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経済・政策レポート

Business & Economic Review 2004年11月号

【OPINION】
東アジアにおける域内金融連携を強化せよ

2004年10月25日 調査部 環太平洋研究センター 高安健一


1997年に通貨危機に見舞われてから、東南アジア諸国連合(ASEAN)および日本、中国、韓国で構成されるASEAN+3は、域内金融協力を推進してきた。その具体的な仕組みとして、自国通貨を買い支えるために必要な資金を融通するチェンマイ・イニシアチブ(CMI)の創設と、域内の貯蓄を投資に結び付けるアジア債券市場構想を位置付けることができる。東アジアの積年の課題である通貨安定と成長促進の観点から、域内における金融協力を積極的に推進すべきことに疑問を挟む余地はない。域内金融協力を前進させるには、その必要性を再確認するとともに、97年の通貨危機の教訓を生かすことが第一歩となる。今後、東アジア経済共同体の構築に向けた議論が活発化することが予想される状況にあって、わが国は域内金融協力を域内金融「連携」(partnership)へと進化させるべく、積極的な役割を果たさなければならない。
  1. なぜ域内金融協力が必要なのか
    東アジアにおいて域内通貨の安定を目的に2000年にチェンマイ・イニシアチブが創設された背景には、97年の通貨危機の影響が極めて大きかったこと、ならびに危機が多くの国々に伝播したことがある。
    域内金融協力を推進すべき理由は、ヘッジファンドなどの投機筋への対応に限定されない。アメリカの金融引き締め政策は、幾度となく新興成長国が通貨危機に陥る引き金となってきた。2004年に入ってからの利上げも、東アジアを含む新興成長国に少なからぬ影響を及ぼしている。東アジア諸国の通貨は、30年以上にわたりドル・円相場の変動に翻弄されてきた。アメリカの双子の赤字(財政赤字と経常赤字)の多くを、多額の対米貿易黒字を計上している東アジア諸国が穴埋めする構図が続いている。2004年には、中国の金融政策と為替制度が世界的に大きな関心を集めるという、新しい展開がみられた。さらに、東アジアは多くの地政学リスクを抱えており、その域内金融市場への影響は侮れない。
    他方、東アジア諸国にとって、経済成長に必要な資金の調達は依然重要な課題である。ASEAN+3は、今後とも成長資金の確保を目的に債券市場の育成に取り組む必要がある。国内の債券市場での資金調達が活発化すれば、対外借り入れへの依存度が低下し、通貨危機が発生するリスクを軽減できる。

  2. 域内金融協力の展開
    (1)介入資金の域内融通協定
    東アジアでは、通貨危機に陥る前より介入資金を相互に融通する協定が結ばれていたにもかかわらず、危機を回避できなかった。
    90年代中頃より、中央銀行の間で域内協力が進展していた。94年12月のメキシコ通貨危機の経験を踏まえ、95年11月に香港、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンの中央銀行高官が会合を開き、2国間資金融通協定に調印した。さらに、日本銀行は、96年にアジアの7カ国・地域の通貨当局との間で、相手国・地域に買い戻し条件付きで米国債を売却し、市場介入資金を調達する協定を締結した(2国間の上限は10億ドル程度)。97年に通貨スワップ協定を締結したASEAN 主要国は、同年5月にタイ・バーツ防衛のための協調介入を実施した。日本銀行も97年11月に、インドネシア・ルピア買い介入を実施した。
    通貨危機前に、域内の中央銀行の協力体制を強化する動きがみられた。95年にオーストラリア連邦準備銀行のフレーザー総裁(当時)が、アジア版国際決済銀行(BIS)構想を明らかにして注目を集めた。これは、91年に設立されていた域内11 カ国・地域の中央銀行・通貨当局による情報交換の場であった東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)を発展させる構想であった。

