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CSRについてもう一度考えてみよう <第1回>

2006年06月19日 柿崎平


語り手:柿崎 平<主任研究員>
柿崎 平 こんにちは。ソーシャル・イノベーション研究クラスターの 柿崎 平 です。

最近、いろいろな場所で「CSR」という言葉を良く耳にするようになってきました。
しかしながら、CSRの捉え方、考え方はさまざまでつかみどころのないイメージをお持ちの方々も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、「CSR」の基礎的な部分について簡単におさらいしながら、今、なぜCSRが企業に求められているのかお話したいと思います。
「行政・非営利組織のバランス・スコアカード」 また、今回は直接お話しするわけではありませんが、組織の無形資産のマネジメントに関心がある方や、公正性や透明性を重視したマネジメントに関心のある方は、私が先頃翻訳した本「行政・非営利組織のバランス・スコアカード」をお読みください。今回お話しするCSRのマネジメントにおいてもバランス・スコアカードを活用している例もありますし、組織の持続的成長を確保するために行うマネジメントという点で、CSRの取り組みに参考にできる点をたくさん発見できると思います。

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1 CSRとは何なのか?

「CSR」とは、
C CORPORATE:企業の S SOCIAL:社会的 R RESPONSIBILITY:責任
それぞれの頭文字をとった造語です。

 われわれ個人も社会で生きていこうとすればさまざまな責任を担うことを要求されます。それと同じように、法人である企業も、社会に生まれ、その中で成長をしていこうとするならば一定の責任を担う必要があります。その責任を引き受けてはじめて社会に存在することが許されるわけです。その点は、われわれ個人も企業も同じです。

2 では、企業に求められる責任とは何か?

 これまでは、企業の責任を利益創出に求める考え方が比較的強かったのではないでしょうか。『企業は自己の利益を最大化することが使命であり、それを目指すことによってのみ社会全体の利益も最大化されるのだ。したがって、企業はそれ以外のことに関心を持ったり、ましてや資源を投入したりすべきではない』との考え方が根強くありました。
 しかし一方で、社会における企業の影響力が大きくなるにつれて、利益を出すだけでは企業の存在に見合った責任を引き受けていないとする見方が強くなってきました。経済活動の増大に伴って生じる負のインパクト(公害問題など)への責任、あるいは、企業が行うフィランソロピーやメセナ活動への期待。つまり、企業は、ただ単に目の前の利益を出すために存在する主体ではなく、社会の問題にも積極的に責任を持つ主体となることを要求する声が欧米を中心に高まってきたわけです。こうした潮流の背景には、地球環境問題に対する危機感と、主に大手企業が先導したグローバリゼーションの負の側面に対する批判がありました。

フィランソロピー



「人類を愛する」という意味のギリシア語を語源とし、社会公共のための寄付、ボランティア活動などを意味する。



 よくよく考えてみると、われわれ人間も、その成長に伴って、社会や集団における役割が変化し、期待される内容が変化し、責任も徐々に大きくなっていきます。それと同じように企業も、社会における役割が重要になったがために、期待される内容、責任(経済的責任のみならず「社会的責任」まで)の範囲が広がってきた、と考えることができるのではないでしょうか。

図

3 企業は、「責任を求められる」からCSRに取り組むのか?

 では、企業は社会から責任を問われるから、責任追及を受けるからCSRに取り組むのでしょうか。そういう側面があることは事実ですが、本来はそれだけではないはずです。そもそも、企業は生まれながらにして、社会の様々な外部者とモノやカネや情報をやりとりして生きていく存在です。ここでいう外部者をCSRではステークホルダーと呼ぶことが多いのですが、消費者、取引先、サプライヤー、株主、金融機関、政府・行政、(本社・事業者がある)地域社会、NPO・NGOなどを主に指します。そして、企業とのやりとりに対して各ステークホルダーが満足している限りにおいて企業の存続が許されることになります。お互いがお互いの関係に満足しているからこそ、その関係が継続するという当たり前のことです。

