Economist Column No.2025-025
何を得るため何を譲るか―NATO防衛費交渉に見る対米戦略―
2025年06月27日 福田直之
2025年6月25日、北大西洋条約機構(NATO)加盟国はハーグにおける首脳会議で、防衛費を国内総生産(GDP)比5%に引き上げるという新たな目標を決定した。現在の2%からは大幅な上積みとなる。増額を求めてきた米国の圧力に屈した形だが、これはNATOによる戦略的譲歩の結果であろう。加盟国は「何を得るため何を譲るか」という計算から、防衛費という経済的負担と引き換えに、加盟国による集団防衛を定めた条約第5条に関する米国のコミットメントを確保した。この交渉から、日本が学ぶべき教訓は多い。
■計算された戦略
ルッテ事務総長が主導したこの交渉の核心は、トランプ大統領の心理的特性を巧みに利用した点にある。トランプ氏は「ディール」を好み、具体的な数字での「勝利」を求める。ルッテ氏はこの特性を逆手に取り、話題になっているオランダ王宮宿泊などの歓待ぶりだけでなく、防衛費5%という「勝利」を提供することで、トランプ氏がこれまで疑問を呈していた第5条への明確なコミットメントを引き出した。
さらに巧妙なのは、実施期限を2035年に設定した点だ。これにより、足元における急激な財政負担増を回避しつつ、10年間の猶予期間を確保している。また、インフラやサイバーセキュリティーなどの関連投資も防衛支出に含めている。
トランプ氏は合意後、「我々は彼らと最後まで共にある」と公言した。
■負えない米国離脱コスト
NATO加盟国が5%目標を受け入れた背景には、米国離脱のコストの冷静な評価がある。米国の核の傘と通常戦力なしにロシアと対抗するためには、大幅な追加投資が必要となる。特に重要なのは、核の傘である。英仏の核戦力だけでは、ロシアの核による威嚇に対抗できない。
この観点から見れば、5%目標を受け入れても、米国をこの同盟に留める方が経済的に合理的という計算だ。また、ルッテ氏は「ロシアは5年以内にNATO攻撃を考えられる態勢が整う」と警告し、米国側に欧州を失うリスクを認識させた。
■わが国も問われる戦略的思考
米国防総省のパーネル報道官は、わが国を含むアジア太平洋の同盟国も欧州の同盟国と同じ水準の負担を担うべきとの認識を示した。また、関税交渉も当面の期限となる7月9日が見えてきても出口が見えない状況だ。
これらの交渉において、NATOの対応から学ぶべき教訓は、「何を得るため何を譲るか」を明確にする戦略的思考だ。例えば関税引き下げ交渉においては、単に自動車関税の引き下げを求めるだけでなく、案として浮上しているように、自動車産業による米国への投資を拡大し、米国生産車を日本へ逆輸入することを通じて、トランプ氏の狙う貿易赤字削減への貢献と日本メーカーの利益の両方を実現する合わせ技もあるだろう。また、防衛費に関しては、段階的増額と引き換えに東アジアにおける米軍の継続的コミットメントを確保するといった戦略が求められる。歴代政権がとった対中抑止をトランプ政権が引き継ぐのかどうかに関し、不透明さを完全に払拭しておくことは、日本の安全保障において極めて重要である。こうした交渉をするためには、個別の事情を越えた包括的な対米戦略の構築と実践が必要である。
貿易や軍事における不均衡を是正しようとするトランプ政権の論理を理解し、我が国の不可欠性を高める方向で、より対等な関係を構築しなければならない。理想が通用しない時代、感情論や原則論にこだわらず、実利に基づく戦略的思考こそが重要である。
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