Business & Economic Review 1998年04月号
【INDUSTRY】
持続可能な社会へ向かうスウェーデンの新エネルギー政策
1998年03月25日 飯田哲也
1.はじめに
1997年6月10日、スウェーデン国会は、原子力発電所閉鎖を含む新エネルギー政策ガイドラインを承認した(注1)。その後、同年12月18日には、廃棄される原子力発電所への補償を定めた原発廃止法と、その補償金の予算案をスウェーデン議会が可決した(注2)。これによって、スウェーデンは、南部にあるシドクラフト社所有のバルセベック原子力発電所二基(図表1)のうち、来年7月1日までに一基、2001年7月1日までにもう一基を廃棄することが確定した。1980年の原子力発電所の存続を問う国民投票から18年、原子力発電所閉鎖がようやく現実的な政治日程にのぼった。
本稿では、スウェーデンにおける原子力発電所閉鎖の行く末を含めて、持続可能な社会を目指す同国の新エネルギー政策ガイドラインとその決定プロセスを中心に議論する。また、気候変動枠組み条約締結国会議第三回会合(温暖化防止京都会議)を終えた今、日本が目指すべきエネルギー政策への示唆についても、探ることとする。
2.国会承認への経緯
エネルギー政策ガイドラインとは、スウェーデンの基本的なエネルギー政策として数年毎に決定されるもので、前回は1991年に決定されている。その後、「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)による気候変動枠組み条約や欧州連合(EU)統合・東欧民主化などスウェーデンを取り巻く社会環境の大きな変化を受けて、新しいエネルギー委員会が1994年に招集された。
スウェーデンでは、政策立案や法改正にあたって、こうした調査委員会がしばしば設置される。一見、日本の審議会に似ているが、特定の省庁から独立した機関であること、時限であること、政党・業界代表・消費者代表・労働組合・環境NGO(非政府組織)などその政策に関連のある「政治的な当事者」(インタレスト・グループと呼ばれる)の参加と情報公開が保証されているという点で、日本の審議会とはまったく異なるものだ。こうした、政治主導、かつ民主的な政策決定プロセスにも、われわれ日本社会は学ぶべきだろう。
ただし、このエネルギー委員会は、12基の原子力発電所閉鎖プログラムの見直しという、政治的に困難な課題を抱えていたために、例外的に、公式委員が政党代表者が中心の政治色の濃い異例の委員会となった(注3)。
今回承認された新エネルギー政策ガイドラインは、1995年末に公表されたエネルギー委員会の最終報告がベースとなっている。エネルギー委員会はその最終報告をもって解散し、具体的なガイドラインづくりは1996年4月に設置された政党間交渉に引き継がれた。原子力発電所閉鎖をめぐって次々と政党が離脱していったが、1997年2月3日にようやく少数単独与党である社会民主党を中心に、中央党・左党による三党合意に至り、それが今回の国会承認につながったものである(図表2)。
新エネルギー政策ガイドラインでは、この原子力発電所閉鎖だけが注目され報道されているが、全体としてはエコロジカルにかつ経済的に持続可能なエネルギーシステムを目指している。そのため、原子力発電所閉鎖のほか、電力消費の削減、再生可能エネルギーの拡大、エネルギー効率化の進展を主要な目的として掲げている(図表3)。
3.スウェーデンのエネルギー事情
では、原子力発電所閉鎖に着手したスウェーデンは、どのような代替エネルギーを考えているのだろうか。まずスウェーデンのエネルギー事情を説明しよう。
経済成長とともにエネルギー消費が増大する、と信じられている日本の“常識”から見れば驚くべきことだが、スウェーデンの総エネルギー消費量は1970年から多少の変動を除いてほぼ一定している(図表4、注4)。産業用途や家庭・商業用途だけを見れば、エネルギー効率の向上や地域熱供給の拡大などによって、むしろエネルギー消費量は減ってきている。しかも、日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から1995年の43%へと着実に石油依存度を削減してきた。このことは、石油消費量を増やしつつ、それをはるかに上回るエネルギー消費全体の伸びによって“石油依存度が下がった”と喜んでいる日本とはまったく異なる。また、石炭が4~6%、天然ガスが2%と、他の化石燃料への依存度もきわめて少ない。
