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経営における父性と母性(後編)
~母性回復のマネジメント~

2009年11月13日 井上岳一


1.人の成長における父性と母性の役割

 心理学者の河合隼雄は、「よい子だけがわが子」という規範によって子どもを鍛えようとするのが父性原理であり、「わが子はすべてよい子」という標語によって子を育てようとするのが母性原理であると言っている(注1)。実感からしても、確かに子どもが健全に育つにはこの両面が必要だと言えそうだが、ではそれぞれの原理はどのように子どもの成長に作用するのだろうか。
 実際に子育てをしていて思うのは、子どもが安心して成長するためのベースとして「自分の存在は認められている」という安心感を与えることが不可欠になるということだ。 そのような安心感があるからこそ、好奇心や新しいことに挑戦しようという冒険的な意欲が子どもの中に芽生えてくるのである。 そして、この安心感の前提になるのが、子どもの存在を無条件に肯定すること、つまり「わが子はすべてよい子」という母性的な態度で接することである。子どもにはまずは母性が必要なのだ。
 そして好奇心や冒険的意欲が芽生えてきたら父性の出番となる。父性の役割は、「よい子だけがわが子」という規範を示すことによって、好奇心や冒険的意欲を建設的な方向に導くことにある。父性に鍛えられることによって、子どもは母性から距離をおけるようになり、自ら生きる力を獲得していくのである。

2.鍛え方の基本

 この時の鍛え方、導き方が重要である。山本五十六は「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」と言ったが、親が手本を見せ、真似させてみて、ちょっとでもできれば誉める。これが一番子どもをモチベートできるやり方であることを親達は無意識に知っている。子どもがごく小さい頃、ちょっとでも何かできると満面の笑みで大袈裟に誉めそやすのはその証拠だ。子どもはそういう親の笑顔と賞賛が欲しくて、親が求める行為ができるようチャレンジし続けるのである。
 だが、子どもは親の言うままに行動するだけではない。必ず親が示す以上のことをしようとしたり、できるようになったことを組み合わせて新しいことをしようとしたりする。親の言う「よい子」を目指しながらも、必ず逸脱していくのである。逸脱によって、子どもは自分の可能性を確かめながら、どこまでが許される範囲なのかを見極めようとしている。これは、親にとっては、自分の規範が問われることを意味する。このやり取りの中で、子どもは個性を伸ばしていくし、親は伸びていく子どもの個性を見守りながら、自らの規範のあり方を問い、修正していくのである。修正というと大袈裟だが、少なくとも「こうでなければいけない」と思っていた規範が、「こうでもいいか」と弛んでいくのは事実だ。そこには相互作用がある。相互作用があるから面白いのであって、親の考える「よい子」に従わせることだけを強要するならば、子どもにとっても親にとっても不幸な関係しか生まれない。

3.成長の前提にある「対話の姿勢」

 つまり、子どもは子どもで親の規範と対話しながら成長をし、親は親で子どもの行動を見て、自らの規範と対話しながら学んでいくのである。成長の前提にあるのはこのような「対話の姿勢」だと言えるだろう。
 実は、意外と知られていないが、先の山本五十六の言葉には、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」という文章が続く。「話し合い、耳を傾け、承認し」はまさに対話の重要性を意味するものである。
 対話の姿勢は、相手のあり方を受け入れようという態度だから、母性的である。そう考えると、人を育てる場面では、父性原理と母性原理は画然と分けられるものではないことがわかってくる。「よい子だけがわが子」という規範(父性)に一方的に従わせるだけでなく、「話し合い、耳を傾け、承認」する対話の姿勢(母性)を持つことが重要ということだろう。
 そう考えると、父性原理的な成果主義自体が問題なのではなく、その運用に問題があったのではないかと思えてくるのである。成果主義における規範が「結果を出すことが一番大事」というものだとすれば、それ自体は決して間違ってはいない。だが、その規範の前提には存在を無条件に肯定する母性的な態度があることが不可欠だし、結果を出すために努力させる過程では「話し合い、耳を傾け、承認」する対話の姿勢をベースとした母性的なケアが求められる。成果主義の運用に欠けがちなのは、この母性的なマネジメントである。 業績至上主義で、自己責任の名のもと、結果だけで人を評価するのは、成果主義でも何でもなく、単なるマネジメントの放棄に他ならない。 マネジメントの放棄により殺伐としてしまった職場に必要なのは、母性的なマネジメントによる「母性の回復」だと言えるだろう。そしてこのような母性的なマネジメントのベースとなるのが対話のスキルである。

