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Business & Economic Review 1997年12月号

【INDUSTRY】
わが国のギャンブル産業における競争原理導入の必要性-サッカーくじの前に何を議論すべきか

1997年11月25日 山本雅樹


1.財源確保の手段としてのサッカーくじ

サッカーくじが今年、注目を集めた。いわゆるサッカーくじ法案と呼ばれる「スポーツ振興投票の実施等に関する法律案」が5月には衆議院を通過したものの、参議院で継続審議となったため、秋の臨時国会の場で改めて討議されることになっている。これにより、サッカーくじの導入は早くても2000年からということになった。

サッカーくじはスポーツ振興のための財源確保を目的としたものである。スポーツ議員連盟の試算ではくじの売上金が年間1800億円、その17.5%以上がスポーツ振興助成金として競技団体等に分配されるということになっている(図表1)。したがって、315億円以上が関連団体に分配されることになり、現在のスポーツ関連予算で施設整備費に充てられるのが170億円足らずということに比較すると、サッカーくじはまさにスポーツ振興に向けての切り札のようなものと位置づけられる。

歴史的な経緯をみると、サッカーくじは1992年、Jリーグ発足に先立って本格的に議論されるようになった。当時は人気を盛り上げていきたいJリーグ、選手強化資金がほしいJOC、そしてスポーツ振興財源が不足している文部省という各ステークホルダーの悩みを解決するための方策として、自民党が中心となって導入に動いたといわれている。しかし、当時はこのサッカーくじの導入に関して議論がまだ不十分という認識から、結論は先送りされてきた。それが今回、ようやく議論も成熟してきたとして、急速に導入の方向の動きが出てきたわけだが、それでも衆議院での採決の際には各党の議案賛成の方針のもとで反対票を投ずる議員が多数出現し、参議院では継続審議となったわけである。

なぜサッカーくじに反対意見が多く出されるのか。反対の理由としては、青少年の射幸心をあおる、売上金の分配が不透明、適切な販売方法が検討されていない、などさまざまな方向からのものがある。

しかし、これらの問題は実際にはサッカーくじのみならず、わが国のギャンブル共通の問題ではないだろうか。また、それでもあくまで「サッカーくじはギャンブルでない」と主張し、推進派が導入に動く理由は、このサッカーくじが財源確保の手段として事業的な魅力があるからではないだろうか。結論からいえば、わが国での「くじ」や「ギャンブル」の魅力は、実は競争のない「規制産業」的なものになっていることが原因となっていると考えられる。

ここでは、サッカーくじを一事業としてみたときに、どのような魅力があるのかを整理し、サッカーくじの議論の前に検討すべきわが国のギャンブル市場のあり方に関する問題を述べていくこととする。

2.事業としてのサッカーくじの魅力

まず、ここではサッカーくじをひとつの事業としての視点から整理し、なぜ、サッカーくじが急速に導入の方向で議論されているのか、その魅力を検討していくこととする。

事業戦略を検討する場合にしばしば利用されるフレームとして3Cのフレームが挙げられる。これは、企業がある事業へ取り組むべきか否かの検討の際に

1.市場としての魅力(Customer)
2.競合状況(Competitor)
3.自社の位置づけ(Company)

の3つの視点からその事業性の評価を行うというものである。企業における事業は、この3つの異なった視点からとらえることにより、企業にとってその事業の位置づけと、取り組むべき理由、あるいはさらに検討しなければならない問題等が明らかになる。ここでもこの3つの視点から、国が行う事業としてのサッカーくじの評価を行うこととする。

1)市場の魅力

第1に、サッカーくじがターゲットとする市場の魅力を考える。日本での主なギャンブルとしては、中央競馬、パチンコ、競輪、競艇、宝くじ等がある。これらの市場規模と市場成長率をレジャー白書により見てみることにする。

96年のギャンブルの売上金は9兆1,240万円で、このところの市場規模は横ばいである(図表2)。ただし、中央競馬や宝くじといった庶民に身近なギャンブルについては、この5年間、市場規模は順調に拡大している(図表3、4)。なお、ここでいうギャンブル市場にはパチンコは含まれていないが、パチンコに関しても96年の貸し玉料が24兆3,660億円と、市場規模は大きくなってきている(図表5)。