スウェーデンの大幅な石油消費量の削減は、水力・原子力への電源の転換(総エネルギー供給に占める割合の変化:水力・原子力合わせて9%→30%)とバイオ燃料と呼ばれる植物性エネルギー資源の伸び(同:9%→18%)に依るところが大きい。とくに、木材・わらなどからなるバイオ燃料を用いた地域熱供給の拡大が近年著しく、エネルギー効率の向上と再生可能化に貢献している。ちなみに、1980年の原子力発電国民投票に先立つ1970年代に、自然保護を目的として大規模なダム河川開発はすでに禁止されており、原子力発電所と同様に今後水力発電の大幅な増大も見込まれない。
電力だけで見ると、脱石油はさらに顕著だ。現在稼働している12基の原子力発電所は1970年代中頃から1980年代半ばにかけて建設されたものだが、それが電力のほぼ半分を供給している。水力もほぼ半分を供給しており、原子力と水力だけでほぼ93%を占める。残りも、バイオ燃料や風力など再生可能資源が伸びつつあるため、化石燃料による発電の占める割合はさらに小さく、スウェーデンの電力はほぼ“非化石化”しているといえよう(図表5)。
このように、スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要だ。今回の原子力発電所閉鎖にどのように対応するのだろうか。
一基目の廃棄は「電力需給に影響しない」と1995年のエネルギー委員会報告にも明記されている。また二基目も電力消費の削減で容易に対応できると見ているエネルギー研究者も多い(注5)。というのは、1980年代半ばまでの“過剰な”電源開発によって、石油ボイラーの追放には成功したものの、代わって電力ボイラーや電力ヒーターが普及し、“高品質”なエネルギーである電気が“低品質”な熱に多く利用されているからである。そこで新エネルギー政策ガイドラインでも、電力の熱利用を削減することに力点が置かれている。
そして長期的には、原子力はバイオ燃料を中心に風力・ソーラー・小水力に代替され、“非化石化”から“再生可能化”へと向かうスウェーデンの電力ビジョンが電力業界自身によって描かれている(図表6、注6)。
4.スウェーデンの原子力事情
現在稼働している12基の原子力発電所(図表7)は1970年代中頃から1980年代半ばにかけて建設されたものだが、これはスウェーデンにとっては過剰な電源開発であった。石油ボイラーの追放には貢献したものの、代わって電力ボイラーが普及するなど現在の電力多消費構造が形成された。
ただし、英仏への海外再処理委託や廃炉対策など泥縄的な放射性廃棄物対策でしのいできた日本の原子力政策とは異なり、スウェーデンの放射性廃棄物対策は優等生的だ。スウェーデンでは、1977年の原子力規定法(現在は、1984年原子力活動法に統合されている)によって、新設した原子力発電所に核燃料を初めて装荷する際に放射性廃棄物対策に関する特別な承認が義務づけられた。そのため、原子力所有電力会社の委託を受けたSKB社が、あらゆる放射性廃棄物対策の実施主体となり、廃棄物対策の計画の承認を受けその実施にあたっている。同社は、ストックホルム北部のフォーシュマルク廃棄物処分場に、12基の原子力発電所から排出される放射性廃棄物(使用済燃料を除く)と廃炉廃棄物の全量を処分することができる容量を確保し、1988年から運転している。使用済燃料は、1985年に運開した中間貯蔵施設(CLAB)で冷却保管されている。
ちなみに、スウェーデンの“優等生的”な放射性廃棄物対策を学ぼうと、SKB社には日本から数多くの原子力関係者が視察に来るという(注7)。しかし、脱原子力へと大きく舵取りしているスウェーデンの姿勢には決して学ぶことがないのは、皮肉だ。
しかし、そのスウェーデンでも高レベル放射性廃棄物の最終処分だけは暗礁に乗り上げている。プルトニウムを利用しないスウェーデンでは、使用済燃料は最終的にそのまま地下数百mへ地層処分する計画で現在R&Dが進んでいるのだが、その立地の見通しはまったく立っていない。北部のシュトールンマンというコミューンがSKBの申し入れを受けたが、1995年9月に住民投票を実施してそれを拒否した(注8)。1997年9月には同じく北部でSKBの申し入れを受けたマーロウで住民投票が行われたがやはり否決された(注9)。
5.原子力発電所閉鎖めぐる歴史的経緯
1980年の国民投票は、12基の原子力発電所建設の途上で行われたものだ。スウェーデンでは、原子力発電所建設の始まった1970年代半ばに原子力が社会的・政治的な論争の中心となったが、1979年のアメリカのスリーマイル事故を契機に国民投票が総選挙の公約となり、翌1980年3月に国民投票が行われた。その結果を受けて、「2010年までに12基の原子力発電所すべてを段階的に廃棄する」という国会決議が行われた。なお、80年の国民投票の選択肢は原子力発電容認・条件付き容認・原子力発電廃止の3つに要約されることが多いが、そのいずれにも「12基からさらに拡大する」という選択肢はなかったことに注目したい(図表8)。
