Business & Economic Review 2004年11月号
【CHINA TREND】
胡錦濤時代の中国(1)正念場を迎えた中国共産党
2004年10月25日 香港駐在員事務所長 呉軍華
2004年9月19日に閉幕した中国共産党中央委員会第16期第四回全体会議(「四中全会」)は、江沢民氏の党中央軍事委員会主席辞任を承認し、胡錦濤党総書記・国家主席を後任に選出した。これにより、2002年11月に始まった革命第三世代から革命第四世代への権力移譲が終了し、党・政府・軍の三権を掌握した胡錦濤氏が名実ともに中国の最高指導者になった。
胡錦濤体制のもとで、中国はどこに向かっていくことになるのであろうか。それを展望するためには、まず中国が今現在どのような段階に差しかかっているのかを確かめる必要がある。過去20年以上にわたる改革と経済成長によって、中国は超大国として再興する勢いを見せ始めている。しかしその一方で、官僚の腐敗や所得の二極分化といった問題が深刻化し、社会的緊張が国家の安定を脅かしかねないほど急速に高まってきている。現在の中国は超大国として復活するか、それとも崩壊するかの瀬戸際に立たされているといえよう。胡錦濤体制はまさにこうした状況のなかで誕生したために、氏を中心とする指導部の舵取り次第で中国の将来が大きく変わってくると予想される。そこで、当コラムではシリーズを組んで、政治、経済、社会などの各方面から胡錦濤時代の中国を展望してみることにする。差し当たり、今回は政治から始めてみたい。
政治的側面から今後の中国を展望するに当たって、最大のポイントとなるのは胡錦濤体制のもとで中国の政治改革が進むかどうか、という点であろう。胡錦濤氏に対して、かねてから「氏が中国のゴルバチョフになるのではないか」との期待がある。いうまでもなく、これは胡錦濤氏がかつて旧ソ連の崩壊過程において果たしたゴルバチョフ氏の役割をこれからの中国で果たすのではないかとの期待である。しかし、党・政府・軍の三権を掌握したばかりの胡錦濤氏に対して、現時点でこうした可能性を予測するのは時期尚早といえる。もっとも、旧ソ連崩壊の歴史を振り返ってみると分かるように、結果はともかくとして、ゴルバチョフ氏は1985年に、共産党トップの座についた当初、共産党体制の打破というよりもその強化を目的にペレストロイカを始めたのであった。これまでの胡錦濤氏をみる限り、少なくとも現時点においては、氏にとっての最大の課題はやはり当時のゴルバチョフ氏と同様、いかにして直面する多くの問題を解決しつつ現体制を維持していくかにあるとみられる。ちなみに、「四中全会」開催直前の2004年9月15日に行われた講演のなかで、胡錦濤氏は、中国が決して西側流の民主主義を導入すべきではないと強調した。
腐敗の蔓延をはじめとして多くの限界に直面している状況のなかで、胡錦濤体制は、現制度を維持していくために、共産党の変身、すなわち共産党を「革命政党」から「政権政党」に脱皮させることによって、政治的に新たな局面を開こうとしている。それに向けての具体策として、今回の「四中全会」において、法律に基づいた科学的・民主的手段によって党の執政能力を強化することが取り上げられた。 胡錦濤氏は果たして、共産党の支配体制を強化するためにペレストロイカを始めたものの結果として旧ソ連を崩壊に導いたゴルバチョフ氏の轍を踏まずに、共産党の執政能力を強化し、現制度の維持に成功することができるのであろうか。歴史的にも成功例のない試みであるだけに、多くの困難を強いられることが予想される。なかでも、差し迫って解決しなければならない課題として、次の二つを取り上げてみてみたい。
課題1 :市場経済化の浸透に伴う社会構造の多様化に対応すべく、共産党が特定の階層だけではなく、全国民の利益を代表する「全民党」に脱皮することである。
周知の通り、共産党はもともと資産家階級を撲滅し、共産主義の実現を目標に結成されたプロレタリアの政党であった。こうした党是をそのまま実行した形で、70年代末までの毛沢東時代における中国社会は、いわゆる「二つの階級と一つの階層(労働者・農民階級と知識人階層)」に集約されていた。しかし、市場経済化に向けた改革・対外開放はこうした社会構造に根本的な変化をもたらし、中国社会は今や10 の階層によって構成されている(図表参照)。こうした変化に対応するために、江沢民体制のもとで、「三つの代表論」、すなわち、共産党はプロレタリアだけでなく、実質的に新興資産家階級を含むすべての国民を代表する政党であるという理論が打ち出され、「全民党」に向けての理論的武装ができあがった。この意味で、胡錦濤体制に残された課題は江沢民時代に理論的に「全民党」となった共産党を実際の「全民党」に転換させることである。しかし、それを実現するためには、少なくとも以下の二つの要件を満たす必要があると思われる。
図表 多様化が進む中国社会
(%) | 1952年 | 78年 | 88年 | 91年 | 99年 |
公務員・準公務員 | 0.50 | 0.98 | 1.70 | 1.96 | 2.10 |
企業マネジャー | 0.14 | 0.23 | 0.54 | 0.79 | 1.50 |
私営企業オーナー | 0.18 | 0.00 | 0.02 | 0.01 | 0.06 |
専門技術者 | 0.86 | 3.48 | 4.76 | 5.01 | 5.10 |
オフィスワーカー | 0.50 | 1.29 | 1.65 | 2.31 | 4.80 |
零細企業オーナー(注) | 4.08 | 0.03 | 3.12 | 2.19 | 4.20 |