パチンコを実質的にはギャンブルに等しいものであるとみなすと、わが国におけるギャンブルは、市場規模が約33兆円に達する巨大なもので、しかも、このところ順調に市場規模を成長させている産業である。したがって、事業者にとってこの日本におけるギャンブル市場は非常に魅力度が高いといえよう。

2)競合状況

第2に、この成長市場における競合状況はどうだろうか。この視点からみると、サッカーくじはひとたびスタートさせることができれば、他の事業者との競合において非常に優位なポジションに立てる事業である。なぜならば、賭博(とばく)、および富くじは刑法により禁止されており、他社の事業者が成長市場であるからといってこのギャンブル市場に参入したいといってもわが国では新規参入が不可能だからである。

賭博に関しては刑法185条に、「賭博をした者は五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまるときは、この限りではない。」とある。また富くじに関しては、刑法187条に、「富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する。(2)富くじ発売の取次ぎをした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。(3)前二項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。」とされている。

つまり、法律的には民間業者は賭博市場にも富くじ市場にも参入することができない。つまり、ギャンブル市場は順調に成長している市場でありながら、国家が法的に独占し、競合の参入障壁を大きく高めているという点で特徴的な市場であるといえる。

ちなみに、「ギャンブル」と「くじ」との区別はかなりむずかしい。自由国民社「口語六法全書」によれば、賭博は

1.抽選以外の方法で財物の得喪を決める。
2.勝敗が決まるまで財物の所有権は賭けたものに属する。
3.胴元と賭けたものがともに財物喪失の危険を負っている。

のに対し、富くじは

1.ほとんど完全な偶然性による抽選の方法で損益を決める。
2.抽選を待たず財物の所有権は富くじ発売者に移る。
3.発売者は財物を賭けないからほとんど損をしない。。

となっている。この定義によれば公営ギャンブルは実は富くじに近いものであることがわかる。このように「ギャンブル」と「くじ」の両者の区別を明確に定義することは現状では難しいと考えられる。

国は「サッカーくじは、ギャンブルである」という批判に対して、あまり定義が明確ではない「くじ」という逃げ道を用意することで「ギャンブルではない」とその批判をかわし、「サッカーくじ」の社会的な正当性を獲得しようとしているように見える。

3)事業主体における位置づけ 第3の視点は、この事業を行う意義に関してであるが、国がサッカーくじ事業を行う目的は前にも述したとおり、スポーツ振興のための財源確保である。現在の170億円というスポーツ関連予算内の施設整備費に充てられる金額に対して、サッカーくじによるスポーツ振興助成金は315億円と、1.8倍強の財源が得られることになる。

折しも財政赤字が深刻化している状況下、既存の財源にのみ依存していてはスポーツ振興予算は減ることはあっても増えることはない。一方で、オリンピックでのメダル獲得数の減少、前回のサッカーワールドカップでの予選敗退等、わが国のスポーツ振興のあり方の反省を求められる機会が相次ぐなかで、新たな対策として提案されることは、施設の充実と予算の確保等、従来の既得権をさらに強める方向の方策であり、既得権の全面的な見直しを含めた対策はほとんど打たれない。

このような状況のなかで、サッカーくじはまさに現在のスポーツ関連の組織を守り、新たな既得権を獲得するという方向での財源確保としてはきわめて有効な切り札的存在と位置づけられる。

このように3Cのフレームからみると、サッカーくじの導入が企図されている理由は、(1)ギャンブルというわが国でも数少ない成長市場において、(2)他社の参入に対して法的な規制という参入障壁があるために競合がなく、(3)財源不足のなかで新たな財源を得るために有効な策として位置づけられる、ということになる。換言すれば、国がなぜサッカーくじを実施するのかという問いに対する答えは、新たな財源確保のために、市場として魅力のある「新たな規制産業」において競争のない寡占的な事業を実施したいという誘因に基づくものともいえる。