その後、1986年のチェルノブイリ事故の影響により原子力発電所閉鎖が加速され、1988年のエネルギー政策ガイドラインでは1990年代中に2基の原子力発電所を閉鎖することとしていた。しかし、社会民主党・自由党・中央党の主要三党は世論を“勘案”して1991年1月に90年代中の閉鎖計画を棚上げすることで合意し、同年6月に決定された前のエネルギー政策ガイドラインでは、「原子力発電に代わりうる環境上安全でかつ経済的に実行可能な方法が見いだされた場合に限り、原子力発電所を閉鎖すると定めていた(注10)。
6.スウェーデン国民の反応
かつての国民投票やチェルノブイリ事故の影響にもかかわらず、今回の原子力発電所閉鎖政策は、意外にも高い支持を集めていない。最近の世論調査でも、過半数が原子力発電所閉鎖に反対しているとの報告があった(注11)。産業界が強く反発するのは理解できるとしても、労働組合も反対の急先鋒である。そうした社会的反応の要因は、直接的には失業率の高さと電気料金への影響にあると見られる。バルセベック原子力発電所に勤める約400名の労働者の雇用を政府が保証しているにもかかわらず、現在10%近い同国の高い失業率に原子力発電所閉鎖がさらに追い討ちをかけるという懸念が労働組合などから表明されている(注12)。
また、政府やエネルギー研究者が電力需給への影響がほとんどないとしているにもかかわらず、電力業界や産業界は原子力発電所閉鎖が電気料金を上昇させると喧伝している(注13)。スウェーデンが目指す持続可能な社会に原子力が存在しないことは共通認識となっており、そのことは電力会社のパンフレットにさえ明記されているのだが、いまは“時機が悪い”というわけだ(注14)。
より本質的には、人間および社会が本来的に有する「現実への保守性」があると見られる。かつて原子力発電全廃を決定した1980年当時は、まだ12基の原子力発電所の建設途上にあり、拡大期にあった。当時は、その拡大傾向自体も、社会にあつれきを増していたといえる。1985年に12基目のフォーシュマルク3号炉が運転開始してからは、新たな原子力発電所の増設もなく、また原子力発電所閉鎖や廃棄もない「安定した現実」が、10年以上もの間、継続した。その間、1986年のチェルノブイリ事故による一時的な反原発ムードの高まりを除いては、社会が原子力発電所との「安定した現実」に、すっかり慣れてしまったといえよう。
一方、スウェーデン政府による原子力発電所閉鎖決定は、バルセベック原子力発電所対岸のデンマークはもとより、EUでは全般に好意的に受けとめられている。EUでは、1997年12月に京都で開かれた気候変動枠組み条約第三回締約国会議に、「EU全体の温室効果ガスの排出量を2010年までに1990年水準から15%削減する」というバスケット方式を提案した。そのEUの中で、もともと非炭素化が進んでいるスウェーデンは、「2010年までに1990年水準にとどめる」というEU内の国別割り当てを受けていたが、1997年2月3日のスウェーデン政府による原子力発電所閉鎖合意の後、欧州議会議長国オランダの提案により、スウェーデンは「2010年までに1990年水準の5%増」という特別に配慮された割り当てを受けることになった(注15)。
7.待ち受ける2つの困難
新エネルギー政策ガイドラインは承認されたものの、スウェーデンはまだ2つの大きな困難が控えている。
1つは、原子力発電所所有者のシドクラフト社に対する補償である。政府は、閉鎖を要求する見返りとして金銭的な補償を考えている。政府は60億クローナ(約1000億円)を用意すると伝えられており、そのための法案も1997年12月18日に可決された(注16)。一方、シドクラフト社は金銭ではなく廃棄される原子力発電所と同量同コストの電力による補償を繰り返し要求しているが、もし金銭補償となると約200億~300億クローナ(約3500億~5000億円)という法外な額を要求するものと見られている(注17)。シドクラフト社は同時に欧州裁判所への提訴も用意しつつあり、この補償問題への決着にはまだ曲折が予想される。
もう一つの困難は、原子力発電全廃の期限の撤廃である。新エネルギー政策ガイドラインでは、2基の原子力発電所閉鎖時期を明記する代わりに、残りの10基に対する2010年という原子力発電全廃の期限を消し去った。スウェーデンのエネルギー研究者によれば、「2基の閉鎖と引き換えに、補償の法制化と全廃期限の廃止を得たことは電力業界にとって非常に有利な取引である」としている(注18)。なぜなら、2010年を越えて炉寿命とされる40年運転に達するまで(2012年~2025年まで)予定外に“稼ぐ”ことができるうえに、仮に途中で閉鎖することになっても、政府によって、追加投資を含めて“補償が保証”されることになるからだ。皮肉にも、脱原発への着手は、原子力発電全廃を政治的・経済的にいっそう困難にした側面も否定できない。
