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リサーチ・コンサルティングの仕事を通じて見える世界 第1回 情報通信産業はコンサルティングにとって、いま最適な素材

2007年05月01日 新保豊


いわゆるシンクタンクの中枢の職種ともいえるリサーチ・コンサルティング。さまざまな専門分野を持ったコンサルタントがいるが、業務を遂行する中で、その専門分野に留まらない世界観が広がるという。今回は情報通信分野を専門とする日本総合研究所の理事(主席研究員)の新保豊に、リサーチ・コンサルティングの仕事を通じて見えてくる世界がどのようなものなのかを聞いた。

刺激的で社会貢献もできるリサーチ・コンサルティングの仕事

リサーチ・コンサルティングとは、どんな仕事なのでしょうか?

 とにかく常に勉強し続け、同時にさまざまな経験を積んでいかないと、仕事が成り立たないのが特徴だと思います。書籍を読んだり、人の話を聞いたり、議論したり……。しかし、仕事として「勉強」ができ、さまざまな刺激的な経験ができるのは、リサーチ・コンサルタントの特権ともいえるもの。しかもコンサルティングの対価までもらえてしまうのだから、面白くてやりがいのある仕事ですね。

 私たちの業界は、対価の決まり方(大きさはかなり?違うかな)という面では、スポーツ選手やタレントにも似たところがあるように思います。つまり差別化ができ、良いパフォーマンスをあげることができれば、その度合いに応じて大きな対価も期待できるのです。それによって報酬は、人によって2~3倍開きが出てきます。場合によっては、10倍以上差が出るケースもあるのではないかと思います。

 リサーチ・コンサルティングの仕事では、民間企業向けの経営戦略の策定などが中心になりますので、競争優位の仕組みを構築することなどを通じ、クライアント企業への経済的価値に寄与できます。さらに、関係する産業や経済など、マクロ面においても社会に貢献できる意味を持つことができます。日本中がみんなこの仕事に就くとおかしなことになってしまいますが、このリサーチ・コンサルティング業界が、社会(国民、業界団体、大学、国など)からもっと認知され、より競争的で健全な発展を遂げることを願っています。

非常に魅力的に聞こえますが、リサーチ・コンサルティングの仕事には、誰でも就けるものなのでしょうか?

 私自身、総合電機メーカーのエンジニアの出身。当社にもそれぞれ、いろいろな分野からの出身者がいますから、さまざまな人がリサーチ・コンサルタントになれるチャンスはあると思います。もっとも、向き・不向きもありますので、全員がコンサルタントになれるわけではないかも知れません。また、私たちの業界・分野でひとり立ちして行くには、必ずしも勉強ができればOK(≒学校の成績がよい)というものでもありません。

 その人に知識があるかどうかは、筆記テストや一言説明の場を提供すれば、かなりわかります。しかし、私たちの仕事では、それを人前で話をし相手に納得してもらうことが重要です。その提示した内容が、その企業のパフォーマンスに直結するため、結果に対しては大変気を遣います。そうした説得力を持った人かどうか、もっと言えば将来に対する展望をどの程度持っているのかも、この仕事をしていく上での大きなポイントになるのではないでしょうか。

 もちろん、こうした要素(≒能力)が最初から備わっていると望んでいるわけではありません。たいがいのことはトレーニングでできるようになるものです。なぜなら有り難いことに、私たちの大脳(と身体)はそのように働こうとしれくれるからです。



情報通信産業はイノベーションの温床

リサーチ・コンサルティングの仕事にはさまざまな専門分野があると思います。その中で、どうして情報通信産業を選ばれたのですか?

 私の場合は、情報通信が専門になったのは、半分は成り行き的、半分は必然的(と言いますか意図的)だったように思います。

 まず前者の面。情報通信分野が次第に専門になっていきました。学生時代は物理、会社に入ってからは半導体(せいぜいコンピューター)の世界に身を置いていました。最近ではITやICTと言って、半導体やコンピューターも情報通信(特に通信やメディア)まで含む言葉として使われています。しかし、この3者はかなり別物です。いまはこの通信メディア・ハイテク(3者)を欲張って1つに括って仕事しています。リサーチ・コンサルティングの業界では、TMT(Technology, Media and Telecommunications)と言われる本流・本丸の領域です。情報通信(主に電気通信)の世界との出会いは、たまたま架かってきたあるクライアントからの電話がきっかけとなったものです。話せば長くなりますので簡単にしますが、以降、勉強(研究)しながら知識や経験を深めることができました。自身で獲得するものであると同時に、日本総研という会社がそれをサポートしてくれたのですから、有り難いことでした。

 次に後者の面。3~4年もすると身に付けた知識や経験が一定量蓄積されますので、今度はそれを外に向かって発信したいという気持ちが強くなるものです。つまり、意識して情報通信分野に取り組み、さらに知識と経験を深めていきたいと。ある問題(イシュー)についての徹底的なリサーチを通じ様々なデータが収集されます。それを整理することで分析力がついて行くものだと思います。そのうち、その問題の核心部分が発見できたような感覚も生じます。さらには、ある問題の核心部分を推察・洞察(≒創造)することができるようになるのではないかと考えています。

情報通信産業とイノベーションとは、密接な関係があるのでしょうか?

