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Business & Economic Review 2002年02月号

【OPINION】
雇用創出にはジェンダーの視点が不可欠である-なぜ、働く母親への政策的支援が必要なのか

2002年01月25日 新美一正


最近、ある官庁外郭団体の発行する雑誌の編集後記を眺めていて、大いに驚かされたことがあった。雇用問題の特集を組んでいたのであるが、雇用の男女差別は国民の合理的行動の結果だから、政策的介入の必要はない、雇用保険や最低賃金制度も、市場メカニズムをゆがめる点では全く同じ、などという主張が、得々と説かれていたからだ。

このアジテーションのネタ元が、Journal of Labor Economics の1985年第1号に載ったGary Becker 教授の“Human Capital,E.ort,and the Sexual Division of Labor ”なる論文であることは、容易に想像がつく。同論文は、多くの国々において一般的に見受けられる、家庭内の性別による役割分担(通常は夫がフルタイム勤務、妻が専業主婦)という現象を、経済合理的に説明した記念碑的論文である。モデルの核心は、ある分野に特化した人的資本には収穫逓増性が認められることと、育児や介護などの家事労働は余暇と比べ、より多くの労力を必要とする、というニつの仮定である。この仮定の下では、夫婦は外部での賃労働と家事労働とを互いにシェアするよりも、それぞれが一方の分野に特化し、家庭内分業を行った方が、人的資本の蓄積の面で有利となる。同時に、労力の初期賦存量を所与とすれば、その多くを家事労働に割かねばならない一方(多くは妻)の時間当たり稼得が、もう一方(多くは夫)のそれを下回ることになるのも当然の帰結である。こうして男女間の賃金格差は、経済合理的に説明可能という意味で「差別」ではない、という「常識」を覆す結論が演繹されるのである。

ベッカー教授は、差別、恋愛、犯罪など、それまで経済学の分析対象として考えられてこなかった世の中の森羅万象を経済モデル化することに情熱を傾けてきた人物で、一部の研究者は彼を経済学者というよりも、「idol 」に近い存在とし て崇めているが、半面、その批判者からは、すべてを経済問題に還元してしまう「経済学の知的帝国主義者」と冷やかされてきた人物でもある。しかしな がら、かつて猪木武徳教授が喝破されたように、彼は論敵のみならず、崇拝者たちからも大きな誤解を受けてきたように思われる。ベッカー理論の核心は「人間の生と社会の一つの見方を提示したもの」であり、彼はそれをもって「現実のねじれやゆがみを見逃してしまうこと」を正当化しているわけではないからである。しかるに、彼の崇拝者たちには、現実のねじれやゆがみを所与とし、それらを是正するための政策的介入に対しては、経済原理(シカゴ学派流に言えば人間行動原理)に反するという理由で、ことごとく否定に回るという性癖の持ち主が多いようだ。

男女賃金格差は、経済合理的なもので差別ではないと是認してしまえば、家事責任を女性に負わせる、ゆがんだ社会的通念が現状以上に強化されることも、またほぼ自明である。これは女性の社会進出を、さらに阻害する方向に作用するであろう。ただし、このことは、優秀な人的資本の一部が、その持ち主が女性であるという理由だけで、賃労働への投入から排除され続けることを意味するので、男女差別の放置温存が、企業の生産性向上にむしろマイナスに作用するケースも十分にあり得る。この場合、格差是正のための政策介入は、マクロ的にみた企業の生産性向上に有益である。なぜなら、個別企業における採用政策の変更や、個々の女性労働者の努力だけでは、短期間に堅固な社会的通念を破壊することは、ほとんど不可能だからである。こうした政策介入による調整時間コストの節約という問題は、労働市場のグローバル化が進み、労働者の国境を越えた移動が常態化する近未来の産業社会において、対外競争力の向上を考えるうえで、重要な論点の一つとなるであろう。

そもそも政策提言は、白紙の解答用紙に理想の経済システム像を描けば済むという性質のものではない。失業保険にしても、最低賃金制にしても、現実に存在し、機能している制度を廃止すれば、当然にそのリアクションも発生するはずである。政策担当者には、そのトレードオフ関係を注意深く考慮して意思決定を行う責任がある。複雑な経済社会を極度に単純化された経済モデルで断罪するのは、学者の遊芸ならばともかく、政策担当者には許されない妄動である。事実、こうした一つのナイフで何でも切ろうとする政策エリートの貧血症的厳格主義が、現実の政策提言と結び付いて、しばしば実体経済に破壊的悪影響をもたらしてきたのである。97年秋のアジア金融危機を総括するに当たって、スティグリッツ教授が強調された「内輪受けする理論モデルの構築にばかり身を入れず、もっと現実との接点を重視せよ」という忠告は、われわれ経済分析に従事する職業人すべてにとって、大変に重い言葉である。

