筆者は、選択的夫婦別姓制度がなぜこれほどに導入されないか、ということに興味を持ってきた。2025年にも、盛り上がったかのように見えた議論は選挙を前に他の重要課題の陰に隠れてしまった感がある。日本では婚姻時に1つの姓を選ばなくてはならないという現行ルールは結婚制度の魅力を低減していると考えられ、結婚と出産が強く結びついている社会の状況を前提にすれば、結婚が増えなくては出産も増えないわけだが、年間の出生数が70万人を切った現状でも、真面目に検討されていないのではないか。
「選択的」夫婦別姓制度でさえ、あえて導入しなくてもよい、という考え方を取る場合に、よく言われるのが「旧姓を使いたければ便利に使えるようになっている」という利便性の充実である。これについて、いくつかの課題を提起しておきたい。
企業向けのアンケートによれば、旧姓利用を認めている企業は全体で6割台、大企業でも約8割近くである(※1)。企業で働いている女性のなかには、本人が旧姓利用を希望していても会社が認めないケースがまだ存在する。年間約48万組が結婚しているため、約45万人が夫の姓になっていると推計できる(※2)が、これに女性の有職率約8割をかけて、36万人が雇用されているとする。年間36万人もが、「自分がどう名乗るか」という社会生活の基本事項について勤め先の考えを確認せねばならず、さらにその考え方によって自己決定できなくなっているのが、現状である。
さらに、女性が起業したり、企業経営に携わったりする場合、つまり「女性が活躍」している場面でも、課題がある。会社法では取締役の登記を必要としているため、仕事で旧姓を通称として使っている場合に、さまざまな書類上で、戸籍名と通称をカッコ書きで併記するという実務が発生する(具体的な根拠は商業登記規則にある)。現状では、カッコ書きが発生するのはほとんど女性である(95%)。この時、カッコ書きのない女性は結婚していないかもしれない、ということを推測できてしまう。男性の場合、結婚していてもしていなくてもカッコ書きがないことが普通なので、結婚しているかどうかというプライバシーに関する問題について、女性のみ、見られてしまうといってもよい状況にある。もちろん、結婚していて通称使用をしていない女性もいるため、カッコ書きがなくても結婚している女性もいる。問題は、こんなことがカッコの存在によってあれこれ想像できてしまうところにある。
取締役の登記まで持ち出さずとも、例えば従業員同士で同僚の歓送迎会等を企画し、誰かが費用を立て替えて、振込によって精算する場合にも同じことが起こり得る。その口座名がいつもの通称ではなければ、この人は通称使用なんだ、ということが分かってしまう。歓送迎会をやるほど仲がよければもともとプライベートな事情を知っているだろう、目くじらをたてなくてもよいではないか、という声も聞こえてきそうだが、それは、当事者への想像力の欠如だと主張しておきたい。旧姓のまま口座を持っておくことも可能だが、戸籍と口座が一致していないと不都合が生じる可能性がある、と全国銀行協会も明記(※3)しており、利便性が確保されているとは決して言えない。
登記や口座のことは、ジェンダー不平等の関する様々な課題のなかで、女性に対する暴力や低賃金と比較すれば、小さな課題かもしれない。しかし、ウェルビーイングの重要な構成要素である「自己決定」に関して(※4)、選択肢を与えることが技術的にできるのにしていないという状態であり、現状は女性にその負担が偏っていること、また、プライバシーの守りやすさの観点で男女差が生まれていることは事実である。「選択」が可能になることによってカッコ書きをなくせれば、無駄な仕事も減り、事務負担を理由に旧姓の通称使用を認めないといった楽しくない議論もする必要がなくなるだろう。
(※1) 帝国データバンク「2025年3月14日発表 旧姓の通称使用に関する企業の実態アンケート」

(※2) 法務省 選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について

(※3) 全国銀行協会 結婚に関する口座の手続き

(※4) 自己決定が主観的幸福度を決める重要な要素だという研究は国内にもある。例えば西村和雄(独立行政法人経済産業研究所)、八木匡(同志社大学)[2020]「幸福感と自己決定―日本における実証研究」。ただし、進学と就職がそのシーンとして調査されている。
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