4.対話のスキルをどう身につけるか

 日常的な情報交換の会話ではなく、意見をぶつけ合う議論でもなく、お互いの立場や存在を認め合うための対話。(注2)。この対話のスキルを磨くには、対話というものを実際に経験するほかない。管理者達が対話のスキルを磨き、組織全体に対話する風土ができることが、今、多くの職場で求められている。
 組織に対話の風土を生み出すためには、組織のトップである社長自身が対話の重要性を実感することが前提となる。何をおいても社長自身が対話を体験し、その効用を実感することが重要である。対話を重ねると社長の内面には確実に変化が生まれる。この変化は人それぞれだが、一般に、社長という役割の仮面の下に隠れた、非常に情緒的で柔らかな部分、いわば「その人自身」が現れ出てくることが多い。そのような時の社長は、すべての社員を無条件に尊重するような母性的な愛に満ちている。従って、この愛を経営理念や行動規範や社員向けのメッセージの形で素直に表現していけば、組織の前提に母性的な温かさが存在するようになる。

5.父性と母性を使い分けるリーダーシップ

 かと言ってそれまで父性の象徴だった社長が母性的に変わるべき、とは思わない。山本五十六のような偉大なるリーダーであれば、父性と母性の両面を使い分けることが可能かもしれないが、それを全ての社長達に求めるのはいささか酷だからだ。誰もがカリスマリーダーになれる器を持っているわけではない。そこは現実的に考える必要がある。
 だから、父性と母性の両方の役割を持とうと腐心するよりも、自分は父性の役割を担うのだと割り切って、母性の役割を担う人間を別に用意するほうがいい。自分が一人二役やろうと無理するよりも、別に母親役を作ってしまうのである。本田宗一郎と藤沢武夫(Honda)、盛田昭夫と井深大(Sony)のように、今なお語り継がれる名経営者達が二人三脚の経営体制でやっていたことはその意味で興味深い。同等の権限を持つ二人がいるからこそ、父性と母性を使い分けることも可能になるのだろう。
 しかし、多くの社長は「女房役」「右腕」と言いながら自分のイエスマンしかそばに置こうとしない。イエスマンは信頼し合っているパートナーとは言い難い。 夫婦のように、時に自分に反対意見を言えるような、対等の女房役が必要だ。そして女房役を育てるためには、これまた対話の姿勢が必要なのである。結局、女房役を持てるかどうかも、経営者の器ということにはなるが、これはまあ致し方のない現実である。

6.母性回復のマネジメント=Maternal Care Management

 社長自身が対話の重要性を知った上で、経営理念や行動規範や社長のメッセージにそれを反映する。そして信頼できる女房役を育てる。ここまでできれば組織は相当程度に父性と母性のバランスがとれてくる。この上でなお必要ならば、対話の風土づくりのためのしかけを組織に組み込んでいけばいい。これはワークショップをベースとしたしかけにするのが望ましいだろう。ワークショップは、対話をベースとする人間関係を醸成するのに適しているからである(注3)。ワークショップは社員数が少なければ全員を対象として良いし、多ければ管理職だけを対象にすればいい。これら一連の作業が、殺伐としてしまった会社に母性を回復するためのプログラムである。これを母性回復のマネジメント(Maternal Care Management)と筆者は呼んでいる。


(注1)河合隼雄[1997].『母性社会日本の病理』講談社+α文庫

(注2)「対話」のあり方や効用を考察したものとしては、デヴィッド・ボーム [2007] (金井真弓訳).『ダイアローグ』英治出版、ダニエル・ヤンケロビッチ [2001] (山口峻宏訳).『人を動かす対話の魔術』徳間書店、等が参考になる。

(注3)ワークショップの効用については、例えば、中野民夫[2001].『ワークショップ』岩波新書


※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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