ところで、21世紀という現在の視点に立って今後の雇用問題を考えるとき、前掲したベッカー教授の理論モデルには、一つの致命的な欠陥がある。それは、教授が家庭内分業を論じる際に、暗黙のうちに、「片働き家庭」を念頭に置いている点である。言い換えれば、ベッカー・モデルの結論は、家庭内に一人の賃労働従事者が存在し、その稼得によって当該家庭内の複数メンバーが、恒久的に生活を維持していくことができるという仮定に、決定的に依存している。 確かにこの仮定は、20世紀後半の先進国(工業化社会)においては、きわめて自然なものであった。男性一人が世帯を代表して賃労働に従事し、女性が育児、介護などの家事労働専任者となる家族モデルが最大の厚生を保証してきたのは、工業化の進展が、生産性の急速かつ恒久的な上昇を通じて、男性の継続的雇用と所得の成長とを実現できたからである。こうした片働き家族モデルが安定的なものである限り、政府が供給すべき福祉は、安定的家族モデルから逸脱した一部の家庭(母子家庭など)への限定的な生活扶助制度と、労働可能年齢を過ぎた高齢者に対して最低生活資金を保障する老齢年金制度ぐらいになる。事実、例外的に社会民主主義政権による福祉国家制度を志向してきた北欧諸国などを除けば、多くの資本主義国における社会福祉制度は、この二つ、とりわけ老齢年金制度を中心に整備されてきたのであった。

しかし、ポスト工業化の進展による産業構造の激変と少子高齢化の進展という社会構造変化は、今や20 世紀型社会モデルを大きく変容させつつある。すでに多 くの先進国において、製造業部門は男性労働者に対して、彼の限界生産性と乖離した家族賃金を支払うことが困難化しつつある。少なくとも経済合理的に行動する企業にとっては、この問題の解決策は明らかであって、中高年労働者に対する解雇・賃下げ圧力が(差し当たり未曾有の不況下にあるというわが国の特殊事情を捨象したとしても)、長期にわたって継続するであろうことは、ほぼ確実である。 とすれば、片働き家庭にとって中長期的な所得安定を図るための最良の手段が、共働きへの移行であることはもはや明らかである。事実、OECD のデータによれば、子どものいる家族の貧困率は共働き世帯において、すでに明らかに低くなっている。母親が家庭外で働くことこそ、社会・産業構造の変化が家庭にもたらすリスクへの有効な、そして恐らくは唯一の対抗手段なのである。 しかしこのことは、これまで配偶者ないし母親(すなわち女性)の無賃家事労働によってもっぱら賄われてきた育児、介護などの家事サービスが、外部化されなければならなくなることを意味している。つまり、これまで家庭に縛り付けられてきた女性に十分な量の代替的家事サービスを供給することによって、初めて女性の社会進出が促進され共働き化が進行する。そして、こうした共働き化の進展によって、初めて男性雇用の流動化あるいは賃下げによる労働分配率の低下が可能になり、工業部門における生産性向上への道が開かれるのである。以上のように考えれば、経済構造改革の第1歩は共働き化の促進であるというスローガンは、それほど不自然なものではない。 多くのエコノミストは、ポスト工業化社会における雇用の受け皿として、サービス部門が有望であると考えているが、サービス市場の将来像に関する具体的な展望は、まだ結論が集約されるに至っていないように思われる。多くのエコノミストは、知識集約的な高度専門労働者による高付加価値サービス分野の成長を有望視している。その一方、先に述べたような家事労働の外部化に期待を寄せる向きもまた数多い。 サービス市場の真の将来像は、神のみぞ知るであるが、少なくとも、近未来のわが国においては、後者、すなわち家事労働を代替する労働集約的サービス分野における雇用増加が、雇用創出の大宗を占める可能性が高いように思われる。

