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Sohatsu Eyes

主客一致

2004年06月22日 足達英一郎


「主客一致」。この言葉は、15年前に「日本総合研究所」をスタートさせたときの重要なキーワードだった。近代物理学に代表される「主体」と「客体」の分離。言い換えれば「当事者」と「観察者」を分け隔てることで、客観的な分析が可能になるという考え方に対するアンチテーゼがそこにはある。第三者としてモノを論じるのではなく、自ら当事者となって現実と格闘することから言説を紡ぎ出そう。そうでなければ、真に説得力のある言説は生まれ得ない。これが新しいシンクタンクを立ち上げるにあたって、我々の思い定めた信条であった。

こうした考え方は、日本の伝統のなかにも深く根付いている。昨今の「企業の社会的責任」に対する関心の高まりのなかでも、産業界の方から、「欧米の企業社会責任論は、企業が企業を取りまくステークホルダー(利害関係者)からの期待や要求に応えるという受け身の色彩が強すぎる」「企業とステークホルダーという二項対立の考え方には馴染めない」という声をよく耳にする。
欧米の社会では、自分と神、自分と社会、自分と企業というように常に「主客」がある。これに対して、日本では、それが「わが国」であり、「世の中」であり、「うちの会社」となる。自分とそれを取り巻くものとの関係はきわめて曖昧なのだ。こうした特性が、優れたチームワーク、業務改善などの抜群の現実適応力を発揮するベースとなってきたことはいうまでもない。
しかし、一方でそれが弱みになることもある。最近の企業不祥事の頻発かよい例だ。身内意識が強すぎ、「みんなで渡れば怖くない」という論理が支配すると、組織はとんでもない暴走を始めてしまう。「個の確立」という問いは、文明開化に直面した明治の知識人以降、依然として我々に課された宿題であり続けている。社会、政治、企業のカバナンスという各々の側面で、この国の機能不全が目立つ理由は、こうした弱みが強く出てきてしまっている証左だろう。
イラク日本人拘束事件で巻き起こった「自己責任論」に関して、「もうこの国には住みたくない」と呟いた若い知人がいる。問題は、欧米の価値観がグローバルなものになるなかで、「主客未分化」の雰囲気が一種の息苦しさを与えてしまうという懸念である。新聞報道によれば、中国の大学生の就職企業ランキングでは、欧米系企業はもちろん、韓国系企業に比べても日系企業は下位にあると伝えられている。

自分は、それでも「主客一致」の優れた点を信じたい。ただ、そうであるならば、単に「社外取締役制度は日本では機能しない」などと片づけるのではなく、世界でもまだ回答が見つかっていない応用問題に挑戦するがごとくに、「感じる力」「考え抜く力」「共感を呼び起こす力」を研ぎ澄ましていく必要がある。そう再確認している。
 
※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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