要約
- わが国では、長期にわたる経済停滞から脱するために抜本的な構造改革の必要性が叫ばれつつも、具体策を策定する段階になると、それに伴う痛みへの配慮が大きく働き、結果的には漸進的な改革にとどまってきた。こうしたアプローチと対極を成すのが、1980年代にサッチャー政権下のイギリスで実施された構造改革である。サッチャー改革は、それまで支配的であった政策や経済・社会構造、さらには国民意識までをも、根底から覆そうという試みであった。
- サッチャー改革は、供給力の強化を通じてイギリス経済の長期衰退を逆転させることを究極の目標に、「小さな政府」および「市場メカニズムの活用」を核に据えて構造改革を実施した。もっとも、第1次内閣(79~83年)時には、目先の緊急課題であった高インフレの沈静化を優先させ、構造改革に本格的に着手したのは、物価がある程度安定した後の第2次および第3次内閣(83~90年)時であった。
- サッチャー改革は多岐にわたったうえ、各々が相互に補完的であった。個別の改革についてごく単純化して評価すると、総じて成功したのは労働組合改革、金融制度改革、国有企業の民営化、成功した部分と失敗した部分が混在するのが税制改革と社会保障制度改革、失敗したと言わざるを得ないのが地方行財政改革であった。これらを総合的にみると、改革によってイギリスは「小さな政府」と「市場メカニズムの活用」に向けておおむね前進したと判断される。
- サッチャー改革の最大の成果は、イギリス経済の低コスト化を実現した点である。雇用コストおよび規制コストが大幅に低下したうえ、税コストの低位安定を維持し、他の先進国が上昇に見舞われたのとは対照的であった。その結果、国内経済が活性化したほか、失業率が大幅に低下し、今やイギリスは、雇用に関して世界の優等生の地位を確保するに至っている。
- ただし、衰退期間があまりに長期にわたったため、サッチャー改革によって転換を果たした時点で、イギリス経済はすでに他の先進国から大きく後れをとっており、いまだにキャッチアップできていないことには留意する必要があろう。
- 一方、サッチャー改革がもたらした最大の弊害は、貧富の格差の大幅な拡大と
それに伴う低所得者層の一層の困窮である。サッチャー政権は、市場メカニズムが浸透し、「努力すれば報われ、怠けていれば困窮する」競争的な社会システムをつくり上げることで、人々の働く意欲が高まると期待した。ところが現実には、働きたくても何ら技能も経験もない、いわば競争のスタートラインにすら立てない層が存在し、彼らは改革の痛みを全面に受けた。 - サッチャー改革からわが国が学ぶべき点としては、以下の五つに整理できよう。
a.サッチャー政権が、まず喫緊の課題であったインフレの沈静化に取り組み、それが一段落した後に構造改革に本格的に着手したように、目先の課題と長期的な課題を峻別し、優先順位をつけて政策運営を行っていくべきである。
b.サッチャー改革が国民に受け入れられたのは、国民全般にとって痛みを上回る恩恵をもたらすスキームを内包していたためである。わが国の改革も、国民が負担ばかりでなく、恩恵をも享受できるものでなければならない。
c.サッチャー改革ほどの抜本改革が遂行可能であったのは、サッチャー首相の強力なリーダーシップに負うところが大きい。わが国の構造改革を前進させるためには、小泉首相が政策の立案過程で、積極的に先導役を果たしていくことが不可欠である。
d.抜本改革を実施したからこそ、イギリス経済は再生を果たしたのであり、小手先の改革では大きな成果をあげるのは困難とみられる。
e.サッチャー改革には、破壊すべきでない秩序まで破壊してしまった側面もあり、それによって、イギリス国民は現在に至るまで苦しめられている。その意味で、抜本改革と単なる破壊とは区別されるべきである。わが国が構造改革を進めるうえで、何を破壊し、何を守り、何を新たに築くのか、これらが明確に打ち出された総合的な政策パッケージが求められる。