技術的な問題とアプリケーションの問題に議論が集中しがちなように見受けられる。しかし、エレクトロニック・コマースの将来性に期待が高まる中、本当に社会的な普及を目指すのであれば、初期の段階では、あくまでも技術の未成熟さを前提とするべきである。そして、そのためには未成熟なセキュリティ技術の「空振り」を許容する社会システムをどう実現するかという視点からの議論を、もっと深める必要があるのではないだろうか。
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