    (2)債券市場育成構想
    東アジアには、域内の債券市場整備に向けた構想が二つある。一つは、「アジア債券市場育成イニシアチブ」であり、2002年12月のSEAN+3非公式セッションにおいて、具体的検討を進めることが決まった。その趣旨は、債券市場を育成することにより、a.アジアの貯蓄を経済発展に必要な長期の投資に結び付けること、b.金融機関や企業による借入通貨と期間のミスマッチを解消するために、自国通貨での調達を拡大すること、c.銀行融資に過度に依存しないようにすること、などである。このイニシアチブは、ASEAN+3の枠組みで実施されるもので、2003年8月にマニラで開催された財務大臣会議では、六つのワーキンググループを設立すること、ならびに早期に具体化させることで合意した。
    もう一つは、EMEAPによる取り組みである。その第1 弾は、2003年6月に開始されたアジア・ボンド・ファンド(ABF )構想であった。これは、EMEAP構成国の外貨準備をプール(ファンドの総額は10億ドル程度)し、構成国が発行する「ドル建て」のソブリン・準ソブリン(政府およびその関連機関)債に投資するものである。
    第2弾は、EMEAP 構成国の発行体による「現地通貨建て」のソブリン・準ソブリン債を投資対象とするファンドである。これは、指標銘柄(ベンチマーク)をあらかじめ定め、市場平均に近い収益率(パッシブ運用)を目指すインデックス型ファンドである。ファンドの形態は、汎アジア債券インデックス・ファンド(PAIF)と、親ファンドがEMEAP 各国に設立された複数のサブ・ファンド(現地通貨建て債券で運用)に投資するものに分かれる。これらのファンドは、アジア諸国の債券市場に分散投資する投資家にとって、効率的な投資手段となる。ファンドの投資対象は、これまでのところソブリン・準ソブリンに限られており、民間企業の資金調達には直接的には寄与していない。
    これら二つの構想は、通貨危機後に明らかにされたものであるが、東アジアでは90年代初頭より、成長資金の確保や域内貯蓄の有効活用を目的とした債券市場育成策が実施されていた。その代表がアジア開発銀行(ADB)が91年3月に創設したドラゴン債市場である。ADB自らが最初の発行体となり、その債券を香港とシンガポールに上場した。域内外の発行体が相次いでドラゴン債市場において起債したものの、通貨危機で大きな打撃を受けた。この他にも、ADBは長期債の指標銘柄の育成を狙ってタイ債券市場で自ら起債する構想や、域内の数カ国の通貨で構成されるレインボー・ボンドを発行する構想をもっていたが、対象国の理解を得られなかった。
    東アジアにおける債券市場の育成については、世界銀行も強い関心を寄せてきた。95年に発表された「Emerging Asian Bond Market」と題する報告書は、債券市場育成の必要性ならびに各国の債券市場に関する詳細な調査結果をまとめたものである。世界銀行は、通貨危機後も、タイやインドネシアなどで債券市場育成のための支援を積極的に実施してきた。その育成策は、成長資金の調達のみならず金融政策や公的債務管理とも連動しているという視点に立ったものである。

    (3)アジア通貨基金構想
    アジア通貨基金(AMF)構想は、97年以降、域内金融協力の観点から繰り返し言及されてきた。タイが通貨危機に陥った直後の97年9月香港で開催されたIMF・世銀総会において、わが国が提案したものの、中国が消極的な姿勢をみせたことならびにアメリカが反対したために、実現に至らなかったとされている。
    AMF という公式な組織は設立されなかったにせよ、危機に陥った国を支援するための相互扶助の枠組みは成立した。それとIMF の支援パッケージがリンクしたのが、タイ、インドネシア、韓国に対する金融支援であったと考えられる。
    タイを救済するために97年8月に組成された国際支援パッケージは、総額172億ドルに達した。IMF(40億ドル)、日本(40億ドル)、世界銀行(15億ドル)、ADB(12億ドル)に加えて、オーストラリア、中国、香港、マレーシア、シンガポールが各10億ドル、ブルネイ、インドネシア、韓国が各5億ドルを拠出した。それらのうち、ASEAN加盟国、中国、香港、韓国の合計で55億ドル、わが国を加えると95億ドルとなり全体の55%を占めた。
    タイのケースが通貨危機に陥った国への金融支援であったのに対し、97年10月末にまとめられたインドネシア向け金融支援は、経済危機の発生を未然に防ぐことを目的としていた。そして、IMFなどによる資金支援の実施後に使用される第2線準備として、シンガポール50億ドル)、マレーシア(10億ドル)、ブルネイ(10億ドル)の3カ国が計70億ドルを設定した。
    97年11月に通貨危機が深刻化した韓国については、翌月に取りまとめられた金融支援パッケージのなかで、欧州諸国とニュージーランドが合計で80億ドル超の融資枠を設定した。この時点では、わが国を除く東アジア諸国には、韓国を支援する余力はなかった。他方、タイへの国際支援パッケージに参加しなかったアメリカは、第2線準備とはいえ、インドネシア(30億ドル)と韓国(50億ドル)に対して資金供与枠を設定した。アメリカは、この2カ国については、安全保障面からも関心をもっていたと思われる。さらに、IMFは97年12月に補完的準備融資制度(SRF)の創設に合意し、突発的な通貨の動揺に対して多くの資金を提供できる体制を整備した。

