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歴史に学ぶ日本再興への道

2019年11月12日 石川智優


 江戸時代に藩政改革を成功させたとして、よく例に挙げられる歴史的人物の一人は、長州藩の村田清風(1783~1855)であるが、同時期に驚くべき改革を行った人物が他にもいる。備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の山田方谷(1805~1877)である。山田方谷は当時200億円とも500億円とも言われている藩の借金をわずか7年で完済した上に、それと同額の財政収入を得ることに成功している。
 私は最近、この山田方谷という、他の著名な歴史上の人物が描かれる際にも時折登場する逸材に興味を持ち、現代に生かせるヒントはないかと書籍を読んだり、子孫の方にお会いしてお話をうかがったりして、様々に勉強を進めている。

 山田方谷は財政再建を行うにあたり、七大改革(政策)を実施したという。具体的には、(1)産業振興、(2)負債整理、(3)藩札刷新、(4)上下節約、(5)民政刷新改革、(6)教育改革、(7)軍制改革である。各政策の詳細はここでは割愛するが、要するに産業振興により財政収入を増やし、負債整理や上下節約等により財政支出を抑え、財政再建を成功させた。私はこの7つの政策のうち、収入増のための施策である産業振興政策に特に着目している。

 山田方谷は産業振興政策として、鉄製品等特産品の育成、新しい時代の潮流に乗った産業政策、有効な公共投資、藩の事業部門新設(専売事業の推進)、船を使った江戸への直送、など次々と具体策を実行していった。これはまさに現代においても検討が進められている地方創生政策と同様のものである。

 それではなぜ、山田方谷は産業振興政策を成功させることができたのか。私見とのそしりを恐れずに言えば、藩における特産品(鉄製品等)の生産と流通を直結させて最適化した上で、その希少性(付加価値)を最大化したことが大きな要因だろう。まず、鉄製品等の特産品は藩内にある銅山を活用した。銅の産出に限らず、硫化鉄の製造、精製、またそれらを活用してベンガラを精製する技術を開発し、限りある銅山という資源を最大限活用した。流通では、同地域において江戸時代初期に全長11kmに及ぶ水路で港と直結させる物資輸送インフラを完成させており、歴史的に整備された治山治水のインフラをうまく活用して、流通の最適化を図った。

 まとまりのない話になってしまったが、現代においても、過疎化や高齢化に伴い地方創生が叫ばれている。山田方谷が行ったこと全部をそのまま現代に当てはめることはできないが、限りある地域の資源(特産品や観光地)をいかに掘り起こし、さらにそれを付加価値化し、どう人に届けるか、どう人を呼び込むかを考えることが重要という点においては山田方谷から学ぶことは多いように思う。

 現在、国内では人口減少も進み、域内のモノの生産や流通の最適化、モノの消費によって地域を再興することは難しいだろう。地域から他の地域にモノを運ぶことではなく、これからは地域に他の地域から人を呼び込み、体験などを通して産業振興とすることが有効となるだろう。それには過去に整備してきたインフラ(道路や鉄道)をいかに活用するかまで含めて考えるべきであり、地域の歴史的特徴まで詳細に把握してから政策を検討すべきであろう。

 江戸時代末期~明治初期に抱えていた課題と現代の課題を比較すると、明らかに日本が成熟する中で課題が複雑化している。「道路のないところに道路を整備する」「水道が通っていないところに水道を通す」などで解決できていた時代と、「高齢社会において限りある財源をどのように社会保障に充てるか」「人口減対策、少子化対策としてどのような施策を行うべきか」などを検討しなければならない時代とでは、明らかにその性質も難易度も異なるに違いない。
しかし、山田方谷のような人物から、現代にも当てはまる政策等のヒントを得ることも重要ではないかと、山田方谷の功績を学んであらためて感じた次第である。



※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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