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コラム「研究員のココロ」

ビジネスの詩学
~拡張や攻略の先にあるもの~<前編>

2006年10月02日 井上岳一


1.戦略言葉に対する違和感

 経営コンサルという仕事に携わっていながらこんなことを言うのもどうかと思うが、ビジネスの現場であまりに「戦略」という言葉が無自覚に流通していることに違和感を抱いている。これは、「戦略」が戦争に由来する言葉だからだと思う ()。争い、拡張、侵略、攻略、征服。いかに相手を屈服させ、自軍を守るか。それが「戦略」という言葉から立ち現れてくるイメージである。
 確かに、生き馬の目も抜くようなビジネスの世界は、戦争に例え易いのかもしれない。マーケットという名の戦場で、どれだけ多くの顧客を惹き付けることができるか。それが企業にとっての至上命題である。だから、競合他社を押し退け、顧客という名の領土を手に入れるために、あの手この手の戦略を駆使することとなる。つまり、ビジネスとは、様々な障害をクリアーしつつ、戦略を駆使して顧客を攻略するWar gameなのだ。これが戦略的なビジネス観の底に横たわる基本的な考え方だと思う。
 こう言うと、「攻略なんてとんでもない。我々は顧客満足を第一に考えている」と多くの企業人は言うと思う。しかし、そういう人が同じ口で、「顧客を囲い込むための戦略は…」なんてことを平気で言うのである。これは、顧客を攻略すべき対象として見ていることに他ならないではないか。「囲い込む」などと言っている時点で、既に「満足を与えたい」と思っている顧客に対するリスペクトや愛が失われている。顧客は敬意を持って扱われるべき一人の人間であって、攻略すべき対象ではないというのに。
 ビジネスの世界は甘くない。生きるか死ぬかの戦いだ。しかし、だからと言って、拡張や攻略の論理に基づく戦略ばかりが先行すると、何かとても大切なものを失ってしまうのだと思う。先日も、クライアントとのミーティングで、店長職にある者が、「売上拡大のための顧客の刈り取り戦略」と言っていて驚かされたのだが、戦略言葉が当たり前になると、日々お客様に接する現場レベルですら、こういう言葉を何の疑問もなく使ってしまうようになるのである。言霊の威力は恐ろしい。事業を始めるに当たって持っていた顧客への熱い想いや共感も、拡張や攻略の論理に基づく戦略言葉の前で、次第に忘れ去られていくようになる。そうなってしまったら、顧客から愛され、尊敬される企業には決してなれないだろう。愛されない企業は、一時の時流に乗って勢力を伸ばしたとしても、結局、長続きしない。

2.わかりやすい目標の限界

 勿論、目標に到達するためのシナリオを描くという意味で、戦略は重要だ。戦略なきビジネスは羅針盤なき航海に等しい。しかし、戦略を通じて到達したい目標は何なのかがはっきりしていないと、戦略自体が自己目的化し、ビジネスがゲーム化してしまう。あくまでも戦略は手段なのだから、今一度、戦略を語る前に、事業を起こした目的が何であったのか、自分達は事業を通じて何を実現し、どこに到達したいのか、を明らかにし、言葉にしていく必要がある。それが経営者に課せられた最も重要な仕事だと言えよう。
 しかし、この目標の設定がまた難しい。企業の目標として、「売上高1兆円」「業界トップ」「利益率N0.1」「シェアNo1」「顧客満足No1」等々が良く掲げられる。確かに極めて明快な目標である。しかし、こういう表現を聞くたび、「えっと、それを達成した後はどうなるんですか?」と思うし、そもそもそんな目標で社員は本当に奮い立つのだろうかと思ってしまう。
 売上の数値や業界での順位、他社との比較のような目に見える具体的な目標はわかりやすいし、社員のベクトルを合わせ、鼓舞するのには有用である。実際、私自身、今の職につくまでは、そうやって部下や同僚達に目標を与えてきた。しかし、わかりやすい目標は、短期的には効力を発揮しても、長期間その効力を持続させることは難しい、というのもまた経験から得た実感である。熱く燃える集団を、期間限定で作ることはそれほど難しくない。期間限定だと思うからこそ、目先の目標に向かって社員達もオーバーアチーブできるからだ。だが、未来永劫熱く燃える集団でい続けるなんて、普通の人間にはできることではない。大概の人は、その前に燃え尽きてしまう。
 加えて、こういうわかりやすい目標は、拡張や攻略の論理に根ざしたものであること自体に限界があるのだと思う。拡張や攻略のための目標を設定し、その達成のために、戦略を考え、遂行する。まさしく軍隊のように効率的だが、これにより、ゲームや戦争としてのビジネス観はより強化されていく。そして、ビジネス=戦争というアナロジーで、勝負に勝つことや企業規模の拡大を目指していると、ふとした拍子に「自分は何のためにこんなことをしているのだろう」と、空しさに襲われるようになってしまう。拡張や攻略の論理には、遊び心、愛、精神性と言った人を奮い立たせるための人間的な要素が欠けているからだ。これではどんなに業績が良くても、社員に愛されるような企業にはなれないだろう。社員に愛されない企業もまた長続きしない。
 結局、拡張・攻略の論理や戦争のアナロジーがビジネスをつまらなくさせているのだと思う。しかし、それに頼らずに、ビジネスを定義し、共有する目標を作ることは可能なのだろうか。

