Business & Economic Review 2000年10月号
【OPINION】
日本型IT革命成功の鍵は何か
2000年09月25日 調査部 湯元健治
8月11日の日銀のゼロ金利解除後、マーケットではさしたる混乱もなく、株式相場はむしろ堅調な推移をたどった。これは、日本経済が着実な自律回復の軌道に乗りつつある証左ともいえる。言うまでもなく、日本経済が回復力を強めている最大の原動力は、設備投資、とりわけIT関連投資の増加である。先般の日本経済新聞社の設備投資アンケート調査では、2000年度の設備投資はIT関連投資が牽引役となり、全産業平均で5.1%増と3年ぶりの増加に転じる見通しである。機械受注や生産統計などでみてもIT関連業種の寄与度が極めて大きく、わが国経済がIT産業を牽引役に自律回復に向けた軌道を歩み出している可能性を示唆している。
周知の通り、アメリカ経済の活性化は、IT革命によって成し遂げられた。そのメカニズムは、IT産業自体の高成長によるディマンド・サイドの需要嵩上げ効果に加えて、非IT産業を含めた産業全体のIT投資拡大による生産性向上というサプライ・サイドの効果が相乗的に作用した結果として、アメリカ経済の潜在成長力が従来の2%台半ばから最近では3.75%(グリーンスパンFRB議長)、ないしは4%(マクドナーNY連銀総裁)に大幅に引き上げられたことによる。わが国でも少子・高齢化に伴う労働力人口の減少を勘案すると、今後の潜在成長率は2%程度がせいぜいとの見方が一般的だが、アメリカの経験に照らし合わせれば、IT革命をテコに3%以上への潜在成長力引き上げが十分可能である(詳しくは、日本総研IT 政策研究センターレポート「IT革命で4%成長を」(2000年7月)参照)。
もっとも、わが国がアメリカと同様のIT革命の成果を享受するためには、越えなければならないハードルが少なくない。
まず、IT機器の導入などのIT投資や情報システムの構築さえ行えば、アメリカ並みに目に見える効果が表れると考えるのは、短絡的である。現在のIT投資と呼ばれる投資の内容をみると、フラッシュメモリーやシステムLSI等の半導体関連、液晶、携帯電話および関連部品に関する設備増強がメインである。確かに、情報システム会社などによるデータセンターの建設、コンビニ各社のネット端末導入、金融機関のシステム投資など裾野が広がりつつあることは事実だが、アメリカ企業が実践している製造業におけるSCM(サプライチェーン・マネジメント)やナレッジ・マネジメント、CRM(Customer Relationship Management)等の最新の経営革新を実現するための手段としてのWebベースも含めたEDI(Electronic Data Exchange、電子データ交換)システムやERP(Enterprise Resource Planning、統合業務システム)の導入といった情報システム投資を行っている企業は大手先進企業の一部に止まっており、本格化が期待されるのはむしろこれからである。要するに、アメリカ企業の活力や生産性の向上は、IT革命とドラスティックな経営革命の双方が融合した結果もたらされたものである。わが国でもアメリカ同様、インターネットを通じた部品・資材の調達(B to B取引)や部品・資材のオープンな電子取引市場(eマーケットプレース)の創設など新しい動きがスタートし始めているが、これらが所期の効果を生み出すか否かは、閉鎖的と言われる日本独自の取引慣行の見直しや既存の販売店・流通網をネットワークの中の重要な一部として活用する新たな日本型の仕組みの構築が不可欠である。アメリカ流のドライな中抜き(Disintermediation)を強引に進めるだけでは、うまくいかない公算が大きい。B to B取引や「eマーケットプレース」などの企業間電子商取引は、価格という単一の要素だけでなく、品質、納期、在庫数量、取引相手企業の信用度が重要な鍵になるほか、物流・決済・与信機能が整備されなければうまくワークしないからである。要は、日本企業自身がIT社会の到来を見据えた新しい日本型ビジネス・モデルを構築できるかどうか、既存の慣行・制度にとらわれない創造的破壊を成し遂げることができるか否かがIT革命の成否を握っているといえよう。