企業とステークホルダー
図:企業とステークホルダー

 例えば、顧客というステークホルダーが企業との関係に満足しないということは端的に言えば、その企業の商品・サービスを購入しないということです。
 従業員というステークホルダーが企業との関係に満足しないということは、その企業を退職すること、ないしは将来の従業員候補であった人材がその企業を就職先として選択しないということです。
取引先というステークホルダーが企業との関係に満足しないということは、取引相手を同業他社にスイッチするかもしれないということです。 株主というステークホルダーが企業との関係に満足しないということは、保有する株を売却するということ、ないしは‘もの言う株主’であればその企業に具体的な改善を迫ってくるということかもしれません。
いずれにしても、企業がステークホルダーとの関係をうまく維持できないということは、企業の存続そのものを脅かすことに他ならないわけです。

4 社会的責任の社会とは何なのか?

 やや話は大きくなりますが、社会的責任とか、社会の期待や要求などとよく言われるわけですが、その際の「社会」とは何なのでしょうか。企業に求められる社会的責任というのはいったい誰に対する責任なのでしょうか。「社会」が企業の受け付けにやってきて、「ワタクシ、‘社会’の要求はこれこれです」などと言ってくるわけではありません。つまり「社会」という実体がどこかにあるわけではないということです。そうなると、社会とは、それを構成する主体、すなわち上でいうところのステークホルダーの一つ一つと考えるべきでしょう。そうしますと、企業に求める社会的責任といっても、それが多用だということも見えてきます。全てのステークホルダーがその企業に持つ期待・要望がまったく同じとは限らないからです。むしろ、ステークホルダー間の要求が相対立する場面も多いはずです。例えば、従業員の給料を高くすれば、その分のコストが商品に上乗せとなり、顧客の不満を喚起するかもしれません。そこだけ見れば、従業員と顧客は正反対の要求を企業に行うステークホルダーと見ることができるでしょう。このように、短い時間軸で見ると、ステークホルダー間の利害が対立する局面は結構あります。

 ここで大事なことは、それぞれの企業が、「われわれが社会的責任を負おうとする‘社会(=ステークホルダー)’とはこういうものだ」と自らが定義しなければならないということです。それは企業それぞれ異なるはずです。その定義ができずに社会的責任を負うとか、CSRに取り組んでいるとは言えないはずです。その定義は具体的でなければなりません。その作業は、企業自身が、どのような主体とどのような相互依存関係をもっているのかを見つめ直す作業に他なりません。もう少し積極的な言い方をすれば、企業は、自らが存在する環境を自ら選び取り、その環境に自ら働きかけていく存在でもあるということです。それ企業の意思であり戦略でもあるわけです。

 その上で、各ステークホルダーの企業自身に対する期待や要求を確認していく作業を進めることになります。これをCSRの用語では、「ステークホルダー・ダイアログ」と呼んでいます。ステークホルダーの要求を自覚することで自らの課題を発見し、その解決にチャレンジしていくことがCSRの本質といってよいでしょう。既にお分かりの通り、それは「社会」のためだけではなく、それが企業自身のためになるからです。繰り返しますが、企業は生まれながらにして、社会に生かされる存在です。であるならば、社会との、すなわちステークホルダーとの関係を常にチェックし、自己革新を図っていくことは極めて当たり前のことなのです。その関係構築の巧拙で、企業の存続が決まるといっても過言ではありません。「CSRは経営そのものだ」と言われる意味はそんなところにあるのだと思います。

 企業は、社会すなわちステークホルダーからの期待を認識し、それに応えていくことで、自分自身を変え、さらに社会をも変えていく存在です。それがCSR経営の本質であることを述べましたが、近年、なぜここまで注目されているのでしょうか、さらに、上で述べたようなCSRを具体的にどのように推進していけばよいのでしょうか。その点については後半部分で解説してみようと思います。

~第2回目につづく

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