  3. 域内金融協力体制の設計
    (1)チェンマイ・イニシアチブの強化
    通貨危機の発生を未然に防ぐには、チェンマイ・イニシアチブの強化が必要である。チェンマイ・イニシアチブは、97年に締結されたASEANスワップ協定の資金枠を拡大するとともに、ASEAN 主要国(タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポール)、中国、日本、韓国などの間で締結される二国間スワップ協定網を加えたものである。その二国間通貨スワップ取り決め(BSA)は、介入資金の受け入れ国が一定期間後に反対取引を行い、借入通貨を返還する仕組みになっている。スワップ期間は90日で7回まで更新できるため、最大で2年間の金融支援が可能である。BSAは2003年末時点でASEAN+3のなかで16件結ばれており、融通可能な金額は総額で365億ドルとなった。
    しかしながら、全額を何ら制約なしに通貨防衛に投入できるわけではない。BSA は、IMFの金融支援が理事会で決定されるまでの「つなぎ資金」として位置付けられている。ASEAN+3がBSAを独自に発動できる金額は、IMFの90%条項により締結枠の10%に限られる。例えば、タイのBSA枠は合計で70億ドルであるが、そのうちIMFの許可なしに使えるのは7億ドルにすぎない。さらに、BSAのスワップ対象通貨が米ドルではなく、元、円、ウォンなどの場合には、外為市場で介入通貨として使うことは難しい。
    BSAを機動的に活用するためには、第1に、すでに検討されているように、現行の二国間協定を多国間協定に転換する必要がある。二国間協定では、危機にさらされた国が締結相手国ごとにBSA の発動を依頼しなければならず、資金枠の確保に手間がかかる。1回の手続きで複数の国から調達できるようにすることによって、介入資金を迅速に確保できる。多国間協定に転換する場合には、事務局(調整機能)の設置や意思決定機能の充実が伴っていなければならない。
    第2に、経済監視協議の実施・強化が必要である。これには、通貨危機を防止するための協議と、実際に資金を貸し出した場合に返済確実性を担保するための措置としての側面がある。さらに、経済監視協議をASEAN+3が独自に実施する方式と、IMF 、世界銀行、ADBなどと連携して行う方式が考えられる。通貨危機に陥った国はそうした国際金融機関にも支援を求める可能性が高いとの前提に立てば、後者を選択すべきである。通貨危機の原因が当該国の構造問題にある場合に、資金供与と引き換えにコンディショナリティ(融資条件)を課すことは自然な選択である。
    第3に、BSAの発動要件を幅広く捉えるべきである。発動が検討されるべき事態は、シンガポールなどの外為市場(オフショア市場)における売り投機への対抗に限らない。97年の通貨危機の場合も、国際流動性危機が最終的には外貨準備高の急減をもたらしたが、そこにいたるまでの経緯は、a.中央銀行が独断で大規模介入を実施したことによる外貨準備の枯渇(タイ)、b.外国民間銀行から国内銀行への外貨建て短期債権の返済要求の殺到(韓国など多くの国)、c.華僑資金などの国内資本の海外流出(インドネシア)、d.国内外企業によるドル調達の急増などであった。97年当時には想定されていなかった地政学リスクやテロが為替市場や域内の資金フローに及ぼす影響も監視対象に含めるべきである。2002年10月にインドネシアのバリ島で起きたテロ事件が、ルピア相場の急落を招いたことは記憶に新しい。
    さらに、ASEAN+3として、域内協力を強化すべき分野が二つある。一つは、ASEAN 後発国への支援である。ASEAN+3のうち、通貨危機に陥る可能性が相対的に高いのは、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムなどであろう。これら4カ国は、いまだにBSAを日中韓と締結していない。チェンマイ・イニシアチブに参加できるレベルを目標に、金融市場の整備や経済改革を支援すべきである。
    もう一つは、金融システムの安定化である。97年のアジア経済危機は、通貨価値の急落と銀行危機がほぼ同時に起きる「双子の危機」(Twin Crises)であった。ASEAN+3で合意されているように、域内の通貨安定のためにも、各国が国内金融システムの強化に取り組む必要がある。強靭な金融システムの構築は、通貨危機の有力な予防策となる。

