コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

コラム「研究員のココロ」

企業文化としてのデザイン(2)-後編

2004年11月15日 井上岳一


3.デザインの本質としての人間志向性

 以上見てきたように、企業文化としてのデザインは企業内に内面化された高い人間志向性と同義になる。だが、これは、ややトートロジカル(同語反復的)な言い方だ。デザインとは、人間の問題を美的に解決するための手段として生まれた、そもそも人間志向的なものだからである。少々回り道になるが、ここで、デザインという概念が生まれてきた背景を簡単に確認しておこう。
 現在で言うデザインの概念は、19世紀にウィリアム・モリスらが率いた英国のアーツ・アンド・クラフツ運動に端を発するというのが定説となっている。アーツ・アンド・クラフツ運動は、産業革命以降、急速に工業化が進み、醜悪な大量生産の品々が氾濫する事態に対して、生活の中に美を取り戻し、モノと人との調和が取れた美しい社会を建設することを企図した手工業の復権、芸術の大衆化運動であった。この運動は、世界中に広範な影響を与えることとなるが、手工業の復権を提唱した運動自体は、近代化の波に逆らえずに20世紀に入ると潰えてしまう。
 しかし、アーツ・アンド・クラフツ運動が目指した理念は、ドイツにおいて、産業化に対応した形で花開き、20世紀のデザインに対して、決定的な足跡を残すこととなったのである。この役割を担ったのが、ドイツ・ワイマールに1919年に設立された総合造形学校、バウハウスであった。バウハウスでは、産業社会におけるモノと人とのあり方が追求され、美を通じて人間の生活と産業社会を統合することが試みられる中で、数多くのデザインの原型や方法論が生み出されたのである。
 このように、ウィリアム・モリスらが目指した理念は、バウハウスを通じて、20世紀のデザインに受け継がれ、以後、脈々とその命脈を保っていくこととなる。デザインがそもそも人間志向的なものである、と言うのには、このような背景がある。


4.商業主義 vs 人間主義

 ただし、このようなデザインの有する人間志向性は、20世紀に各国に広がった大量生産・大量消費社会の中で、次第に忘れ去られていく。1930年代のアメリカでは、製品の外観のみを変えることによって流行を生み出す「スタイリング」という手法が大流行したが、この手法がデザインの位置付けを大きく転換させるものとなったからである。スタイリングの流行により、デザインは、売上を上げるためのツール、単なる美顔術として捉えられるようになったのである。
 高度経済成長期以降の日本においても同様の手法が用いられるようになり、次第にデザインは単なる商品の外観操作術になっていった。次々に大量生産の商品を生み出さないといけない経済システムの中で、一つ一つのデザインをしっかりと作り込んで行くようなゆとりはなかったのであろうし、消費者自身がデザインよりも機能や新奇性のある製品を求めていたのであろう。この結果、メーカーが違っても見分けのつかない安易なデザインが市場に溢れ返ることになったのである。これが「モノつくり大国」日本の現状である。
 一方、デザインを企業文化にまで高めて来た欧米の企業には、このような商業主義的なデザインとは一線を画してものつくりを行ってきた例が多い。例えば、イタリアの家庭用品メーカー、Alessi社では、そのデザインの思想的源流はウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動にあり、安易な商業主義デザインとは距離を置いているとの姿勢を貫いてきた(Alessi, 2001)。このような企業姿勢に基づきつつ、商業的にも成功を納めた革新的なデザインの数々を生み出しているからこそ、世界中のデザイナーや企業家達から敬意を込めた眼差しで見つめられ続けているのである。
 また、スイスの著名な家具メーカー、Vitra社の姿勢も印象的である。Vitra社のためにデザインを行っていたある日本人デザイナーによると、 Vitra社では、実際のデザイン活動に入る前に、約1年間、徹底して、お互いを知るための対話が行われたという。「お前は何者であるか」「何を考えてデザインをしているのか」等々の対話を続け、お互いの人間性に対する信頼が醸成された後、初めて、じゃあ、スケッチを描いてくれ、ということになったそうである。このように、デザインの前提として、互いの人間性や、デザインに対する哲学を含めて理解し合うことを重視している企業姿勢には、安易な商業主義に流されないストイックな倫理性を感じさせられる。


5.結果としての商業性

 あまりに商業主義的になり過ぎたデザインの風潮を批判し、人間のためのデザインの復権を唱え続けたオーストリア生まれのデザイナー、ヴィクター・パパネックは、「デザインという仕事の究極の目標は、人間の環境と人間の使う道具、さらには人間自身をも変革すること」にあると説いた(パパネック、 1974)。
 このような人間主義は、あまりに理想主義的だと言う向きもあろう。どんなに理想を言っても、売れるためのデザインをしない限り、企業は存在できないからである。しかし、本稿でその一例を紹介したように、デザインを企業文化に高めている企業では、多かれ少なかれ、パパネックの言う「究極の目標」を達成するための手段としてデザインを位置付けている。これらの企業では、人間志向こそが真の顧客志向であり、その追求の中から生み出された革新的な製品こそが、商業的にも成功をもたらすものなのだ、と信じているのである。これを示すように、前述のHerman Miller社でも、Alessi社でも、いわゆるマーケティング調査は一切行われていない。「売れるからつくる」という思考では、本当に良いものは生み出せないと信じられているからである。
 企業文化としてのデザインとは、このように、人間志向の追求を基軸に据えつつ、商業的な成功を目指すという困難な挑戦を続ける中で、次第に醸成されてくるものなのだろう。


6.<あなた>から<あなたたち>へ

 最後に、ここで言う人間志向性とは、極めてパーソナルで、具体的なものだということを確認しておこう。イタリアデザイン界の巨匠エットレ・ソットサスは、「デザインはたった一人のためにあれば良い」「デザインとは恋人に花束を贈るようなものだ」との言葉を残している(森山、2001)。喜ばせたい<あなた>を見つけ、その<あなた>への想いをカタチにして、真心を込めて届けること。そのような想いこそがデザインの本質であると言うことだろう。
 これからの時代、抽象的な消費者像をどれだけ積み重ねても人を感動させるものを作るのは難しい。人を感動させるのは、具体的な<あなた>に対する想いのように、深い愛情に基づき、相手のことをとことん考える中から生み出されたものである。そうやって<あなた>を突き詰めた結果として、消費者の一群としての<あなたたち>が立ち表れてくる。これが人間志向を追及し、デザインを企業文化に高めてきた企業の基本的な姿勢である。
 このような<あなた>への想いを追求する人間志向性を内面化すること。ここにこそ、企業がデザインを追求することの意味があるのだろう。


引用・参考文献

1. Alessi, Alberto (2001), “Beautiful but useful”, RSA Lectures March 2001

2. Beckwith, Deanne (2004), “Design’s Strategic role at Herman Miller”, Design Management Review Vol.15 No.2

3. 岩倉信弥(2003)『ホンダにみるデザイン・マネジメントの進化』税務経理協会

4. 京都造形大学編[大野木啓人・井上雅人責任編集](2003)『デザインの瞬間』角川書店

5. 森山明子編著[内田繁・松岡正剛監修](2001)『デザイン12の扉』丸善

6. パパネック,ヴィクター著[阿部公正訳](1974)『生きのびるためのデザイン』晶文社

7. 海野弘(2002)『モダン・デザイン全史』美術出版社

8. 渡辺力(2003)『ハーマンミラー物語』平凡社
経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