そして、その事業が新たなギャンブルではないかという批判をかわすために「ギャンブル」と「くじ」という定義の不明確なダブルスタンダードを活用しているのである。

3.規制事業であることがもたらす問題

次にここでは、前に述したサッカーくじの事業としての特徴、すなわち、

1.参入障壁の高い「新たな規制産業」における事業の国による独占
2.ギャンブルという批判をかわすための定義の不透明な「ダブルスタンダード」

といったものが、どのような問題を引き起こすかを検討してみることとする。結論からいうと、現在、サッカーくじに向けられている批判のほとんどは実は、この2点が根本的な問題となっている。そこで以下では、

1.サッカーくじの販売
2.配当の決定
3.資金配分の決定

という、いわゆるサッカーくじにおける「事業プロセス」の点からこれらの問題を整理することとする。

1)サッカーくじの販売プロセスにおける問題

サッカーくじの販売プロセスにおいて指摘されるのは「販売方法において18歳以下の青少年が買えないようにするというが、実際にそれが可能なのか」という問題である。

サッカーくじ法案の推進サイドは、19歳未満の青少年が買えないようなシステムを確立すると説明しているが、なぜ、サッカーくじを19歳未満が購入してはいけないかという根拠は明確ではない。これは前に述したサッカーくじが内包する問題の一つである、「くじ」と「ギャンブル」というダブルスタンダードの存在が原因となっている。

現状では、競輪、競馬等のギャンブルは18歳未満、もしくは学生は購入できないことになっているのに対し、「宝くじ」は誰でも購入することができ、年齢による規制はない。したがって、サッカーくじをあくまでも「くじ」として社会的に認知させるのであれば、そもそも年齢による販売の制限を議論するのは矛盾である。年齢制限が議論されるのであれば、それはサッカーくじが「ギャンブル」であるということになってしまう。もしそれでもサッカーくじを「くじ」だというのであれば、年齢制限に関しては宝くじを含めて検討をすべきでなのである。このあたりのダブルスタンダードを解決しないことには、この議論は場当たり的な堂々めぐりとごまかしになってしまう。

また、ギャンブルとして位置づけたとしても実際には購入の際に年齢をチェックすることはまず不可能である。競馬、パチンコに関しても実態としては学生が馬券の購入やパチンコを行っているということを考えると、罰則はつくっても運用はされないという形になることは容易に想像がつく。そのようなできもしないことを形式的に決定する態度には、何としてもサッカーくじを導入するために、世論の批判を場当たり的にかわそうというスタンスが表れているとはいえないだろうか。

2)払い戻しのプロセスにおける問題点

払い戻しにおいて指摘されている問題点としては、「金額の払戻金が50%程度であり、競馬等と比べて胴元が大きく儲ける構造になっている」ことが挙げられる。サッカーくじをギャンブルとして考えると、その他の公営ギャンブルと比較して払戻金の売上げに対する比率は小さく、結果として胴元が大きく儲ける構造となっている。例えば、公営ギャンブルでは払戻金は売上げの75%、パチンコ等でも割数を13~14割、特殊景品への交換率を62.5%と設定すれば払い戻しの割合は81~88%となる。これに比較して、サッカーくじの払戻金の割合が50%というのは相当に小さい。ただし、くじはというと、例えば宝くじの場合には払い戻しの割合は46.2%(95年度の場合)にすぎず、実はくじはギャンブルと比較して胴元がより得をするシステムとなっている。つまり、サッカーくじをあくまでも「ギャンブル」でなく「くじ」であるというダブルスタンダードを利用することにより、胴元である国が大きく儲けることが正当化されているのである。

また、サッカーくじの払い戻しが50%ですんでしまうシステムが成立する原因は、前述したように、くじ市場において競合商品がないことである。もし、競合する商品が存在すれば、商品の魅力を向上させるために、内部オペレーションの効率化を行い、還元率のアップや商品のマーケティングに対して努力をする。そしてその結果、還元率は市場原理により決定されるはずである。

しかし、競合商品がない現状においてサッカーくじが成立すれば、この還元率が適当なのかどうかという議論はまったくなされず、適正な還元率を市場が決定するというメカニズムが機能しない。その結果、内部でのオペレーションの効率化の努力もなされないことになってしまうという、典型的な規制産業となる。さらに、財源がもっと必要になれば、新たなシステムをオプションとして導入し(例えば、当選金の金額を引き上げ、当選本数を少なくした商品の導入)、還元率をさらに下げるということも可能になるのである。これは、事業主体にとっては魅力的な事業になるが、それが存立し得る要因はくじ市場に参入障壁が存在し、競争がないことなのである。