    (2)グローバルな枠組みとの連携
    地域金融協力の枠組みは、グローバルないしトランスリージョナルな金融協力の枠組みと一体的に運営しなければ効果が期待できない。ASEAN+3の枠組みで、域内金融協力を進めるメリットは、次の二つである。一つは、97年以来、首脳会談をはじめとして、外交、経済、運輸、財務、環境を含む多くの分野で定期閣僚会議が開催されるなど、ASEAN+3の制度化が進展してきたことである。東アジアにおいてすでに交渉が始まっている自由貿易協定(FTA)に加えて、将来、日中と中韓のFTA が締結されると、ASEAN+3が東アジア経済共同体としてより鮮明に浮上することになる。もう一つは、構成国にアメリカが含まれていないために、域外からの干渉を回避できることである。
    他方、97年の出来事は、国際的な連携が不可欠であり、域内諸国だけでは大規模な通貨危機に対応できないことを示した。ASEAN+3、グローバルな金融協力の枠組みのサブ・システムとして位置付けられる。97年以降、東アジアの域内金融協力メカニズムは、グローバルな枠組みとの連携を強めてきた。アジア・オセアニア地域のBIS加盟国は通貨危機後に急増し、中国、韓国、香港、インド、マレーシア、シンガポール、タイ、オーストラリアが加わった。BIS は、もともと欧州諸国の中央銀行を中核とした組織であるが、通貨危機が頻発したことから、多くの新興成長国を迎え入れた。BISはアジア太平洋事務所を香港に設立し、EMEAP のABF の運用を担当している。IMFのアジア太平洋事務所は、わが国の積極的な誘致活動もあり東京に開設された。IMFは、中国の世界経済への影響、金融改革、為替制度などへの関心を強めている。先述のように、チェンマイ・イニシアチブには、IMFの90%条項が付与されており、実質的に両者はリンクしている。
    もとより、構成国のほとんどすべてがIMF 、世界銀行、ADBに加盟しているため、ASEAN+3とグローバルな金融協力の枠組みは重複している(ブルネイは世界銀行とADB に加盟していない)。グローバルな金融協力の枠組みと連携すべき理由として、国際資金取引が欧米市場を中心に行われていること、ならびにヘッジファンドなどの投機筋の情報が欧米市場に偏在していることも指摘できる。ASEAN+3 の金融当局が保有する情報のみで、正確な判断と対応策を構築することは難しいであろう。

