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コラム「研究員のココロ」

「研究開発戦略 - 前編 - 」
~不確実性に動的に対応することの重要性~

2004年03月01日 浅川秀之


 かつて海外に架電した際にこちらが話しかけてから応答が返ってくるまでに非常に時間がかかっていた時期があった。今日では、国内に架電するのも海外に架電するのも、時間的な差異を感じることはほとんどない。通信媒体が電気から光に移行したことが大きな理由であろう。近年では、米デルをはじめ米ハイテク企業各社はコスト削減のため、顧客対応電話サービス拠点をインドに移している場合が多い。クレーム対応の電話のやりとりで電話回線に遅延があるようでは話しにならない。

 IP電話への移行が盛んであるように、近年ではデータ通信のトラフィックが大きな割合を占める。1本の光ファイバーで最大約10Gbps(注1)のデータ伝送が可能であるが、さらなるトラフィックの増大に対応するためにWDM(注2)という技術が使われている。1本の光ファイバーに160波分の光を束ねた場合、約1.6Tbps(注3)のデータ伝送が可能という計算となる。

(注1)「Gbps」:1秒あたり1ギガビットのデータが流れる速度。1ギガビット=10億ビット。
(注2)「WDM」:Wavelength Division Multiplexingの略。1本の光ファイバーで、波長が異なる複数の光信号を伝送する技術のこと。
(注3)「Tbps」:1秒あたり1テラビットのデータが流れる速度。1テラビット=1兆ビット。

 実際に1.6Tbpsというデータ通信を常時運用している通信事業者が存在するかどうかは不明である。しかしながら、大陸間の長距離海洋通信や、最近では加入者側からのイーサーネット信号を束ね、通信事業者側への橋渡しをする場面など、近年の光ネットワークプラットフォームとしてWDM技術は欠かすことができない。

 この現在の情報通信において欠かすことのできないWDMに関する技術はどのような過程で誕生したのであろうか。簡単にその歴史を振り返る。1980年代中頃から当時のNTTではPLC(注4)技術の開発が進められていた。PLC技術は、光の多重や分離、光ルーティングなどを光の波長単位で実現可能とする、光通信においてはコアとなりうるキーデバイス技術である。しかしながら、WDMのキーデバイスとしてPLC技術を応用したAWG(注5)というデバイスが実用化されたのは1990年代中頃である。PLCという新技術が、約10年の歳月を経て、AWGとして日の目を見るに至ったことになる。

(注4)「PLC」:Planar Lightwave Circuitsの略。シリコンや石英基板上に、光の通る光回路を形成し、その回路パターンにより、光信号の分離や多重など各種機能を実現する。
(注5)「AWG」:Arrayed Waveguide Grating の略。WDMシステムにおいては、複数波長の光を1本の光ファイバーで伝送させるため、複数波長を1本に多重分離する機能が必要となる。AWGはその機能を、PLC技術を用いて実現する1つの方式。

 ここで注目すべき点は「技術が最初に誕生してから製品化に至るまでの間、その技術に対する認識はどのように変化したのか?」ということである。PLC技術が最初に誕生した時にはWDMや光ルーティングといった言葉すら無かった。このような時期に、PLCという新技術に対してどのような将来像を描き、その後10年以上にわたり研究開発を継続することができたのであろうか。近年よく聞かれる「デスバレー」(注6)という現象は、WDMの場合、まさにこの10 年という期間に潜んでおり、これをうまく乗り越えることができた一例といえる。

(注6)「デスバレー」:北米において、製造業が圧倒的な優位性を失い産業競争力低下が深刻化した80年代の状況をデスバレーと表現する。研究開発から実用化の中間段階において事業化が可能か否かの見極めが困難となり、投資が不足してしまうことによって研究開発成果が死んでしまう状態をさす。

 ベースとなる新技術(PLC技術)の誕生後もその技術に対する研究開発投資が継続され、非常に長い年月を経てから真の意味(AWGの実用化)が見出されるに至った。なぜそのような長い期間、研究開発を継続することができたのかは推測の域を超えない。研究開発に対しては当時追風的であった日本の景気を考慮すると、現在の日本の決して芳しいとはいえない経済環境下において、同様のケースで研究開発が継続される判断が下されるかどうかは疑問である。

 WDMの例から学び取れる重要な点は、新技術が誕生した時点で「新技術の将来的な真の意味を考察し、研究開発投資に対して適切な継続可否の判断がなされるシステム」をその組織や企業が持ち合わせているか、ということである。WDMの事例の場合、そのような系統だったシステムの中で継続の判断が成されたのかどうかは不明である。しかしながら、このようなシステムが無いために埋もれてしまっている技術の数は計り知れない。

 新技術の将来的な真の意味を見出せるか否かによって、以降の製品開発に至らしめる研究開発投資の継続可否が判断される。従って、新技術が誕生した時に、その時点での企業や組織の経済環境だけといった狭い視野で新技術の将来性を判断すると、将来的な価値が過小評価されてしまい、以降の研究開発投資が継続されない。これは、新技術が「デスブランチ」(注7)を乗り越えられず、そのまま埋もれてしまうことを意味する。そのような状況をできるだけ回避するためにも、技術的な動向や競合他社の動向は当然のことながら、その他の社会、経済、政治、環境などの動向も総合的に考慮した上で将来的なシナリオを動的に捉え、その真の意味を判断していく必要がある。

(注7)「デスブランチ」:組織での意思決定次第では、それがたとえ将来にポジティブな潜在性をもったものであっても、死に至る(製品化されない)ことでビジネスの機会を失う可能性のある分岐点のこと(新保、2003)。「【図表】埋もれた技術に対する将来的な意味付け」参照のこと。

 ではどのようにすれば、新技術の真の意味を判断できるのであろうか。後編においては新技術についての将来的なシナリオを動的に捉える有効な考え方として、デスバレーとシナリオツリーを関連付ける考え方について述べる。
※コラムは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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