多くのエコノミストは、高付加価値サービス業に従事する専門労働者が「国境を越えて移動する」という、
グローバル経済の現実を見落としている。シリコンヴァレーやウォール街がmulti- racial society に移行して久しいという歴史的事実を直視しなければならない。工業部門から脱落したホワイトカラー労働者に教育訓練投資を施し、高付加価値サービス業に誘導しようという雇用創出策は、だから、限られた財政資金の使途としては拙劣といわざるを得ない。わが国において、これら失業者層に提供される教育訓練の内容が、ワープロ、表計算ソフトの使用法教習のレベルにとどまっているお寒い現実をみれば、このことはなおさら明らかである。 したがって、近未来におけるサービス市場(そしてサービス業雇用)の成長は、もっぱら家事労働の外部化によってもたらされる可能性が高いのではなかろうか。非熟練労働者をも含めた移民の全面的自由化という、近未来においては想定し難い状況を除外する限り、こうした労働集約型サービス業においては、海外労働者との競合は起こり得ない。つまり、高付加価値サービスのケースとは異なり、家事労働の外部化による雇用創出には、「空洞化」を恐れる必要がない。なお、こうした労働集約型サービス分野を中心とした雇用の創出というシナリオは、決して筆者の独善的な観測ではなく、先行して産業構造の高度化と少子高齢化の波に洗われた北欧諸国で、現実に発生した事実であることを強調しておきたい。例えばRosenは、60年代から90年代にかけてのスウェーデンにおける雇用情勢を分析し、男性の雇用量は民間・公的部門を問わず、ほぼ横ばいであること、女性の雇用量もまた、ほぼ横ばいであるが、例外的に地方政府による雇用量については大幅に増加していること、さらにその内訳は、ヘルスケア、デイケアなどの介護部門と教育・保育部門における雇用増によって、大宗が占められていること、の3点を見いだしている。こうした傾向はスウェーデンに限られるわけではなく、他の北欧諸国においても程度の差こそあれ一般的な現象である。つまり、サービス雇用の増加は女性の社会進出によって促進され、さらにそれがサービス分野における(女性を中心とした)雇用増をもたらすのである。近未来における雇用創出問題は、女性の視点を欠いては正しく理解することができない、といわれるゆえんである。雇用問題において「女性を特別視する」のではなく、今後の雇用問題は必然的に女性(ジェンダー)問題として考察されなければならないのである。ここに、片働き家庭モデルから共働き家庭モデルへ踏み出すことの社会経済学的な意義がある。

ところで、労働集約的サービス分野における雇用創出を考えるうえで最大のネックは、家庭内で無賃家事労働に従事している専業主婦との競合である。平たく言えば、労働サービスの販売価格が非常に高いものであれば、家計はわざわざそれを購入するインセンティヴを持たない、ということである。したがって、これらのサービスは安価に提供されなければならないが、労働集約型サービスであることを考えれば、このことは、これらサービス分野における労働賃金水準が低く抑えられなければならないこととほぼ同義である。さらにそのことは、労働集約的サービス分野の中でも相対的に高水準な知識・経験を必要とする保育や介護などの部門において、サービスの質的劣化という新たな問題を引き起こす。良質なサービスは、多くの家庭には購入不可能な高額商品となり、購入可能な価格に抑えられたサービスでは、家庭内で供給されてきたサービスの質に達しないのである。この矛盾は、いずれのケースにおいても、明らかに家庭の外部サービス購入を阻害する効果を持っており、共働き化進展の重大な制約要因となるであろう。こうした家庭内労働との競合問題は、主に高齢者層によって利用される介護サービス分野におけるよりも、もっぱら若年者層によって購入される保育サービス分野において、とりわけ深刻である。なぜなら、高齢者層にはすでに老齢年金制度が整備され、ある程度の所得保障策が講じられているのに対し、若年世帯には一般に、そのような政策的配慮が存在しないからである。事実、本当に保育を必要とする相対的低所得層に属する家庭が、十分な保育サービスを受けられない(購入できない)という保育問題は、先進国社会において、ほぼ共通に発生してきた(あるいは発生しつつある)一種の現代病理となっている。以上のように考えれば、昨今、盛んに論じられつつあるわが国における保育所入所待機児問題についても、財政制約付きの児童受け皿作り問題に矮小化して考えるべきではないことがわかる。保育問題の理解とその解消には、家族モデルの変遷や雇用創出と結び付けた、より幅広い視野に立つ分析アプローチが不可欠なのだ。