3.ビジネスは相手のない戦いである

 短距離走者(別に長距離走者でも構わないけれど)は、何のために厳しい自己鍛錬を行い、走り続けるのだろう?世界記録を樹立し、歴史に名を残したいからだろうか?ライバルに勝ちたいからだろうか?勿論、そういう欲求はあるだろうが、より根源的に突き動かしているものは、未だ人類が到達したことがない世界を体験してみたい、という想いではなかろうか。未知の世界への憧れ。誰も体験したことのない世界への想い。そのために、0.1秒、0.01秒でも速く走ろうと自己の肉体を鍛え上げ、走り方を探求するのだと思う。その時に自分の肉体が、精神がどうなるのかわからない。しかし、その限界への挑戦の中にこそ、自己の存在証明がある。
 勿論、オリンピックのような競技会の場で記録に挑戦するためには、否が応でも、他者の存在を気にせざるを得ない。同じトラックで走る他の競技者。観客席で見守る大衆達。号砲を鳴らす人や判定をする審判達の存在だって気にかかる。気候や天気も影響するだろう。そういう中で記録に挑戦するためには、当然に、他者との駆け引きや戦略が重要になる。
しかし、短距離走者のレースが、例えばサッカーのようなスポーツと大きく異なるのは、それが、勝ち負けそれ自体にあまり意味がないことだ。サッカーだったら、とにかく相手に勝てば良い。「勝負に勝って試合に負けた」と言うような言葉がある通り、どんなに素晴らしいプレーで圧倒しても、チームが勝てなければ意味がないし、逆に、チームとして勝てれば、プレーの内容自体はある種、二の次になるとも言えなくはない。
一方で、短距離走者が戦っているのは、恐らく、過去の自分であり、先人達の記録だ。自分が、人類が、未だ到達したことのない領域に到達すること。それだけに価値がある。だから、仮に競技会で優勝しても、記録自体が凡庸なものであったら、それほどの意味はないだろう。そして、優勝したとしても、その喜びは束の間のものに過ぎなくなる。一つの目標をクリアーしたとたん、新たな未知の領域が現前に広がるからだ。どこまで行ってもゴールはない。そこには未知の領域に挑戦し続ける永遠のプロセスがあるだけだ。
 ビジネスは、本質的には、サッカー的なゲームよりも、短距離走的な戦いに似ていると思う。それは相手があるようでいて、相手がいない。戦うべきは自己や歴史だ。それなのに、まるでサッカーゲームのように目先の相手との勝ち負けに重きが置かれてしまい、それを目標に戦略が語られてしまうのだ。


注 戦略(Strategy)の語源は、ラテン語のStrategiaであり、「将軍の行なう技術、軍隊の指揮」を意味した。
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