とまれ、スウェーデンは、原子力発電所閉鎖への第一歩を歩み始めたし、これからも民主主義を尊重しながら、原子力発電全廃へと一歩一歩向かってゆくことだろう。
8.スウェーデンの姿勢に学べ
スウェーデンのペーション首相は、1996年9月の国会の施政方針演説で、スウェーデンをエコロジー先進国にするとの決意を述べている。スウェーデン政府が原子力発電所閉鎖と持続可能なエネルギーシステムへの第一歩を歩み始めたのも、その決意の現れと見て良かろう。エコロジー先進国に向けたプロジェクトは、エネルギーシステムにとどまらず、環境政策・公共事業・交通政策など目白押しだ(注19)。環境税も世界で最初に導入したスウェーデンは「実験国家」や「現実主義の国」などと評されるが、それは理念に現実を近づけるための“実験”であり“現実主義”なのである。
振り返ってわが日本はどうか。住民投票で否決されようと動燃の事故が立て続けに起きようと、ひたすらエネルギー消費拡大と原子力発電所拡大という既定路線を暴走している。先の気候変動枠組み条約第三回締約国会議(COP3)でも、議長国であるにもかかわらず、何ら実効的なリーダーシップもとれず、あげくに合意の最終局面でもめたのが、「議長国日本」であったと伝えられる。
小国ながらも、環境外交・人権外交・平和外交など国際的な場で、日本に比べて圧倒的に存在感の大きな「エコロジー先進国スウェーデン」の姿勢に、学ぶところは多いように思われる。
9.市民の意思と政治的決断が機能する場を
最後に、スウェーデンの姿勢から見た日本への示唆を探ってみたい。 われわれ日本人は、日常の新聞報道などを通して、「通産省が・・の検討に着手した」とか「環境庁が・・の導入を決めた」といった表現に慣れきっている。そして、それは単に表現だけではなく、各省庁が「主語」になって、さまざまな政策提案が行われたり、ときには実質的な政策決定すら行われることも事実である。
COP3に向けても、「省益」を優先するあまり、何のリーダーシップもとれない「議長国日本」は、国際社会の批判の的であった(注20)。そのCOP3が終わり、「予想外に高い」削減目標に対応するために、通産省は省エネ法を強化し、環境庁は温暖化防止法案を検討するという(注21)。国民不在の「縦割り官主主義」は相変わらずだ。
しかし、こうした日本の政策決定の仕組みをスウェーデンで説明すると、いつもけげんな顔をされる。政治的な指示もないまま、「公僕」に過ぎない各省庁から、バラバラな政策が自発的に出てくる仕組みは、先方の民主主義から見れば、よほど奇異に映るらしい。
スウェーデンから見ると奇異とすら映る「縦割り官主主義」を脱して、真に民主的な政策決定の場を構築することこそが、いま、日本が必要としている改革の第一歩ではないだろうか。
では、具体的にどのように改革すべきか。エネルギー・温暖化政策でいえば、温暖化合同会議を活用して、市民の意思と政治的決断が機能する場を作ることが必要だ。先の温暖化防止合同会議は、特定省庁ではなく首相直轄とすることで、官僚から政治に、多少なりとも主導権を取り戻した点は評価できる。
ただし、委員構成は見直しが必要だ。日本の政治風土では、表面上のいさかいを嫌って、(経済界以外の)当事者を排除し、一見、公正中立な「有識者」が審議会委員の中心となる。それが、官僚の隠れ蓑として利用されてきたことは、つとに指摘されてきたとおりだ。しかも先の温暖化防止合同会議では、各省庁所管の審議会から、それぞれ代表の有識者が委員に任命されたため、さながら「省庁間代理戦争」となった感があった。そうではなく、たとえばスウェーデンに倣って政党・業界代表・NGO・消費者代表など「政治的に正当な当事者」を委員とすべきだ。そうすれば、有識者による「他人事の放言」から「当事者の公論」へと議論が生まれ変わるだろう。議事と資料の公開はいうまでもない。
その新たな温暖化防止合同会議のタスクは、「持続可能なエネルギー・温暖化防止政策法」の草案だ。それは、地球温暖化防止をはじめ、電力市場再編や原子力政策、環境税などを統合する「包括性」と、同時に、原子力発電所立地の可否や新エネルギー補助金も明確に規定する「具体性」を併せ持つことが求められる。やっつけではできない大仕事だが、温暖化防止京都会議を終え再出発点に立つ今、慣例に流されることなく、大事に、そして大胆に始めたい。
注
1. ニュークレオニクス・ウィーク1997年6月12日(Vol.38, No.24)
2. スウェーデン議会ホームページのプレスリリースによる(1998.2.25現在)http://www.riksdagen.se/debatt/9798/pressmed/karnkraft.HTM。法案の正式名称は、Proposition 1997/98:176, bet.1997/98:NU5, Nuclear Phasing-out Law