一方、企業の消費者に対する直販ともいえるB to C取引については、現在のところ極めて小規模なものにとどまっている(99年時点の市場規模は、3,360億円と個人消費全体の0.1%、通産省調査)が、モバイル端末の急速な普及と物流・決済の一大拠点としてのコンビニの活用を組み合わせたアメリカとは異なる新しい日本型システムが構築され始めており、その潜在的成長可能性は過小評価できない。携帯電話の人口普及率はすでに4割を超え、来年からは高速・大容量化された次世代携帯電話を活用した新たなビジネスが次々と生まれる可能性が高い。しかし、ここでも市場の急拡大を阻む壁として立ちはだかっているのは、従来型の商慣行や規制である。通産省は、ネット取引推進のための規制緩和策として、訪問販売法や割賦販売法、旅行業法などで義務づけられている書面交付義務の免除や、保険業法、薬事業法などでの対面販売規制、職業安定法における事務所設置規制などの緩和・撤廃を一括法によって行うことを表明している。同様に、9,000種にも及ぶ行政手続きを電子申請化する一括法も検討されており、企業、消費者の双方にとって、利便性、スピードが格段に向上することが期待される。こうした規制の緩和・撤廃、行政手続きの電子化は一刻も早く実現させるべきであるが、B to C取引の本格的な拡大には、それだけでは不十分である。消費者にとってのB to C取引のメリットは、ネットを通じることによって極めて低コストで、スピーディーに、多様な商品・サービス群の中から自らのニーズに合った商品・サービスを選択できることにある。例えば、書籍や新聞・雑誌などの再販価格制度や酒類・医薬品販売に関わる規制、インターネット上での懸賞規制の存在など、消費者にとってのB to C取引のメリットを制限する規制が厳然と存在する。音楽のネット配信についても、業界慣行などもあって各企業の運営するサイトでのデータ圧縮形式やソフトウェアなどを含めたシステムが乱立し、現時点では配信曲も限定されているなど、消費者にとって必ずしも利便性の高いシステムとなっていない。わが国のB to C取引を本格的に離陸させるには、こうした規制・慣行の抜本的な見直しが欠かせない。
IT革命の目指す最終的ゴールは、Information Technologyの進展が新しい商品・サービスの開発コストや取引コスト、企業の異業種分野への参入コストを引き下げることによって、健全で創造的な競争を生み出し、その成果を最終消費者が享受することで、生活の質の向上すなわち真に豊かな経済社会を築き上げることにある。インターネットの3つの特質((1)世界中の人々が時空間を超えて情報共有が可能になる、(2)個人にとっての時間的・物理的・金銭的情報入手コストの飛躍的低下、(3)個人・企業・政府などあらゆる主体が世界に向かって情報発信することが可能になる)を考えると、IT革命の進展によって、(1)企業間の取引関係がウェットなものからドライなものに変化する、(2)企業と個人の関係がより対等な関係に変化する、(3)社会における情報発信者としての個人の地位が高まる等々、経済社会構造の根本的変革が進む。とくに、IT革命は個人にとって、そのライフスタイル・価値観の変化を促すだけでなく、企業や社会に対する個人の相対的なパワーを高めることは間違いない。これは企業サイドからみれば、消費者としての個人、従業員としての個人、社会の構成員としてパワーアップした個人にいかに企業が対応するかということを意味する。それは、端的に言えば、顧客を中心に据えたビジネス・モデルの構築であり、従業員の自由な創造性・潜在能力を最大限に引き出す人材マネジメントであり、企業の社会的責任の重要性を十分に認識した企業文化の構築に他ならない。要するに、ITをそうした企業自身の変革への理念を実現するためのツールと認識し、有効活用しようと努力する企業こそが21世紀に生き残る企業といえよう。