3)交付金の分配プロセスにおける問題

現段階での構想では、文部省所轄の特殊法人「日本体育・学校健康センター」内に審査会を設けて分配方法を決めるとのことである。ところが、この交付金の分配をめぐる問題として指摘されるのは、「公平な分配を決めることができるのか」という分配プロセスの問題と、「日本体育・学校健康センターが文部官僚の有力な天下り先になるのではないか」という分配主体に対する不信感の問題があげられる。この2つの問題も、根本的には「国が行う参入障壁の高い事業」というサッカーくじの特徴が問題となっている。

「公平な分配を決めることができるのか」という問題に関しては、すべてのスポーツに対する振興基金を「サッカーくじ」というひとつのくじにより集めるということが最大の原因となっている。そもそもスポーツ振興基金の対象となるスポーツは多数あるが、どのスポーツに対していくら配分するというのを合理的に決定することは不可能である。このため、配分する権限は、たとえ決定の過程における透明性が確保されたとしても、既得権化する。その結果、その資金配分に関する利権をめぐり、不正、癒着、汚職等がどうしても出やすい環境が生み出される。

実際、これまでのスポーツに関する決定事項の不透明性には枚挙にいとまがない。例えば、オリンピックのマラソンの代表選手をひとつのレースで決めず最終的に陸連が決める現行の方式は毎回、その不透明性が指摘されている。また、最近の事例では、2002年のサッカーワールドカップの国内開催地決定の際に、選考には透明性を確保するといわれながらも実際には、最終決定のプロセスは公表されなかった。つまり、多くの人間や組織の利害が関係する問題を一部の機関が決定するプロセスを透明化するのがきわめて難しいのである。

本来ならば、どのスポーツにどれだけの資金を分配するかは、資金を出す国民が決定するべきであり、それ以外に公平な分配を実現する手段はない。

もし、国民が自ら資金配分を決定するシステムを作るのであれば、ただ一つのサッカーくじで資金を集めて他のスポーツに配分するのではなく、目的別に多様なくじを作るべきである。例えば、最初からくじ自体をスポーツごとにつくり、各スポーツ団体がそのくじとそのくじにより資金を集めるスポーツ自体の魅力を向上させるように注力すれば、どのスポーツに対して強化すべきかを国民が決定することができ、各スポーツ関連の協会や関係者は、スポーツ自体の魅力の向上に努めるとともに、各スポーツくじの運営の効率化を進め、前項で指摘した低配当率が是正されることも期待できるはずである。

また、「日本体育・学校健康センターが文部官僚の有力な天下り先になるのではないか」という疑問がでてくるのも、サッカーくじ市場に競争原理が働かないことが主要な原因である。すべての天下りが悪いわけではない。しかし、天下りのなかには有効ではなく無駄なものがあるのではないかという問題が指摘されているのも事実である。これは、天下りを受け入れる機関の運営に透明性が確保されていないことによるものである。

しかし、運営に透明性を求めても実際にそれが実現されるかどうかはわからない。それであるならば、くじにも競争原理を導入し、運営に無駄をなくすシステムを構築することが必要ではないだろうか。

そもそも、無駄な天下りを受け入れるのではないかという意見が国民から出てくるのは、サッカーくじの運営の透明性が確保されず、実際の運営に余裕があるのではないかという疑問に対して、その疑問を払拭する回答が示されていないためである。

サッカーくじに対する競争原理の導入は、この疑問に対する一つの有効な解決策となる。もし、サッカーくじが参入するくじ市場において競争原理が働くのであれば、配当率が向上し、運営主体も無駄な天下りを多く受け入れることはできないはずである。むしろ、天下りがあったとしても、それはくじの魅力向上や運営の効率化に寄与するような有効な天下りになっていくことが期待される。

