4.コミュニケーションこそがビジネスの本質
ビジネスのもっとも基本的なところにあるのは、よい商品やサービスを作ること、それを必要としている顧客がいること、そしてその商品やサービスを媒介として、ビジネスの主体が持っている技術や誠意といったものと顧客の満足や信用といったものを交換すること(平川克美『反戦略的ビジネスのすすめ』)(注1)
平川が正しく指摘する通り、全てのビジネスの本質は、商品(有形無形を問わず)を媒介にした顧客との交換にある。交換、即ち、コミュニケーションが成立している限り、そのビジネスは社会の中での存続を許される。売上は、このコミュニケーションの総量を図る指標に過ぎない。
コミュニケーションに対する欲求、他者と分かり合いたいという欲求は、人間の根源的な欲求である。絶対に分かり合うことはできないとわかっていても、コミュニケーションの回路が開かれ、一瞬でも何かを分かち合えたという思いを共有できた時、人は無上の喜びや幸せを感じる生き物なのである。そういう喜び、幸せな思い出を積み重ねていくことが、「自己実現」という言葉の本質であると思う。
ビジネスは、その人間の根源的な欲求であるコミュニケーションに関係している。食べるために仕事をするのは間違いないが、多くの人が仕事にそれ以上のものを求める理由は、実はここにある。だからこそ、ビジネス(物々交換も含めた商い)は、人間の歴史と同じくらい古いものなのだ。ただ、ビジネスの場合、コミュニケーションを言葉ではなく、商品を媒介にして成立させないといけない点に、そのユニークな本質がある。
5.何を与えられるか
コミュニケーションの成立において問われるのは、容姿や肩書きではなく、対話力である。これはビジネスにおいても一緒で、顧客になるであろう人々と対話を成立させようと、不断に自己を磨いていくことでしか、相手を振り向かせ、信頼関係を築くことはできない。顧客とのコミュニケーションの成立を目指し、コミュニケーションそのものを楽しみながら、自己を高めていく終わりのないプロセス。それがビジネスの本質だ。ライバルに勝つことでも、目標通りの売上を達成することでも、ない。顧客は攻略するものでなく、対話する相手である。
そして、対話を持続させるためには、相手から奪うことよりも、相手に与えることを優先させる必要がある。これは、「とにかく勝てば良い」「顧客を振り向かせれば良い」的な価値観を、「顧客や社会に対して何を与えることができるか」という価値観へと転換させることを意味している。自らの事業や企業が社会に対して与えられるものは何か。どんな社会的な意義を持っているのか。「そんなに大した商売はしていない」と卑下することはない。どんなビジネスでも、見方次第で、新しい社会的意義や価値付けを見出すことは可能である。およそ全ての企業は、本来、何かこれまでにない価値を社会にもたらすために存在しているのだから。
しかし、いざ自己の存在意義を問い直すとなると、それほど簡単にはいかない。拡張や攻略の論理でビジネスの意味付けをする方がずっとたやすいから、ライバルとの競争や業界シェア、売上高等の拡張・攻略の論理に頼ってしまうのである。気持ちはわかるが、それをいくら強調しても、社員は奮い立たないことを肝に命ずべきだろう。もはやそういう時代ではないのである。したがって、安易な戦略論に頼ることなく、自らの存在意義を問い、顧客との対話、自己との戦いのプロセスを楽しむべきなのだ。
勿論、堅苦しく考える必要はない。「もっと社会に笑顔を増やそう」「もっと人々が気持ちよく過ごせるようにしよう」。そんなレベルで構わない。重要なのは、攻略や拡張のゲームではなく、人にとって価値ある何かを生み出し、与えることを目指して不断に自己を鍛練するプロセスとビジネスを捉え直し、それを楽しむ価値観を持つことである。それが社員の生きがいややりがいにつながるのだと思う。
6.ビジネスの詩学
我々は他人との争いから弁舌を生むが、自己との争いから詩を生み出す。自分が把握した、あるいは把握し得る群集を念頭に置いて確信に満ちた声を発する弁舌家とは違って、我々は不安の中で歌うのである。(W.B.イェイツ『月の沈黙を友として』(注2)
アイルランドの詩人イェイツは、不安の中で自己と格闘することに詩の本質があると言った。他人との争いから生れる「確信に満ちた」戦略論的弁舌に頼ることなく、常に自己と戦い続けるプロセスを歌うように楽しむこと。その行為を追求していけば、ビジネスという世界においても美しい詩が発生するはずだ。美しい詩は、自ずと人を魅了するものとなる。
20世紀は拡張と攻略の世紀だった。しかし、その結果はどうなのだろう?人の心も、自然も荒廃してしまったのではなかろうか。だから、これからの世紀は、拡張や攻略ではなく、このような詩学に基づいたビジネス観に転換していくべきだと思う。拡張や攻略に替えて、対話や共生にこそ価値を置く詩的な経済活動としてビジネスを捉え直すこと。顧客や社員に愛される企業になるための一歩はそこから始まるのだと思う。
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドは「演奏は競技ではない。恋愛です。」と言う言葉を残している(注3)。その顰に倣えば、ビジネスもまた拡張や攻略のための競技ではなく、相手(顧客)との合一を夢見て詩を紡ぎ出す恋愛に似た行為なのだと言えよう。