もう一つ、わが国独自のIT革命を成功に導くために極めて重要な施策は、通信容量の飛躍的拡大と通信料金の劇的低下を促す情報通信インフラの早急な整備である。この点は、先般のIT戦略会議でも指摘され、ITに関わる最重要の国家戦略と位置づけられた。わが国のIT革命の進展を遅らせかねない最大の問題として従来より指摘されてきたのは、インターネットのプロバイダー料金、電話料金を含めた通信料金の高さである。この点、最近ではNTTのISDN-IP接続サービスやCATVインターネット、既存の電話回線の空き周波数をインターネット通信に利用する新技術であるADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line、東京めたりっく通信がサービス実施、NTTも昨年12月より試験サービス開始)、無線LANによるアクセス(スピードネットが本年8月より試験サービス開始)など新しい技術をベースとしたインターネットの定額常時接続サービスが次々と登場し始めている。通信料金もアメリカからの圧力によって回線接続料金の大幅な引き下げが実現する運びとなったほか、市外通話だけでなく市内通話料金についてもNTTが値下げの方向を打ち出すなど、競争環境整備の効果が顕在化しつつある。とはいえ今のままでは、出井IT戦略会議議長が言うように「5年後にアメリカを追い抜く超高速インターネット網を作る」ことによって、わが国が情報通信インフラ面でアメリカに追いつきこれを凌駕することは、難しいと言わねばならない。ISDNは、今やインターネット通信の基本インフラとして定着した感があるが、スピードの面では64kbpsと通常のモデムを通じたダイアルアップ接続と大差ない。CATVは、今後のさらなる普及が大いに期待されるが、現時点では、普及率が20%程度とアメリカ(60%)と比べてまだまだ低い水準に止まっている。今後の普及が期待されるADSLや無線通信も本格普及はむしろこれからであり、アメリカとの彼我の格差は大きい。何よりも問題は、これら新しい技術をもってしても、DVDの本格普及で加速がつくとみられるデシダル・コンテンツ(音楽、映画など)の配信に時間がかかりすぎる点である。例えば、音楽CD(アルバム)1枚ダウンロードに、ISDNで3時間、ADSLでも2時間かかってしまう。
このようにみると、わが国がアメリカを上回るIT立国を目指すための手段は、FTTH(Fiber To The Home)を実現する環境を早期に整備する以外にない。FTTHとは、全国の家庭に100Mbpsを超える大容量の光ファイバーをつなぐことであり、これによってインターネットを使ってハイビジョン・テレビ並みの高画質の動画映像の高速送受信が可能となる。例えば、家庭ではインターネットでメール通信を行いながら、モニター画面の左下にワールドサッカーの試合光景を映し出したり、インターネットでコンサート・チケットを購入する際に画面で会場を映し出し、好きな座席を選択した上でオンライン購入と料金支払いができるようになる。さらには、電話はカラー動画によるTV電話が一般的になるほか、いわゆるビデオ・オン・デマンド(インターネットから2時間程度のビデオ映画を数秒でダウンロードして見ること)が可能になる等、我々の生活が一変することが予想される。このようなFTTHが実現すれば、新しいビジネス、需要が次々と生まれることは必至であり、日本経済の再生と息の長い本格的かつ自律的な景気回復も達成できよう。
