オピニオン
CSRを巡る動き:「再規制」時代とCSR/G20サミットから考える
2011年12月01日 ESGリサーチセンター
11月3~4日、フランスのカンヌで開催された今年のG20サミットでは、「世界経済は新たな困難な局面に入った。世界の成長は弱まり、下方リスクは高まり、信認は衰えた。一部先進国の公的債務水準の持続可能性に対する不確実性は増加し、また公的部門から民間部門への及び対外部門から国内部門への需要のリバランスは実現していない」という非常に厳しい認識が示されました。
とりわけ問題視されたことのひとつに、金融のあり方がありました。サミットのコミュニケは「我々は、2008年にワシントンにおいて、すべての金融市場、商品及び参加者が適切に規制又は監視に服することを確保することにコミットした。我々は、我々のコミットメントを実施し、金融システムの改革を追求する」、「我々は、金融セクターが危機前の行動に戻ることを許さず、銀行、店頭(OTC)市場、報酬慣行に関する我々のコミットメントの実施を厳しく監視する」と書いています。
経済・金融政策の失敗、政治・経済・金融に関する機構の力の弱さに加えて、功利主義や実利主義によって支配されるグローバル経済における「倫理」の欠如に、危機の理由があるという意見が支配的になってきています。自由市場主義を反省し、格差拡大に懸念を表明し、ルールと制御を再興すべきことを主張する意見です。米国の格差拡大を問題視する「ウォールストリートを占拠せよ」のスローガンを掲げる運動は、瞬く間に世界じゅうに広がり、終焉の兆しは見えていません。
EUの執行機関である欧州委員会は10月20日、株式などの金融商品取引に関する域内共通ルール「金融商品市場指令(MiFID)」の改正案を発表しました。改正案では、初めて株式などの高速取引に対する規制や原油、穀物などの商品デリバティブの規制強化が盛り込まれました。域内の金融機関がEU規制に違反した場合に科す刑事罰や認可取り消しについて、EU基準を設定する案も示されています。
米国では、昨年成立した金融規制改革法で、金融機関の自己売買が禁じられる方向にあります。ここでも金融機関の行動は著しく制限されています。11月4日に、カンヌ・サミット最終宣言には、どんな金融機関も「大きすぎてつぶせない」とは見なされないよう、また納税者が破綻処理のコスト負担から保護されるよう、包括的な措置に合意したことが盛り込まれました。金融安定理事会(Financial Stability Board)は新たな監視や国際的に新しい破綻処理の枠組みの基準に従う「世界の金融システム上で重要な金融機関」の暫定リストを、同日公表しました。該当金融機関は、バーゼル銀行監督委員会が昨秋策定した新銀行規制「バーゼル3」で求められる自己資本比率に対し、保有するリスクに応じ、1.0~2.5%の自己資本比率を上乗せして確保するよう求められることになります。ここでも金融機関の行動は大きな制約を受けることになるでしょう。
銀行業務と証券業務の融合は反省材料となり、会計や格付け情報に抜本的な改善が迫られ、把握困難な複雑な金融商品の組成、販売は制限されるでしょう。監視は金融のプロ同士の取引にも及び、中央銀行は過剰な信用膨張を抑えることを第一義に据えることになるでしょう。「デ・レギュレーション」(規制緩和)を基調にしたグローバル経済は、「リ・レギュレーション」(再規制)に舵を切らざるを得なくなったといえるのではないでしょうか。少なくとも金融ビジネスにおいては、自己利益の追求を奨励された時代は終焉し、保守主義へ回帰が余儀なくされ、金融機関はビジネスモデルを転換せざるを得なくなるでしょう。
CSR(企業の社会的責任)論は、「自由市場主義」と「デ・レギュレーション」が進展していくなかで、その暴走を防ぐブレーキもしくはアンカー(いかり)としての役割を期待されて脚光を浴びてきたものでした。「法律を超えて、自主的に」という側面に、その性格がよく現れていました。しかし、「倫理」が規制や監督機関によって確保されるという時代を迎えたときに、その説得力はあり続けるのか。グローバル経済が倫理を回復しなければならないといわれるときだからこそ、その論拠を見つめ直しておくことには大きな意味があるでしょう。