    (3)金融統合の方向性を左右する域内経済統合の形態
    東アジアにおける経済統合が、欧州連合(EU)型で進むのか、それとも北米自由貿易協定(NAFTA)型で進むのかによって、金融統合への道筋は大きく異なる。今のところ、東アジアにおいてもEU型で金融統合が進むことを念頭に議論が展開されている印象がある。2001年に作成された第3回アジア欧州会合(ASEM)財務大臣会合のための「神戸リサーチ・プロジェクト」は、そうした観点から政策提言をまとめている。しかしながら、ここで忘れてはならないのは、通貨統合を成し遂げたEU とは異なり、東アジアにおける経済統合がNAFTA型で進んでいることである。NAFTA は、米墨、米加、墨加という三つのFTAの束であり、かつ各国は独自に域外の国・地域とFTAを締結している。東アジアでは、日・ASEAN、中・ASEAN、韓・ASEAN、日韓などの間でFTA 締結に向けた交渉・協議が進んでいる。それらと並行して、日本はメキシコ、シンガポールはアメリカなど、韓国はチリとFTA を締結あるいは締結することで合意している。東アジアにおける経済統合が、域外に対する共通の政策を前提としないNAFTA 型で進んでいることは、共通通貨としてのアジア通貨単位(ACU)の導入、ACU債市場創設の可能性、そして域内金融協力を展望するにあたり極めて重要である。
    EUにおける通貨統合への軌跡は、次のように要約できる。EUでは、79年に欧州通貨制度(EMS)が導入され、加盟国が通貨の変動を基準レートの上下一定幅に抑制することを義務付ける為替相場メカニズム(ERM)が導入された。
    これは、許容変動幅から離脱しそうになった場合に、無制限に市場介入を実施する義務を課すものであった。介入資金を調達するために、超短期、短期、中期の3種類の中央銀行間相互融資制度や、各国外貨準備のプーリング・システムである欧州通貨協力基金(FRCOM )が設置された。金融統合へ参加するためには、マクロ経済政策協調が必要であり、財政収支の名目GDP比率、インフレ率、長期金利などを一定水準に保たなければならなかった。基準相場を維持できなくなった場合に、経済金融政策や基準レートの変更が行われた。周知のように、92年の欧州通貨危機ではイギリスなどが巨額の介入にもかかわらずERMからの離脱を余儀なくされ、多額の為替差損を被った。
    EUにおける金融統合の東アジアへのインプリケーションとして、以下の点が指摘できる。第1 に、東アジア諸国が、アジア版ERM を導入し為替レートを一定の幅に維持するために「介入義務」を課しても、通貨切り下げに追い込まれるリスクを排除できない。アジア版ERM の導入により、自国通貨の許容変動幅が設定されると、投機筋の攻撃対象となる恐れがある。
    第2に、東アジアの域内金融協力の場合は、コンディショナリティをEUよりも厳格にする必要がある。EUでは、通貨統合に参加するためのマクロ政策協調が長年にわたり実施されてきた。IMFが開発途上国に課すような厳格なコンディショナリティを、ERMから離脱した国々に適用する必要はなかった。加えて、域内市場の統合、域内資本移動の自由化、その他の経済制度改革が、EU委員会によって着実に実施されていた。
    第3に、EUは、通貨統合の達成と共通通貨の導入を明確な目標として掲げるとともに、欧州中央銀行(ECB)をはじめとする機構改革や制度改革を実施した。これにより、通貨統合前より、ECUとECU債に対する信認が担保された。
    東アジアの場合は、金融統合を最終目標に掲げるか否かという点があいまいなままに、ACUやACU債市場の創設が議論されている。
    第4に、域内通貨相互の価値の安定である。EUのアプローチは、ERMにより域内通貨相互の変動を抑制した結果として、域外通貨(米ドル)に対しては共同フロート制(実質的にマルクの対ドル相場に連動)をとることに等しかった。これに対して、東アジアの場合は、日本を含むすべての国が米ドルに対する自国通貨の安定を重視する為替政策を実施してきた結果として、域内通貨相互の為替変動が抑制される仕組みになっている。例えば、米ドルの裏付けのもとに自国通貨を発行するカレンシーボード制を継続している香港、98年9月よりリンギをドルに固定しているマレーシア、人民元を実質的に米ドルにペッグしている中国の通貨価値は、相互に固定されている。シンガポールは、自国通貨の対ドル相場の安定を重視している。カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムのASEAN 後発加盟国では、国内で米ドルが大量に流通・保有されているドル化現象が進展している。日本、韓国、フィリピン、インドネシアなどが自国通貨の対ドル相場の安定を重視していることは言うまでもない。

