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輝く郊外

2020年06月09日 井上岳一


 自粛期間の二カ月間に多くの人が在宅でのテレワークを経験しました。これを機に、在宅テレワークは確実に増えるはずです。テレワークで良しとなれば、過密な都市より、適度に疎な郊外や地方のほうが良いと思う人も増えるでしょう。コロナ禍は、留まる勢いを知らなかった東京一極集中に歯止めをかけ、郊外や地方への人の流れを生み出す可能性があるのです。とりわけ、都心から適度な距離にある郊外の人気が高まることが予想されます。

 私は、2011年4月に東日本大震災の被災地を訪ね、東京で同じ規模の地震が起きたら家族を守れないと確信しました。それがきっかけになり、その後、都心を離れ郊外(というかほとんど田舎!)に移住しました。都市は便利で快適で文化的・経済的にも豊かですが、ひとたび機能不全を起こせば、途端に生きにくい場所になります。生命にとっては極めてリスクの高い場所。それが今の大都市、とりわけ東京です。

 実は、ちょうど1世紀前にも都市のリスクが問題になっていました。急速な工業化と都市化の進展の中で、世界中の都市で、都市の居住環境が悪化し、健康被害やスラム化など、リスクが顕在化していたからです。英国のE・ハワードは、1898年、それに対する処方箋として「田園都市」(Garden City)という新しい都市のコンセプトを提案しました。根幹にあったのは「都市と農村の結婚」というアイデアです。都市(Town)は経済的には繁栄しているが、スラムがあり、健康に悪く、人間が住む環境としては望ましくない。一方の農村(Country)は、環境は良好だが、仕事がなく、経済的な繁栄からは取り残されている。ならば、両方のいいとこどりをすれば良い。TownでもCountryでもない、Town-Country。それを「田園都市」とハワードは呼んだのです。

 この提案は世界中で受け入れられ、郊外開発のブームを生み出しました。日本でも、渋沢栄一が「日本型田園都市」の建設を目的に、大正7年(1918年)に田園都市株式会社を設立しています(現東急グループの母体)。関西では、阪神電鉄や阪急電鉄(当時は箕面電気軌道)が、阪神間を中心に郊外開発を進めてゆきました。
 興味深いのは、この時期の郊外開発が、「健康」を売りにしていたことです。阪神電鉄は、明治41年(1908年)年に小冊子『市外居住のすすめ』を発刊しますが、これは医者が編纂・執筆したもので、郊外生活の健康面でのメリットをアピールするものでした。箕面電軌は、大正2年(1913年)に、月刊のPR誌『山容水態』を発刊しています。「山容水態」とは、美しい山水を愛でる言葉ですが、山や水に恵まれた郊外でこそ人は健康で文化的な生活が営めるのだと、小林一三率いる箕面電軌は、郊外生活を称揚したのです。

 郊外が健康を売りにしたのは、それだけ大都市の環境が悪化していたからです。すなわち、都市のリスクから逃れられる場所と位置づけられることによって、郊外はその価値を獲得したと言えます(田園調布が開発された大正12年に起きた関東大震災は、文字通り人が郊外に逃げる契機となりました)。最初に富裕層が移り住んだことも、郊外のイメージアップに貢献したのでしょう。そして、この古き良き郊外のイメージがあったからこそ、戦後、大量につくられた郊外ニュータウンが、庶民の夢の住み処となり得たのだと思います。

 今、かつてのニュータウンの多くは高齢化が進行し、オールドニュータウンと揶揄されるようになっています。しかし、都心のリスクに人々が敏感になった時に、郊外の価値が高まるのだということを歴史は教えてくれます。
 日本総研では、2016年から神戸市北区のニュータウンの交通まちづくりに取り組んできました。2018年から続いている「まちなか自動移動サービス事業構想コンソーシアム」も今年で3年目。コロナ禍を福に転じられるよう、ウイルスに負けない、健康で文化的で持続可能な郊外を実現することに尽力する所存です。コンソーシアムメンバーを今年も募集しておりますので、郊外を輝かせることに興味ある企業の方は、ぜひ、ご連絡をください。


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

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