 はい。情報通信産業は技術革新が最も進んでいる世界であり、いい意味で、ここはイノベーションの温床(=soil)です。文明が農耕社会から工業社会、情報社会へと進んできたなか、このイノベーションが私たちの生活や社会へ大きな影響を及ぼすようになってきました。ドラッカー(Peter F.Drucker)は「イノベーションが社会的変革にまで及ぶのには、かなり時間が(確か15~20年)かかる」といっています。いま起こっている様々なイノベーションのうち、社会システムを変えるものはそうないかも知れませんが、そのうねりはどんどん大きくなってきています。また、IT化やIP(インターネット・プロトコル)化により、企業が持つ技術や事業では、コンバージェンス(収れん・統合)の動きが注目されています。イノベーションは、このコンバージェンスを巡る動きの中にも発現されていくことでしょう。

そのコンバージェンスとは、具体的にはどんなことなのでしょうか?

 最近はIT化の中でも、多くの通信要素がIP化で本来の機能を実現できるようになりました。IP化により、モジュール化、つまりいくつかの部品的機能を集めまとまりのある部品単位にできるようになりました。するとそれらモジュールを組み合わせることで製品やシステムが効率化(低コスト化)されます。このモジュール化は、そのモジュールレベルで得意な領域に企業が事業を集約化することで「水平分業」の形態を生み出すことになります。また、当該領域や階層において、企業がさらなるスケールメリット(規模の経済性)を求める結果、やがて「水平統合」へと向かっていきます。

市場のライフサイクルに応じた企業マネジメント(垂直・水平統合化)の概観

 あるいは「垂直統合」に向かいます。これは2つのタイプがあります。1つは、従来の経済学が教えるもの。バリューチェーンの上流(研究開発、製造など)から下流(流通・販売)に至る一連のチェーンのいくつかを統合する動きです。製造業などで典型的に見られるものです。また2つ目は、情報通信特有のもので、端末→ネットワーク→プラットフォーム→サービス(コンテンツ)といった階層構造において、複数以上の階層を束ねることで、主に範囲の経済性を出そうとするものです。

バリューチェーンおよびネットワーク層の観点からの「垂直市場」

ネットワーク階層構造における「水平市場」

 FMC(Fixed Mobile Convergence:固定網と移動網の統合)のようなネットワーク階層上での固定網と移動網との水平的な広がり・収れんは「水平統合」と言えましょう。また、ネットワークとプラットフォームを一体的に提供するような動きは「垂直統合」です。こうして、もてる者の競争は、コンバージェンスを巡る戦いの様相を呈して来ました。

 また、コンバージェンスの象徴的なものに、通信と放送の融合があります。どちらも技術(ITやIP)ベースにおいては同じものを土台にして、これまでの基本機能を実現できます。技術の進化に伴い、活発な競争が持ち込まれている通信の世界ではどんどんと発展しています。それに対し、放送の世界は旧態依然とした法制度などにしばられているとともに、しがらみも多くなかなか進化して行かない。しかし、それが今後、ドラスティックに変化していく予感がします。

経営学はいわば「スタイル」そのもの。また、ミクロ経済とマクロ経済の両方への関心をどれだけ向けられるか

日本は情報通信産業でも国際的に見て、あまり芳しい状況ではないといわれていますが、その点はどうでしょうか?

 概ねそうだと言えましょう。しかし、そうした議論で抜けている視点は、マクロの経済環境に関することです。ご存知のとおり、日本はずっと(GDPデフレーターで見て1993年当たりから)デフレにあるため、デフレという逆流下の大海で舵取りをしている企業(日本丸)は、設備投資意欲を殺がれますし、何せ総需要が不足の状態ですので、せっかく良い商品やサービスを出しても売れません。どうしても高いパフォーマンスに結びつきません。

 一方の米国などは、GDPの年平均成長率で3~4%を維持しています。したがって、実質マイナス~ゼロ成長であった日本はどうしてもダメ(競争にならない)、となってしまうのです。国民や企業などにとって日本の悲劇は、このマクロレベルの経済政策の迷走(例えば、日銀の金利に関する時間軸政策のあいまいさ)にあったとも言えましょう。金利がほぼゼロに張り付いてしまうと(流動性の罠のはまった状態)、金利をコントロールすることで経済の舵取りをする(あるいはクルーグマン流に言えば、量的緩和を行ってきた)、日銀だけでは限界があります。ゼロ金利下での一段の金融緩和政策として、将来の金融政策ないし短期金利についての予想をコントロールしたり、特定資産を大量購入したりするなどの策が挙げられていますが、実際はなかなか難しい舵取りを強いられます。別途、財政からの強い刺激策などなしには、流動性の罠を脱することはできないはずです。

 最近、専門家や国のみなさんが「国際競争力を強化するには、生産性をあげよ、これで一層の経済成長にもつながる」とよくいいますが、これはそもそもおかしい話です。私が知る限り、一部の慧眼をもったエコノミストはそうは見ていません。