    (4)中国の域内金融協力への姿勢
    ASEAN+3 が域内金融協力を推進するにあたって、中国の影響力が大きくなることが予想される。わが国は、中国とのFTA 締結交渉に、経済体制が異なることや、中国が世界貿易機関(WTO)協定を順守するかを当面見守るとの立場から消極的である。しかし、中国は域内金融協力に積極的に関与しはじめた。アジア通貨危機以降の中国の域内金融問題への対応は、次のような展開をたどってきた。
    中国は97年7月のバーツ切り下げを契機に、準備不足のまま域内金融協力の枠組みに関与することになった。これは、一つにはアジア通貨危機の原因として、94年の人民元切り下げ(実際は、貿易取引の決済に限定的に利用されていた公定レートを、市場レートに統一)により東アジア諸国の輸出競争力が低下したことが頻繁に取り上げられたことによる。もう一つは、中国がAMFに消極的であったことが、アメリカの反対とともにその設立が見送られた理由として指摘されたことである。
    中国による域内金融協力への最初の具体的関与は、97年8月に開催されたタイ支援国会議で5億ドルの提供を約束したことである。その後、97年後半からのドル高・円安局面では、国内の景気浮揚の観点から人民元を切り下げて輸出を拡大したいところではあるが、域内の通貨安定のために耐え忍んでいるとのロジックを展開した。このように域内金融協力への関与を強める一方で、98年10月には中国人民銀行(中央銀行)が債務不履行に陥った広東国際信託投資公司(GITIC)を強制的に閉鎖し、国際金融界の不評を買った。
    中国は、2000年のチェンマイ・イニシアチブへの参加により、域内金融協力の枠組みに「制度的」に加わった。中国人民銀行は2002年に、日本銀行との間で通貨危機などに際して人民元と円を融通し合う通貨スワップ協定を締結した。同様に中韓は元・ウォン、中比は元・ペソの協定を締結した。介入通貨として元を位置付けたことは、中国が域内の金融安定にコミットする意思を示したものであるが、外為市場で元を介入資金として使える余地は極めて小さい。
    中国にとって重要なのは、人民元への投機を回避することである。東アジア諸国が通貨危機に見舞われたこと、とりわけ97年10月から11月にかけて返還直後の香港が投機筋の猛烈な攻撃にさらされたことは、金融改革が道半ばである中国にとって脅威であった。それまで微調整を繰り返していた人民元の対ドル相場を1ドル=8.28元程度にほぼ固定するとともに、香港での人民元オフショア市場の開設に慎重な態度をとっている。
    ASEAN +2(日韓)は、中国との間で為替制度の選択を含む政策対話を実施すべきである。米中間の通商交渉やグローバルな枠組みであるG7などへの中国の出席といった観点とは別に、東アジア諸国の経験を生かして中国に金融・為替政策の適切な運営を促す場としてASEAN+3を活用すべきである。

