日本総研ニュースレター 2010年11月号
農業における中国での現地生産・現地販売モデルの可能性
2010年11月01日 三輪泰史
満たされていない、高付加価値マーケット
目下、中国の消費者の農産物に関する最大の関心事は、食の安全性である。中国の消費者の自国産農産物への信頼感は著しく低く、中国社会科学院のアンケート調査では、「自国産の食品は安全」と答えたのはわずか12%にとどまった。
中国では、農薬や化学肥料の使用量によって「無公害野菜」「緑色野菜」「有機野菜」の3カテゴリーで野菜を規格する制度が存在し、デパートや外資系等による上級のスーパーマーケットを中心に販売されている。しかし、鮮度管理が不徹底なため茶色に変色し始めたレタス等、とても高付加価値農産物とは呼べない商品も混在しているのが実態である。当然、これらの商品の主な消費者である富裕層の満足度は高くない。
安全・安心およびおいしさの面で、日本農業は圧倒的な優位性がある。富裕層が拡大する中国市場においては、高付加価値農産物は大きなビジネスチャンスを秘めている。
農産物の現地生産が新たなグローバル化の形
中国市場に対する日本の農産物の売り込みとして、農林水産省では輸出促進に重点を置いている。実際に中国のデパートでは、日本産りんごが1玉千円以上という高値で販売されている。しかし、財務省「貿易統計」によると、2008年の輸出実績は、香港向けが795億円、米国向けが724億円であるのに対して、中国本土向けは437億円に過ぎない。
その背景には、検疫を理由とした中国の輸入規制が存在する。現在、日本から中国本土に生鮮品として輸出できる農産物は、りんご、梨等のわずか数品目に限定されており、規制が大きく緩和される見込みも薄い。
成長が限られる輸出に代わって注目されるのが、中国国内に進出し、現地で生産・販売するビジネスモデルである。これまで多くの食品加工企業が、日本への逆輸入を目的に積極進出している。これは農産物を中国で生産して加工し、日本に輸出するというもので、あくまで主なターゲットは日本市場であった。しかし、日本市場の縮小と中国産食品への不信感からこのようなビジネスモデルは岐路を迎えている。中期的な視点で見れば、逆輸入モデルから現地生産・現地販売モデルへの大胆なシフトが不可欠といえよう。
例えば既にアサヒビールは、伊藤忠商事や住友化学との共同出資で朝日緑源という農業法人を山東省に設立して農場運営を行っており、高品質な牛乳を日系スーパーマーケットやデパートにて販売している。1リットル350円程度と値は張るが、中国産牛乳でメラミン混入事件が起きたこともあり、売れ行きは好調である。日本以上の高値で販売されていることは、安全・安心やおいしさにおける日本農業のブランド力の高さを物語っている。
バリューチェーン構築が成功のポイント
アサヒビールの牛乳が高付加価値食品として成功した要因は、生産、流通、販売の各フェーズが、日本企業によって高度にマネジメントされていることである。中国では品質の高い農産物があっても、ずさんな流通や店舗管理で価値を発揮できないことも多い。つまり、サプライチェーン全体の漏れない管理が圧倒的な差別性になり得る中国市場では、生産分野単体での現地進出ではなく、流通や小売とタッグを組み、グループとしてビジネス展開することが重要といえる。日本総研でも、上海周辺の蘇州市や張家港市において、地方政府と共同で、多くの日本企業や農家が参加する付加価値の高いサプライチェーン構築を進めている。
日本企業によるサプライチェーン構築の効果は、高度な品質管理だけに留まらない。日本では主流となりつつある、契約栽培スキーム等の合理的なビジネススキームを活用しやすくなるのも効果の一つである。サンドイッチ用のレタス、野菜ジュース用のトマト等、特定の商品に特化した原料を安定的な調達が可能となれば、最終製品の付加価値の向上にもつながるため、サプライチェーンに関与する各企業がメリットを享受できる。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加検討では日本農業のあり方が問われているが、現地生産・現地販売モデルは「日本農業は日本でしかできない」という固定観念を打破する可能性を秘める。日本農業が世界に誇れる水準であることは間違いない。俯瞰的な視点から日本農業のポテンシャルを引き出すことが求められる。
※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。