Business & Economic Review 2002年08月号
【OPINION】
日本版DRG の構築に向けた課題
2002年07月25日 飛田英子
政府の医療制度改革大綱(2001年11月29日)を受けて、部分的にではあるが、ようやくわが国の医療制度改革が動き出した。厚生労働省によると、わが国の医療費は1999年の31兆円から2025年には81兆円へ、GDP比で8.1%から11.5%へ増加する見通しであり、膨らみ続ける医療費の抑制が国民的な課題となっている。このため、医療の質を維持しつつコストを削減する観点から、非効率的と批判される医療提供体制の見直しや、診療回数や投薬量に応じて医療費が増加する出来高払い方式を中心とする診療報酬体系の改革が推進中である。具体的には、電子カルテやレセプト電算処理をはじめとするIT 化の推進、広告規制の緩和や医療機関情報の提供の推進、一つの疾病につき定額の医療費が支払われる包括払い方式の拡大等が取り組まれている(ただし一方で、医療費増加の主因である高齢者医療制度の抜本改革や、被用者健康保険と国民健康保険の格差是正を図る医療保険制度の一元化については、何ら進展がみられていない状況である)。
なかでも診療報酬体系の改革については、過剰診療や過剰投薬にかかるコストを削減する目的から、包括払い方式の適用範囲をさらに拡大することが必要となる。そこで、健保連や一部学者の間で有力視されている手段がDRG-PPSである。
DRG(Diagnosis Related Group)とは疾病分類の一つで、国際疾病分類(ICD9)で約1万ある疾病分類を、治療に費やした医療資源(具体的には、マンパワー量、医薬品や医療材料の量、入院日数等)の必要度を基準に500~600の診断群に統合したものである。例えば、同一疾病でも年齢や合併症の有無によってコストが大きく異なる場合には、各々が別のグループに分類される一方、コスト的に類似している場合には、すべて同一のグループに分類される。
一方、PPS(Prospective Payment System )とは包括払い方式のことで、検査料、投薬料(および入院の場合は入院コスト)等を合わせた医療費が一定水準に定められている。
このうち、DRG分類に基づいて医療費が設定されているものをDRG-PPSと呼び、医療コストを抑制する手段として注目されている。 DRG-PPSの実例としては、アメリカの高齢者医療制度(メディケア)が挙げられる。アメリカでは増え続ける高齢者医療費を抑制するため、83年に入院医療費に対してDRG-PPSが導入された。公的医療保険を管理するCMS(Centers for Medicare and Medicaid Services)のデータによると、DRG-PPSの導入以降、平均入院日数が短縮(90年9.0日-2000年6.0日)するとともに、一人当たり医療費の増加スピードが鈍化(73~82年年平均増加率15.1 %-83~92年同8.0%)しており、DRG-PPSが医療費の抑制に有効であることが分かる。ちなみに、CMSのデータを基にDRG-PPS導入によるメディケア医療費の削減効果を推計すると、99年で約300億ドル、メディケア医療費全体の13%に達するとの結果が得られる。
こうした状況下、わが国でもDRG-PPSの本格的な導入に向けた動きがみられる。すなわち、すでに包括払い方式が適用されている長期入院や慢性期の外来医療に加えて、急性期の入院医療についても包括払い方式の導入が可能か検討されている。具体的には、98年11月から10の医療機関で、急性期入院医療を対象に183分類に基づいた包括払い方式が試行中である(「急性期入院医療の定額払い方式の試行」。以下、試行)。 ただし、この試行を全面的に適用したとしても、わが国の医療費が適正化すると判断するのは早計である。これは、わが国の試行における疾病分類(183分類)が、アメリカのDRGとは全く別物なためである。すなわち、DRGが治療過程におけるコストを考慮して作成されているのに対して、183分類は疾病と治療方法のみを分類対象としており、患者の年齢やコストの違いに関する情報が反映されていない。このため、アメリカではDRG診断群毎のデータの比較を通じて治療方法の改善やクリニカル・パスの開発を通じてコスト圧縮が進んだのに対して、183分類では患者データの比較すら困難である。実際、試行後1年間に係る状況調査(平均在院日数、入院比率、投薬・注射の点数、業務改善等の変化、患者満足度をはじめとする22項目について、改善度合いを調査)によると、多くの項目で評価困難との結果であった。