3. 1994年に招集されたエネルギー委員会の「決定権のある公式委員」は、各政党からの代表委員を中心に13名で構成されていた。委員会は、その他4つの作業部会と専門家からなるアドバイザーグループから構成されていたが、それらの委員には「決定権」は与えられていない。出典:SOU1995:139, Final report of Energy Commission, (1995)
4. 出典:Energy in Sweden 1997 (NUTEK, 1997.9)。なお、スウェーデンの総エネルギー消費がこの25年間一定であるというのは、出力単位(TWh)で見た場合である。エネルギーの国際比較でしばしば用いられる石油換算の熱入力単位(MTOE)で見ると、原子力の電気出力を約2.5倍する必要があるため、スウェーデンの総エネルギー消費は若干増加していることになるが、ここでの議論には影響しない。
5. たとえば、Prof. Lars Nilsson (Environmental&Energy System Studies, Lund University), Prof. Tomas Kaberger (Institute for Physical Resource Theoty, Chalmers University of Technology)らとのパーソナルコミュニケーションによる。スウェーデンでは、80年代を通じた「過剰な電源開発」によって電力余りを生じ、それが家庭などで電気暖房を普及させた。それを地域熱供給に切り替えるだけで、バルセベック原子力発電所1基分の閉鎖電力は、十分賄えると考えるエネルギー研究者は多い。
6. 電力会社が共同で作成したビジョンでさえ、2050年には原子力が消え去り、すべてが再生可能エネルギーもしくはコジェネレーションだけで構成されている。総発電量も、今より削減されていることに注意(147TWh/年→130TWh/年)。
7. SKB本社広報担当への筆者インタビューによる(1997年5月18日)。
8. 出典:例えば原子力年鑑1996年版(日本原子力産業会議編)p306
9. 出典:Dagens Nyhater 1997年9月23日
10. 出典:例えば、小沢徳太郎「今、環境・エネルギー問題を考える」ダイヤモンド社(1992)p244~
11. 世論調査は数多く行われているが、たとえばニュークレオニクス・ウィーク1997年5月15日(Vol.38, No.20)によれば、1997年5月時点で、53%が閉鎖に反対、閉鎖賛成は32%だった。
12. 自動車業界による反対(ニュークレオニクス・ウィーク1997年4月10日, Vol.38, No.15)、産業連合会・全国労働組合による反対(ニュークレオニクス・ウィーク1997年8月14日, Vol.38, No.33)など。保守党による批判(ニュークレオニクス・ウィーク1997年8月21日, Vol.38, No.34)
13. 住宅組合による反対(ニュークレオニクス・ウィーク1997年5月15日, Vol.38, No.20)、国有電力会社バッテンフォール社・弁護士協会・電気事業連合会による反対(ニュークレオニクス・ウィーク1997年6月26日, Vol.38, No.26)
14. たとえば、"Power 2050-a vision of a sustainable electricity system for Sweden", Sydcraft (1996)。このソースは97年5月18日SKB本社広報担当への筆者のインタビューによるものだが、電力会社は、その脱原発のシナリオを自らのパンフレットに利用している。
15. 出典:(ニュークレオニクス・ウィーク1997年3月6日, Vol.38, No.10)
16. スウェーデン議会ホームページのプレスリリースによる(1998.2.25現在)http://www.riksdagen.se/debatt/9798/pressmed/karnkraft.htm。法案の正式名称は、Proposition 1997/98:17b, bet.1997/98:NU5.Nuclear Phasing-out Law。
17. Energy Economist May 1997 187/5 "Sydcraft plays hardball"による。
18. チャルマーズ工科大学T.Karberger教授による。同教授は、先のエネルギー委員会で、緑の党から委託されて正式委員を務めた。
19. 出典:スウェーデン環境ニュース1996年11月号
20. たとえば、Nature 387, 641;1997
21. 朝日新聞1998年1月3日報道