    (5)97年のアジア通貨危機の教訓を生かせ
    域内金融協力の実効性を高めるためには、通貨危機発生の防止もさることながら、発生してしまった場合の協力の在り方をあらかじめ議論しておくことが重要である。そのためにも、97年のアジア通貨危機への対応を振り返る必要がある。
    通貨急落に見舞われた国にとって重要なことは、自国通貨がどの程度の水準で安定を回復し、正常な売買が行われるようになるかである。97年の場合、外為市場での取引が閑散とした状況で、アジア通貨は断続的に下落した。タイ・バーツで言えば、通貨危機前の1ドル=25バーツから98年1月には史上最安値の1ドル=55バーツへ急落した。その後は、現在にいたるまで1 ドル=40バーツ程度の水準で安定している。インドネシアの場合は、通貨危機前の1ドル=2,400ルピアから98年6月には1ドル=16,500ルピアに下落した。通貨危機に直面した国にとって、外貨準備はIMFなどからの資金支援で短期間のうちに回復させることができるが、為替レートの極端なオーバーシュートが長期化すると、民間部門がバランスシートの毀損(多額の為替評価損)に耐えられなくなる。この点からみれば、97年から98年にかけて、日米を含む通貨当局は外為市場においてアジア通貨買いの協調介入を実施し、市場心理の転換(市場メカニズムの機能回復)を促すべきであったと考える。
    他方、債券市場についても、通貨危機の影響は極めて大きかった。高金利政策の実施と企業の信用リスクの高まりは市場を混乱させた。例えば、90年代に入ってから拡大していた香港(内外一体型金融市場であり、外国人投資家の売買が活発)の債券市場は、大きな打撃を被った。東アジアの企業が発行した変動利付債(FRN)や変動利付CD(FRCD)を保有していた投資家は、瞬時に多額の評価損を抱えたのみならず、流動性リスクに直面した。インドネシアのダルマラ・インディウタマ・インターナショナル社が98年に経営難に陥り、サムライ債の債務不履行が宣言された。
    さらに、見逃してはならないのが、通貨危機後に、東アジア諸国が発行したユーロ債(ソブリン物)と米国財務省証券との利回り格差が急拡大したことである。こうした局面で、市場のオーバーシュートを沈静化させるために、先進国や国際金融機関が開発途上国のソブリン債に一定の保証を付与することを検討すべきである。ファンダメンタルズを反映した債券価格の下落は致し方がないにせよ、不必要な乱高下を抑制するための保証は正当化できよう。この局面で重要なのは、投資信託などの保有者がパニック状態に陥り、ファンド運用会社に解約注文が殺到し、その返還資金(現金)を確保するために手持ちの債券を売却しなければならないという悪循環の回避である。

    (6)資本取引規制についての域内でのコンセンサス
    ASEAN+3として、域内諸国が実施している資本取引規制をどの程度容認するかという点を確認すべきである。タイとインドネシアは通貨危機以降、投機筋がシンガポール市場などで自国通貨の売りポジションを作ることを阻止するために、オフショア市場への自国通貨の流出規制を強化した。マレーシアも98年の対ドル固定相場制導入と同時に、オフショア市場へのリンギの流出を厳しく制限した。シンガポールは、近年変化の兆しがあるとはいえ、自国通貨の国際化を躊躇している。中国は人民元の国際化に消極的である。東アジア諸国が資本取引規制を継続するとともに、自国通貨の国際化に消極的な姿勢を取ることは、クロスボーダー取引に米ドルが使用されることと同義である。また、資本取引規制は、域内における円滑な資金移動を通じた金融資源の最適配分という域内金融協力の趣旨に反する面がある。資金移動の円滑化のために、お互いの金融市場を開放する必要もある。
    このように、資本取引の自由化を進めるべき理由があるものの、開発途上国が通貨危機を防止するための有効な政策手段をもっていないこと、ならびに国際金融アーキテクチャーの改革が停滞していることを勘案すれば、ASEAN+3の構成国が急激な為替変動を避けるために資本取引規制を実施することを容認すべきである。