ビジネスのもっとも基本的なところにあるのは、よい商品やサービスを作ること、それを必要としている顧客がいること、そしてその商品やサービスを媒介として、ビジネスの主体が持っている技術や誠意といったものと顧客の満足や信用といったものを交換すること(平川克美『反戦略的ビジネスのすすめ』)(注1)
平川が正しく指摘する通り、全てのビジネスの本質は、商品(有形無形を問わず)を媒介にした顧客との交換にある。交換、即ち、コミュニケーションが成立している限り、そのビジネスは社会の中での存続を許される。売上は、このコミュニケーションの総量を図る指標に過ぎない。
コミュニケーションに対する欲求、他者と分かり合いたいという欲求は、人間の根源的な欲求である。絶対に分かり合うことはできないとわかっていても、コミュニケーションの回路が開かれ、一瞬でも何かを分かち合えたという思いを共有できた時、人は無上の喜びや幸せを感じる生き物なのである。そういう喜び、幸せな思い出を積み重ねていくことが、「自己実現」という言葉の本質であると思う。
ビジネスは、その人間の根源的な欲求であるコミュニケーションに関係している。食べるために仕事をするのは間違いないが、多くの人が仕事にそれ以上のものを求める理由は、実はここにある。だからこそ、ビジネス(物々交換も含めた商い)は、人間の歴史と同じくらい古いものなのだ。ただ、ビジネスの場合、コミュニケーションを言葉ではなく、商品を媒介にして成立させないといけない点に、そのユニークな本質がある。
5.何を与えられるか
コミュニケーションの成立において問われるのは、容姿や肩書きではなく、対話力である。これはビジネスにおいても一緒で、顧客になるであろう人々と対話を成立させようと、不断に自己を磨いていくことでしか、相手を振り向かせ、信頼関係を築くことはできない。顧客とのコミュニケーションの成立を目指し、コミュニケーションそのものを楽しみながら、自己を高めていく終わりのないプロセス。それがビジネスの本質だ。ライバルに勝つことでも、目標通りの売上を達成することでも、ない。顧客は攻略するものでなく、対話する相手である。
そして、対話を持続させるためには、相手から奪うことよりも、相手に与えることを優先させる必要がある。これは、「とにかく勝てば良い」「顧客を振り向かせれば良い」的な価値観を、「顧客や社会に対して何を与えることができるか」という価値観へと転換させることを意味している。自らの事業や企業が社会に対して与えられるものは何か。どんな社会的な意義を持っているのか。「そんなに大した商売はしていない」と卑下することはない。どんなビジネスでも、見方次第で、新しい社会的意義や価値付けを見出すことは可能である。およそ全ての企業は、本来、何かこれまでにない価値を社会にもたらすために存在しているのだから。
しかし、いざ自己の存在意義を問い直すとなると、それほど簡単にはいかない。拡張や攻略の論理でビジネスの意味付けをする方がずっとたやすいから、ライバルとの競争や業界シェア、売上高等の拡張・攻略の論理に頼ってしまうのである。気持ちはわかるが、それをいくら強調しても、社員は奮い立たないことを肝に命ずべきだろう。もはやそういう時代ではないのである。したがって、安易な戦略論に頼ることなく、自らの存在意義を問い、顧客との対話、自己との戦いのプロセスを楽しむべきなのだ。
勿論、堅苦しく考える必要はない。「もっと社会に笑顔を増やそう」「もっと人々が気持ちよく過ごせるようにしよう」。そんなレベルで構わない。重要なのは、攻略や拡張のゲームではなく、人にとって価値ある何かを生み出し、与えることを目指して不断に自己を鍛練するプロセスとビジネスを捉え直し、それを楽しむ価値観を持つことである。それが社員の生きがいややりがいにつながるのだと思う。
6.ビジネスの詩学
我々は他人との争いから弁舌を生むが、自己との争いから詩を生み出す。自分が把握した、あるいは把握し得る群集を念頭に置いて確信に満ちた声を発する弁舌家とは違って、我々は不安の中で歌うのである。(W.B.イェイツ『月の沈黙を友として』(注2)
アイルランドの詩人イェイツは、不安の中で自己と格闘することに詩の本質があると言った。他人との争いから生れる「確信に満ちた」戦略論的弁舌に頼ることなく、常に自己と戦い続けるプロセスを歌うように楽しむこと。その行為を追求していけば、ビジネスという世界においても美しい詩が発生するはずだ。美しい詩は、自ずと人を魅了するものとなる。
20世紀は拡張と攻略の世紀だった。しかし、その結果はどうなのだろう?人の心も、自然も荒廃してしまったのではなかろうか。だから、これからの世紀は、拡張や攻略ではなく、このような詩学に基づいたビジネス観に転換していくべきだと思う。拡張や攻略に替えて、対話や共生にこそ価値を置く詩的な経済活動としてビジネスを捉え直すこと。顧客や社員に愛される企業になるための一歩はそこから始まるのだと思う。
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドは「演奏は競技ではない。恋愛です。」と言う言葉を残している(注3)。その顰に倣えば、ビジネスもまた拡張や攻略のための競技ではなく、相手(顧客)との合一を夢見て詩を紡ぎ出す恋愛に似た行為なのだと言えよう。