 デフレ下の抜本的問題は、需要(≒消費)が不足していることです。総需要が不足しているときに生産性を上げても逆効果です。企業が生産性を上げるのに最も手っ取り早いのは、時短またはリストラ(究極の時短)をやることです。生産性(=産出量〔付加価値額など〕/投入量〔労働時間〕)で定義される分母を減らせばよい。しかし、マクロ環境でみると、それは労働力が不足したり、総需要が減少したりします。言い換えると、分子も減ってしまいます。生産性向上には、分子を増大することにつながる総需要を刺激することです。日本のGDPの最大部門は、6割弱を占める家計(消費)部門です。つまり、消費を刺激し(総需要を増やし)デフレを早く脱却(景気浮揚)することが経済成長にとって一番重要なことです。

 しかし、7年間ほども国民の所得が伸びていない(私たちの給料が下がり続けてきた)ため、購買意欲が萎縮し、その結果、前言のとおり、いくら企業がいいモノを作っても売れないのです。国民が豊かになったため、欲しいものがないということも大きいかも知れませんが。また、別の大きな問題もあります。国民が一定レベルの消費を楽しもうとした際に、将来に不安がないように、社会保障の制度に信頼が寄せられているかどうかが不可欠な条件です。しかし、現実には根強い不信感をもたれています。制度の再設計と国民への説明の仕方が課題となっています。

 話を戻しましょう。生産性を上げることよりも、デフレ脱却を早くすることの方が経済成長に直接効きます。国際競争力を金額(輸出入のネットなど)ベースで、かつ短期的に見る限り、国際競争力と生産性や経済成長の話は、ほとんど何の関係もありません。このことが政治家や霞が関官僚も、議論するときにしっかりと区別されていないのではないでしょうか。もちろん、日本の国力を長期的に見るのであれば、生産性の向上と国際競争力を重視することを否定するものではありません。国際競争力を論じるときは、そのタイムスコープが問題なのです。

経営を強化したり、金利政策をとったりするだけでは、必ずしもすべてがうまくいくものではない、ということですね。

 その通りです。競争市場はミクロ経済学の対象で、経営学はここと密接な関係を持っています。しかし、経営学は、誤解を招くかも知れませんが、学問というよりも「スタイル」とでも呼ぶべきものでしょう。経営者を見て下さい。彼らの多くはMBAホルダーでもありませんし、経営学を知らないと経営できない何てことはありえません。経営者にとっては、自身が獲得した知識(経営技術)と経験(舵取りの妙を体感すること)こそ、すなわち自身の「型やスタイル」こそが大事に違いありません。

 したがって、そうして経営者の成功したスタイルを後付けで整理した程度のものが経営学となった、ということなのだと思います。もちろん、これはこの関係者にはかなり失礼な言い方かも知れませんね。もう少し、高度な知見や洞察結果などをそこに付け加えることは可能でしょうが、基本は変わらないでしょう。同じ成功をするにしても、経営者によってもその手法も大きく変わってきます。

 一方で、強固なスタイルや適切な手法をとっても、どうにもならない問題があります。それが前言の「逆流下の大海」という環境、つまりデフレです。ミクロの視点で企業が正しいこと、または合理的な行動をとっても(利益確保を求めてリストラするなど)、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも同じ理屈が通用しない。繰り返しですが、総需要が減退する(給料が減って消費意欲が殺がれる)こととなり、企業にとって儲からない状態になります。これを「合成の誤謬」と経済学では呼びます。

 したがって、企業経営者ももっとマクロ経済にも大きな関心を払う必要があります。政府に適正な景気対策を強く要求することが大事です。また、日銀が何に七転八倒しているかを知ることです。政府や官僚の行動をチェックする、マスコミや学界ももっとこの点に強い関心を示し、有効な改革を促して欲しいものです。郵政の問題などは、この後でもよかったのです。残念ながら、ここがあまり期待できない現実があります。前者(マスコミ)には、問題の核心を理解できるセンスと能力がないのではないか。また後者(学界)では有効策が一部で取り上げられていても、声が小さく、それが為政者に届かないのです。為政者には、たとえ耳が痛くとも、常に異なった視点をもった専門家、あるいは次回で申し上げる、プロフェッショナルを回りに置くなどのバランスをとることが求められます。

 一方、経営者が短視眼的に労働者(社員)への適正な支払いを怠るような経営を続けていると、めぐり巡って自分に返ってくることを知るべきです。何度も言いますが、日本のようにマクロ経済が逆風下にあると、経営戦略の効果は大きく縮減されてしまいますから、この点が非常に重要になるのです。経営(ミクロ環境)と景気(マクロ環境)は、言うまでもないことですが、切っても切り離せないものです。この両者のメカニズムを私たちはもっと勉強・研究し、明瞭な効果を生むような「知」を積むことが求められているのではないでしょうか。


次回は、日本が国際競争に打ち勝っていく上で、何が必要なのか、またそれを実現するプロフェッショナルとは、どんな素養を持った人であるべきなのかなどを聞いていきます。
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