このようにサッカーくじにおけるサッカーくじの販売、配当の決定、資金配分の決定というオペレーションの問題はほとんどがサッカーくじが規制産業で大きな参入障壁があり競争原理が働かない事実と、本質的にギャンブルであるサッカーくじをくじであるという言い方で批判をかわしている、いわゆるギャンブルの「ダブルスタンダード」が原因となっているのである。

ちなみに、これ以外に指摘されているサッカーくじの主な問題としては、「青少年に対して影響が大きい」といったそもそもギャンブルをやるべきか否かという指摘や、「スポーツがくじの対象となることで、スポーツがゆがむ可能性がある」といったスポーツのあり方に関する指摘がある。

このあたりの議論に関しては、基本的には個人の思想に関わる部分である。前者に関して言えば、宝くじが青少年の射幸心を煽っているかどうかという問題と基本的に同じである。宝くじが売れるというのは本質的には一獲千金という射幸心を煽っているはずであるが、実際には宝くじに対して、あまりそのような視点からの問題が指摘されてはいない。

また、後者に関して言えば、スポーツ議員連盟が主張しているようにサッカーくじはひとつの試合でくじの当選、落選が決まるわけではないので、杞憂に終わる可能性が高い。サッカーくじは1期のすべての試合についての、勝ち・負け・延長もしくはPKによる決着の組み合わせを予想しようというものであるが、対象となる試合を13試合と仮定すれば、この組み合わせのパターンは約160万通りがある。そのため、ひとつの試合に参加するプレーヤーの八百長ではくじの当たり外れはコントロールできない。それよりも、サッカーがギャンブルの対象となることにより、ファン層が変化する可能性はある。サッカーくじをはじめとするスポーツくじによりファン層が広がることは各スポーツにとって好ましいことであるとも考えられる。

4.サッカーくじ導入の前に議論すべきことは何か

サッカーくじの導入の議論において、さまざまな批判があることは事実である。このなかで、「ギャンブルは絶対に反対」という批判は、あくまでも個人の思想の問題である。これに関しては、国民の意見がギャンブルに賛成なのか反対なのかを明確にし、それをサッカーくじの問題にいかに反映させて、どのように決着させるのかという次元の問題であろう。

しかし、サッカーくじを「事業」としてみた時に生じる問題、すなわち、前述したように

1.サッカーくじにおける競争のない新たな規制産業としての側面
2.定義が明らかでない「くじ」と「ギャンブル」というダブルスタンダードの存在

といった問題は思想的な問題ではなく、ギャンブルにまつわる論理的な矛盾である。サッカーくじの導入の際には、少なくともこの点に関する見解を明らかすることにより、指摘される多くの問題に解決の方向性が示される。逆にこうした問題が議論されることなく、「財源不足」→「くじ」→「サッカーくじ」というシナリオをつくるだけでは、「くじ」あるいは「ギャンブル」といった魅力的な市場において、国だけが競争なく事業を行い、そこからの利益を中心として、「既得権」や「天下り」といった、不透明な利権を生み出す結果となる。

そのような問題を解決する一つの方法は「ギャンブルに対する競争原理の導入」であろう。仮にギャンブル運営を一挙に民間へ解禁することまでは困難であるとしても、公営の運営主体のもとでも、スポーツごとのくじを設立することでその実現はある程度可能である。スポーツごとにくじが設立できれば、資金の配分の権利は既得権化することなく市場に委ねられることになり、透明化につながる。また、資金の獲得に向けて各スポーツ関連団体が個別くじの魅力向上に努力することを通じて運営の効率化も期待できるのである。

サッカーくじ問題は、わが国におけるギャンブルのあり方を根本から考える良い機会である。これまで、わが国においてはギャンブルは原則禁止であり、あくまでも例外的に認めるといった形で取り扱われてきており、競争原理はほとんどなかった。しかし、現在はパチンコも競馬も宝くじも大きな産業となっている。そして、スポーツ財源の確保を目的として、今度はサッカーくじである。

世の中は折しも、規制緩和や透明性追求の時代である。サッカーくじに関する議論をきっかけとして、ギャンブルやくじの分野でも規制緩和や競争原理の導入のあり方が議論されてもいいのではないだろうか。
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