サービス業従業者 | 3.13 | 2.15 | 6.35 | 9.25 | 12.00 |
製造業従業者 | 6.40 | 19.83 | 22.43 | 22.16 | 22.60 |
農業従業者 | 84.21 | 67.41 | 55.84 | 53.01 | 44.00 |
無職・失業・半失業者 | 0.00 | 4.60 | 3.60 | 3.30 | 3.10 |
(注)零細企業は従業員8人以下の私営企業を指す。
まず第1は、政策運営の目標を特定の階層のためではなく、全国民の福祉向上に設定することである。建前はともかくとして、改革・対外開放以後、とりわけ90年代に入ってから、効率優先の名のもとで、中国の政策運営は実質的に公務員や新興資産家階級、外国投資家といった既得権益層に大きく傾斜して進められてきた。この結果、所得の二極分化が急速に進み、所得格差の拡大が社会の安定を脅かしかねないほど大きな問題になると同時に、経済的にも国内消費の本格的拡大を妨げ、持続的成長の実現に向けての大きな阻害要因になっている。
これに対し、少なくとも現時点までの胡錦濤氏の動向をみる限り、以上の問題を解決すべく対応しようとしている。2002年11月に党の総書記に就任して以来、胡錦濤氏は、「新三民主義」、すなわち「権為民所用(権利は国民のために使い)、情為民所繋(感情は国民と繋がっており)、利為民所謀(利益は国民のために図る)」を打ち出し、また、「四中全会」でさらに「権為民所授」、すなわち権利は国民から授けられる、を付け加え、経済成長に取り残された弱者グループに配慮する姿勢を強く示してきた。しかし、政党が政治の場でおのおのの利益グループのために争って始めてバランスのとれた政策が生まれてくるともいえる。そして、そこに現代民主主義が多党制を基本としていることの根拠を見いだすことができる。こうした現実を踏まえて、理論的に共産党は中国社会のすべての利益グループを代表する「全民党」であると論じることができたとしても、実際の政治において「全民党」としての役割をまっとうしていけるのか、これは少なくともこれまでの歴史を振り返るだけでは答えを見いだしえない問題である。
次に、第2 の要件は社会構造の多様化に対応すべく、各階層からの声や要請を政策の意思決定に反映できるメカニズムを構築することである。かつては、革命という名の下で、共産党は強制的にでも一部の階層の利益を社会全体の利益に置き換えることができた。しかし、「政権政党」、とりわけ執政する「全民党」としてはもはや自らの執政の合法性を維持するために、各階層からの支持が不可欠となる。したがって、いかにして反対勢力も含めてすべての利益グループを制度内に組み込み、各階層の意見や要求を吸い上げ、解決できる制度を構築するかが極めて重要となってくる。そのためには、「革命政党」から「政権政党」への変身に向けた新しいシステム設計のなかでこうした声や要請が伝えられる合法的チャンネルを用意し、そのためのシステムの整備が求められる。さらに、こうした下意上達のメカニズムを実際に有効に機能させるためには、システムの整備に加え、言論の自由の確保もいずれ避けて通れない課題となる。一党支配体制は従来言論の自由と相容れない関係であると考えられてきた。ここでも、胡錦濤体制に斬新な発想と実行能力が求められよう。
課題2 :腐敗、とりわけ党幹部の腐敗問題を抜本的に解決するための制度的枠組みを構築することである。
共産党にとって、プロレタリアの政党から「全民党」への変身が支持基盤を外延的に拡大して体制を強化していくうえで必要であるのに対して、腐敗問題の解決は内部の要因による体制の崩壊を避けるために不可欠である。中国における腐敗は今に始まった問題ではないが、それが大きな社会問題として深刻化したのは80年代末以降、とりわけ90年代に入ってからのことである。以来、現制度の維持を至上命題とする指導部は、腐敗を撲滅すべく幾度となくキャンペーンを実施したが、腐敗の広がりはとどまるところを知らない。ちなみに、2004年9月12日に閉幕した中国検察機関海外逃亡犯罪摘発会議の発表によると、2004年1月から7月までの間だけで、汚職と贈賄の容疑で計22,913人が摘発されており、このうち、処長(日本官庁の課長相当)以上の現職幹部が1,767人に達しているという。現在の共産党は、政権を維持するに当たって多くの課題に直面しているが、政治的イデオロギー的側面からの直接な挑戦はほとんど存在していない。換言すれば、少なくとも当面、「天安門事件(89年6月)」のように民主化を求め、共産党の支配体制を揺るがしかねないほどの政治運動が起きる可能性は極めて低いと予想される。しかしその一方で、当局の対応次第では社会問題をはじめとして他の分野の問題が政治問題化し、結果的に共産党の支配体制に脅威を与えるようなことが起きる可能性はある。なかでも、腐敗、とりわけ党・政府幹部の腐敗に対する不満が社会的対立を激化させ、共産党の支配体制に反対する政治運動につながっていく引き金になる可能性は高い。三権分立を拒否する現制度のもとで、どのように腐敗問題を抜本的に解決していくか、この点でもまた胡錦濤体制に創造的な制度設計が求められている。
以上、二つのことを中心に、共産党の一党支配体制を維持しつつ政治的に新たな局面を開こうとしている胡錦濤体制が直面する課題をみてきた。いずれも従来の発想では乗り切ることのできない大きな課題である。こうした課題への対応次第で、胡錦濤氏が新しい政治システムの創設者として歴史に名を残すことになるか、それともいわゆる中国のゴルバチョフになるかが決まることになろう。