さらに、本来のDRG-PPSを導入した場合でも、医療費の抑制は期待薄である。すなわち、アメリカのケースをみると、メディケアの医療費は抑制されたものの、医療費全体では増加基調に変化はなく、GDPに対する比率は80年の8.8%から2000年には13.2%へむしろ上昇している。これは、クリニカル・パスの開発を通じたポジティブなコスト圧縮が行われた一方、出来高払い方式から包括払い方式へのシフトに伴う収益減をカバーしようと、メディケア対象外の患者へコストが付け替えられていた(コスト・シフト)ためである。
医療費の抑制は医療提供体制の効率化を通じて実現されるべきであり、包括払い方式の導入については、コスト・シフトを防止する環境が整ったうえで包括化が適合する疾病分類にとどめるべきと考える。そのためには、日本人の疾病構造や患者特性を反映した日本独自のDRGを構築するとともに、PPSと切り離して日本版DRG を単独で導入する必要がある。
この理由の第1は、DRGには病院評価の尺度としての役割が期待されるためである。すなわち、診断群ごとに死亡率や入院日数、治療コスト等に関する各病院のデータを分析することにより、各病院の治療水準やコスト・パフォーマンスの比較が可能となる。実際、国が医療制度を管理し、DRGを参考に独自の疾病分類を導入しているイギリスでは、政府がセカンダリー・ケア(2次医療)を担う「トラスト病院」のコストを比較・分析しており、高コストの病院に対して監査を行っている。同様に、わが国においても監督官庁である厚生労働省が各病院のパフォーマンスを分析・比較することにより、非効率な医療機関に対する監査・指導を行うとともに、医療全体のレベル・アップを図ることが可能となる。 さらに、技術レベルの優れた医療機関名を公表することにより、医療機関に対してスキル・アップのインセンティブを付与するとともに、患者自身による医療機関の選別を通じて医療産業の競争強化が期待される。現在でも医療機能評価機構による病院の評価が行われているが、ここでの審査対象は受審を希望する病院のみであることに加えて、評価の対象は施設・構造や人員配置等、ハードウェアの評価が中心であり、どの医療機関の技術が優れているかという患者が真に望んでいる情報から乖離している。
理由の第2は、DRGは病院の経営効率化に役立つためである。すなわち、同一病院内で診断群ごとにデータを比較することにより、院内の診療体制の問題点が明らかになるとともに、治療方法改善の検討材料が与えられる。また、診断群ごとに必要となるコストを定量的に分析することにより、医療資源の効率的な配分が可能となる(そもそも、DRGは病院経営の効率化と生産性上昇を目的として開発されたものであり、企業のQC活動を医療に応用する研究に端を発している)。
さらに、包括払い方式にマッチする疾病分類を明確に定めることが可能になる。なお、包括払い方式についてはコスト・シフトやアップ・コーディング等の不正行為が懸念されるが、それについてはアメリカの経験を踏まえて、レセプトのチェック機能を強化するとともに、不正行為を行った医師に対しては医師免許剥奪等の罰則措置をとることとする。
それでは、日本版DRGを構築するために、政府、医師(医療機関)および患者は何をすべきであろうか。 まず、政府については、医療用語やコードの標準化と医療情報のIT化が求められる。そもそもアメリカでDRG が開発された背景には、大量の患者データを統計処理できるコンピューター技術の進歩があったことを考えると、まず多数の患者の電子データを蓄積する必要がある。しかしながら、わが国では患者データを電子化している病院がわずかなことに加えて、電子化には多額のコストがかかるためIT化へのインセンティブが小さい。さらに、IT化を進める医療機関についても、独自のコード体系や様式を使用しているのでデータ間の互換性に乏しい。したがって、政府が主導して基準化を進めるとともに、IT化への取り組みを診療報酬上で評価する等、医療機関に対してIT化のインセンティブを付与することが求められる。 次に、医師と医療機関については、IT化への取り組みと日本版DRGへの理解が求められる。従来の手書きのカルテ・システムのもと、独自の記録方法に慣れ親しんだ医師にとって、電子化は手間と時間を伴う。しかし、日本版DRG導入による効率性の向上は患者満足度を改善し、ひいては医療に対する国民の信頼確立につながることが期待される。このため、医師と医療機関についてはIT化を果敢に進めるとともに、医療情報を積極的に開示することが期待される 。
さらに、患者については自己責任の徹底が求められる。すなわち、日本版DRGの導入に際しては、患者が治療に関して全面的に医師に委ねるのではなく、治療への積極的な参加を通じて自らが選択・判断する能力を備えていることが条件となる。そのためには、具体的には疾病や薬剤、医療機関に関する情報収集を行うとともに、予防医療に努める責任を認識する必要がある。