  4. わが国は新たな視点に立ち、域内金融協力を主導せよ
    世界一の外貨準備高を保有し、世界最大の対外純債権国であり、東アジア最大の経済規模を誇るわが国が、域内の通貨安定と成長資金の供給に積極的に貢献すべきことに疑問を挟む余地はない。わが国は、その推進のために、以下の四つの事柄に積極的に取り組むべきである。
    第1は、わが国が域内の中核国としての責務を果たす覚悟を明確に示すことである。EUの金融統合ではドイツが、NAFTAにおける通貨危機対応ではアメリカが大きな役割を果した。東アジアにおける地域統合がNAFTA型で進むとすれば、94年12月のメキシコ通貨危機に対するアメリカの対応を想起する必要がある。82年8月に累積債務問題に直面したメキシコは、86年に貿易と関税に関する一般協定(GATT)に加盟し、94年にはNAFTAを締結した。そして、同年末にメキシコが通貨危機に見舞われた際に、アメリカのクリントン政権(当時)は、メキシコ救済パッケージの組成に全力を傾け、翌年1月には総額512億ドルのプログラムをまとめ上げた。その後、貿易関係を含め両国の経済関係は一段と緊密になった。アメリカは、様々な分野でメキシコと真正面から向き合った。わが国が域内経済統合のイニシアチブをとることは、東アジアとの間でこのような関係を構築する覚悟を示すことに他ならない。それは、豊富な外貨準備を一時的に貸し出すチェンマイ・イニシアチブ、さらには資金支援策としてアジア通貨危機後に実施された「新宮澤構想」を超えるものでなければならない。
    第2は、域内金融協力を推進するための国内体制の整備である。アジア通貨危機が起きる前は、域内の資金融通協定について日本銀行が財務省と歩調をあわせながら推進していたように思われる。それが、チェンマイ・イニシアチブでは財務省主導に転換した。さらに、債券市場の育成構想については、財務省のアジア債券市場育成イニシアチブと日本銀行が参加しているEMEAP の構想が同時に進んでいる。通貨危機に対応するには、各国の外貨準備の多寡や、投機筋の動きを知る必要があるが、それには各国の中央銀行が連携することが最も適している。決済システムの安定や、BISとの連携も中央銀行の役割である。他方、IMF との調整などは、財務省が担当することになる。金融監督や銀行再建については、金融庁との協調も欠かせない。また、域内諸国の経済発展を促進する重要な地域開発銀行として活動し、わが国から総裁が選出されているADBの有効活用も忘れてはならない。
    第3は、東京金融市場の活性化である。東アジアにおける債券市場育成の目的が域内貯蓄の有効活用であるならば、域内の国際金融センターが資金仲介機能をいかんなく発揮しなければならない。東京金融市場に関して最も懸念されるのは、世界の株式時価総額に占めるわが国の割合が、湾岸紛争が起きた90年の31.0%から2003年に9.1%に低下したことである。この間に国際化ではなく市場のローカル化が進展した恐れがある。東アジアの資金調達者は、市場が大きく流動性に優れたアメリカ市場を選好するであろう。東アジア諸国の情報集積地、そして金融商品へのアクセス・ポイントとならないことには、東京金融市場を経由した域内資金交流は活発化しない。
    第4は、わが国の東アジアにおける通貨外交の目標を「円の国際化」から、信認の向上を伴った「円の相対化」へ転換することである。わが国の東アジアにおける経済的地位が中長期的に低下することは避けられそうにない。成長と安定を域内共通のコンセプトとして掲げ、その達成のためのメカニズム作りを主導することにより円への信認を高めていくことが、わが国の通貨外交の柱となるべきである。

    東アジアは、長年にわたり、域外通貨であるアメリカドルを保有・利用する環境下で、通貨価値の安定と成長資金の確保を模索してきた。通貨危機後の域内金融協力が、チェンマイ・イニシアチブと債券市場の育成から着手されたのは決して偶然ではない。その一方で、そうした仕組みでは97 年の通貨危機を回避できなかったことも確かである。
    今後、東アジア経済共同体の構築に向けた議論が活発化することが予想される。そうした動きをにらみながら、域内金融協力をより多面的で具体的な成果をともなった域内金融「連携」へ進化させなければならない。ASEAN+3が域内での連携を強化すべき理由を再確認すること、ならびに97 年の通貨・金融危機の教訓を共有することがその第一歩となる。ASEAN+3が共同で取り組むべき課題は、金融取引所の連携による域内での運用・調達の活発化、金融分野の人材育成、金融制度改革、安定した通貨制度の構築、資本取引規制の在り方、中国への対応など多岐にわたる。東アジアにおける域内金融連携が、政府部門のみならず民間セクターを巻き込みながら進展し、域内外の貿易・投資活動を支える金融ネットワークの構築に結び付くことが強く望まれる。
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