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アジア・マンスリー 2020年2月号

近づくデジタル人民元の発行

2020年01月28日 関辰一


中国人民銀行がデジタル人民元をまもなく発行するとみられる。国内における資金の流れや経済活動への統制を維持・強化するためである。加えて、米国との覇権争いという側面もある。

中国は他国に先んじてデジタル通貨を研究
デジタル人民元がまもなく発行される見込みである。中国人民銀行の穆長春・決済局副局長が2018年8月10日、黒龍江省伊春市で開かれたシンポジウムで「デジタル人民元は呼べばすぐ絵の中から出てきそうな状況である(呼之欲出)」と述べた。実際、中国人民銀行は、デジタル通貨の研究を2014年から開始し、その実用化に向けデジタル通貨研究所を2017年に立ち上げた(下表)。2018年にはデジタル人民元の体系的な開発を始め、2019年8月時点で74項目のデジタル通貨の特許を申請済みである。深セン市と蘇州で試験的に導入するとみられる。

他国においても中央銀行によるデジタル通貨発行の研究が進んでいる。たとえば、カナダ銀行は2016年3月に、民間セクターとDLT(Distributed Ledger Technology、分散型台帳技術)を使った銀行間決済などを研究する「プロジェクト・ジャスパー」を開始した。日本銀行は2016年12月にECB(欧州中央銀行)とDLTの金融市場インフラへの応用可能性に関する共同調査「プロジェクト・ステラ」を始めた。2020年1月にはBISや英中銀、ECB等とデジタル通貨の研究グループを設立したと発表した。カンボジア国立銀行は2019年7月、ブロックチェーン技術を提供する日本企業と開発した「Bakong(バコン)」の試験運用を開始した。もっとも、他の中央銀行がデジタル通貨の研究を始めた時期はおおむね2016年以降であり、中国は他国に先んじて中央銀行によるデジタル通貨の研究を進めてきた。

各国の中央銀行がデジタル通貨を研究する背景として、金融分野における技術革新、決済サービスの変容、現金利用の減少など通貨をめぐる状況が変化していることが挙げられる。また、新興国において金融サービスをすべての人々が利用できるようにするという金融包摂の議論が高まっているためである。

予想されるデジタル人民元の発行・流通の仕組みは以下の通りである。まず、中国人民銀行が金融機関の同額の準備金と引き換えにデジタル人民元を発行する。次に、金融機関が企業や個人の同額の現金や預金とデジタル人民元を交換する。その上で、企業や個人が決済や送金する際にデジタル人民元を用いる。

他方、ここで言う金融機関の範ちゅうには、アリババとテンセントも含まれると見込まれる。中国政府は数年前からこの2社に国有銀行と協業するよう指導し、準備金の積み立てなど既存金融機関に義務付けられているのと同等のルールの順守を求めてきた。いまだにアリババとテンセントは、銀行保険監督管理委員会の定義上の金融機関ではないものの、2社は実質的には金融機関と位置づけられている。

統制の維持・強化と米中覇権争い
中国政府がデジタル人民元を発行するねらいとして、以下の3点が挙げられる。第1は、海外からの脅威に備えた国内統制の維持である。米フェイスブックが発行を企図するリブラの存在は、中国政府にとって大きな脅威である。中国の金融システムは、人民元を法定通貨とし、国際的な資本移動を規制し、国有銀行に金融仲介の中心的な役割を任せることが特徴である。これらによって、政府が資金の流れと経済活動を統制し、経済・金融の安定化を図っている。仮に、リブラなどのデジタル通貨が人民元に代わって中国で広く使われると、資本移動規制は無力化され、国有銀行の金融仲介における役割も大きく低下する。中国政府が資金の流れと経済活動へのコントロールを失い、ひいては金融・経済運営の不安定化も招きかねない。中国政府が自らデジタル通貨を発行することで、他のデジタル通貨の流入を防ぐことが最大のねらいとみられる。

第2は、統制の強化である。そもそも、中国政府は資金の流れや経済活動の統制に力を入れてきたものの、必ずしも成功している訳ではない。地方を中心に企業や個人が不合理な税金や各種費用を要求されることなどが嫌気されて、中国では脱税や資本の海外逃避が社会問題となっている。また、巨額の資金が中国政府の監視・統制を回避できるシャドーバンキングに流入している。デジタル人民元を導入することで、政府が資金の流れや経済活動をより正確に把握できれば、脱税防止や金融リスクの抑制につながる。サプライチェーンの生産性やスマートシティの完成度も高まると期待される。

第3は、米国との覇権争いという側面である。中国国際経済交流中心の黄奇帆副理事長は昨年10月27日、上海で開かれたシンポジウムで「ドルを使った貿易で欠かせない国際的な決済ネットワークSWIFT(スイフト)や、米国の決済システムCHIPS(チップス)を、中国企業が使用することはリスクである」と指摘した。米国政府がドル決済をモニタリングすることで、国有企業を含めた中国企業の動きや資金の流れが米国に伝わる。また、米国政府が中国企業をSWIFTやCHIPSから締め出すことも可能である。このように、中国では国際基軸通貨がドルであるために、米国が世界の覇権を握っているという見方が多い。中国政府は経済面だけでなく、安全保障面も考慮して、デジタル人民元の国際化を進め、「ドル覇権」に挑戦する方針だと言えよう。

もっとも、デジタル人民元の他国での普及は容易ではないと考えられる。中国国内であれば、デジタル人民元が企業や個人に急速に普及しても不思議ではない。すでにアリペイやウィチャットペイを使用したキャッシュレス決済の比率は6割程度と、米国や欧州を上回る。政府がデジタル人民元の普及を目的とした補助金制度を設けることは難しくない。政府や国有企業の決済をデジタル人民元に限定することも可能であろう。しかしながら、他国での普及となると、そもそもキャッシュレス決済比率が中国ほど高い国は多くない。また、中国政府がリブラに警戒感を持つと同様に、各国政府もデジタル人民元に警戒感を持つと考えられる。習近平政権が打ち出した「一帯一路構想」に関心を寄せる東南アジア諸国やアフリカ諸国でさえも、デジタル人民元が自国通貨に代わって広く使われ、その結果、中国の影響力が高まることは避けたいのが本音であろう。むしろ独自のデジタル通貨の発行に力を入れると見込まれる。

以上のように、デジタル人民元の発行は近いとみられるが、その後の曲折も予想される。まずは、実際の発行・流通の仕組みや普及のペースなどに注目していきたい。
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