それでは、いかにしてFTTHの早期実現を図るべきか。確かに幹線系の光ファイバーについては、NTTコミュニケーションをはじめ、クロスウェイブ、KDDグループが鎬を削り、さらにはグローバルクロッシングなど外資系IPキャリアの新規参入もあって、一定の成果が出始めている。しかし、全国全家庭に光ファイバーを引くというFTTHの実現のためには、遅れている加入者系光ファイバー網の整備が不可欠である。NTTは、これまで2005年度を目標に全国に光ファイバーを敷設することを目標としてきたが、これは約500世帯に1カ所設けられる起線点までの光化を意味しており、完全なFTTHとはいえない(厳密には、FTTC、ファイバー・ツー・ザ・カーブ)。したがって、ほぼ100%光化されていると言われる東京23区内でも、一部の大規模オフィスビルを除けば、ほとんどの家庭、オフィスには光ファイバーがつながっていないのが実情である。この原因は、起線点から各オフィス、家庭までの間に十分な空間がない(NTTが保有する端末管路は、すでに電話線で満杯)ことに加えて、他のIPキャリアも土地取得コストの高さから採算が取れないために投資できないなど、いわゆる「ラストワンマイル問題」ならぬ「ラスト10m問題」の存在がある。IT戦略会議は、民間事業者が電柱、道路、鉄道、下水道などに光ファイバーを敷設しやすいように「回線敷設権の自由化」を目指した統一ルールを策定するとともに、NTTに対して光ファイバー網開放を義務づける方針を打ち出しているが、こうした方向性は望ましい方向とはいえ、「ラスト10m問題」の根本的解決にはつながりにくい。FTTHの早期実現がわが国IT革命成功の鍵を握る重大なポイントであることを勘案すれば、こうした規制緩和に加えて、国家戦略として情報通信インフラの整備を同時に進めていくことが極めて重要と判断される。実際、アメリカのインターネットは、軍や全米科学技術財団が国費で幹線を整備・管理し、これを民間に開放して生まれたものであり、わが国と同じくアメリカを追いかける立場にあるカナダでもFTTHを国家戦略として明確に打ち出している。建設省が推進している下水道光ファイバー(情報Box)は、現在、1万1千kmの整備を完了し、今年度さらに1,300kmの整備が予定されているが、それでも民間の光ファイバー整備による情報Boxへの収容要望は5万km もある。そうした事態を勘案すると、幹線系のみならず加入者系ネットワークについても、国と自治体がタイアップする形で、国家予算を投じて下水道等の社会資本整備と同時に、その情報BOXの中にダーク・ファイバーを敷設し、これを地方自治体が民間のベンチャー企業などに低料金で転貸できるようにする必要がある。こうした政策は、民主導の原則に反すると言う向きもあるかもしれない。しかし、コストのかかる光ファイバーの敷設・管理は公的主体が行い、実際の利用(通信事業)はあくまで民間に任せることによって初めて、ベンチャー企業を含めた民間企業の活力、アイデアを生かすことが可能となるのではないか。すでに、地方自治体の中には岡山市や富山県山田村などが地域活性化、村おこしの観点から光ファイバーを積極的に敷設する動きが出てきている。わが国の下水道整備率は、アメリカのCATVとほぼ同じ60%近くに達しており、しかも、毎年70万世帯が新規加入している。新設される下水道管に光ファイバーを標準装備するだけで、日本全国の家庭を一挙にFTTH化することが可能となる。NTTは、最近2005年度の光化計画を前倒しし、今秋より最大10Mbpsの光アクセスサービスを月額1万円程度の定額制で試験的に提供する意向を示しているが、下水道光ファイバーの敷設と電気通信事業規制の見直しによるダーク・ファイバーの民間企業への自由な譲渡・転貸が可能となれば、地方自治体から貸与を受けたベンチャー企業なども含めた民間企業間の競争が一段と活発化することとなり、ユーザーの利用料金も現在のISDNやCATV並みの4,000~5,000円程度、場合によっては将来的にさらに低下する可能性があろう。
わが国のIT革命を成功に導くためのインフラ整備には、以上のようなハード面だけでなく、21世紀のIT社会に相応しい各種法整備、知的所有権保護などの種々のルール整備をはじめ、ITリテラシーの高い人材の育成・教育改革などソフト面のインフラ整備も重要である。IT戦略会議は、森首相の私的諮問機関ではあるが、日本経済が力強く再生できるかどうかは、まさにIT革命の成否にかかっており、その意味で同会議に託された期待は大きい。後世に残るIT国家戦略の策定と果断な実行が切に望まれる。