ちなみに、こうした保育問題の解決を全面的に市場に委ねたアメリカでは、優秀なベビー・シッターを雇える一握りのフルタイム共働き世帯を除けば、質の面できわめて貧弱な保育サービスしか受けられない惨状に陥っている。こ のことは相対的に所得水準の低い家庭において、専業主婦の社会進出を阻害する方向に働いている。加えて、生活保護世帯に限って、無料で公立保育所の利用を認めるヘッド・スタート制度が、制度が適用される貧困層の母親にとっては、むしろ所得水準を現状より向上させる意欲をそいで、結果的に彼女たちの社会進出意欲を低下させてしまうという深刻な副作用を発揮していることも見逃せない。これら両因が相まって、アメリカにおける「貧困の制度化」という社会的問題を生成していることは想像に難くない。しかも、女性の社会進出水準が相対的に低いレベルに抑制されてしまう結果、家事労働代替サービスに対する需要も、また低水準に固定されてしまう。このことは、保育サービスの供給が、質の面だけではなく量的にもきわめて不十分なものになるという、もう一つの保育問題の発生につながっていく。 保育問題の解決を市場メカニズムに委ね、低所得世帯には例外的にヴァウチャー給付などによる所得補助を行えば、わが国の保育サービスは質量ともに大幅に改善され、待機児問題も立ちどころに解消される、という一部の経済学者の主張は、だから、全く説得的なものではない。質量の両面で満足のいく保育サービスの供給には政府の助成が不可欠である。しかもそれは、政府が保育サービスの供給に直接責任を持つ形で行われなければならない。児童手当の増額や給付先・使途を限定しない汎用ヴァウチャーの配布などによる所得補填は、家庭外で賃労働する意図を持たない専業主婦に対する補助金としても作用するので、雇用創出と限定された財政資金の有効活用という意味で無駄が多く、現実の政策選択肢としては失格である。支給先を限定し、使途も保育園の利用に限定した保育ヴァウチャーであれば、以上の問題点はおおむね解消できるが、実際のところ、それは現状の認可保育園制度と本質的に同じものであり、ただ運営の仕組みを複雑かつ高コストにするだけのものである。わが国における保育供給不足の主因は、収支フローの不整合というよりは、むしろ立ち上げにかかわる諸費用(土地・建物の取得や保育士の確保など)の異様な高さである。この問題が解消されない限り保育の供給不足問題は解消されないので、当然に、市場メカニズムが有効に機能する余地もあり得ない。したがって、社会的に無用な追加コストを支払ってまで、現状の認可保育園制度をあえてヴァウチャー制に切り替えていくことには、経済的合理性が認められない。まずは、政府がこうした立ち上げ費用を助成し、保育の供給量を確保することが先決である。逆説的な物言いになるが、将来的に保育システムを市場原理に沿った方向に改革することに意義を認めるとしても、その実現のためには、当面政府による十分な助成措置の投入を甘受しなければならないのである。

強調しなければならないのは、このような保育サービスへの公的助成措置が社会全体でみれば、むしろ低コストな施策であるという点である。このことは実に多くのエコノミストたちによって誤解されている。彼らの代表的な主張は、「0歳児保育には月額数十万円もの膨大な公費が投入されており、この額は働く母親の限界生産性(労働賃金)をはるかに上回っている。このような多額の非効率な支出は財政を悪化させ、限界税率を高めるので、中長期的にみた経済成長にネガティブな影響を与える」というものだ。 しかしながら、Esping- Andersenが指摘するように、このような主張 は、静学的な視点においてのみ正当化されるものであって、動学的な視点からは明らかに誤っている。なぜなら、保育サービスの利用によって職業キャリアの中断を回避し得た女性は、キャリアの中断ないし労働市場からの退出を選択した女性と比較して、はるかに多額の生涯賃金を稼得するからである。累進所得税率の下では、このことは彼女のライフサイクル納税額が、生涯賃金の増加をさらに上回る率で増加することを意味する。エスピン-アナセン教授は、デンマークのデータを使って、保育と育児休暇を通じて働く母親に与えられる公的助成が、それを上回る納税額をもたらすという試算結果を得ている。いったん職業キャリアを中断するとフルタイム職への再就職がほとんど困難であり、フルタイム勤務者とパートタイム勤務者との所得格差が非常に大きいわが国においては、こうした納税額へのポジティブ効果は、デンマークをはるかにしのぐ水準に達するであろう。 それだけではない。公的保育サービスの整備によって誘発される共働き化の進行は、男性雇用の流動化を促進して、供給サイドにおける構造改革を進展させる。これによる生産性の向上は、中長期的な経済成長の源泉となるだろう。同時に共働き化は、世帯全体の所得を安定化させるので、消費にもプラスの影響をもたらすであろう。出生率の上昇も期待できるかもしれない。さらに、共働き化によって貧困状態に陥る世帯数が減少するので、生活保護などに充当される財政資金が大幅に節約可能となるメリットもある。保育サービスへの公的助成は、まさに「ソロバンに合う」投資なのである。

なお、小論では紙幅の関係上、保育サービスにかかわる諸問題を保育園問題に限定して論旨を展開したが、出産・育児休暇制度や長時間労働慣行の見直しなどの措置による補完が、働く母親への政策的支援として不可欠であることはいうまでもない。ただし、政策発動のプライオリティとしては、やはり保育園への公的助成措置の拡大(何よりも供給の拡大!)が最優先されるべきであろう。
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