オピニオン
個人のCO2排出量取引に対する欧州の評価と日本への示唆
2025年03月25日 王婷
2024年4月、European Strategy and Policy Analysis System (ESPAS) は「Global Trends to 2040」を発表し、地政学、経済、人口、環境・気候、健康などの観点から今後のさまざまな政策の可能性について論じました。ESPASは、欧州議会、欧州委員会など欧州の9つの機関によって形成される、最適な政策選択のために長期的な社会の変化を研究する仕組みです。このレポートのなかに以下の記述があります。 「気候変動の危機が深まり、資源不足が深刻化する中で、企業に対する、排出量や資源の制限や割当がますます一般的な政策ツールとなっている。他方、1990年代後半から繰り返し提案されているアイデアの一つに、個人にも同様の制限や割当を導入し、個人の排出量取引を導入するというものがある。しかし、その費用、社会的に理解されにくいこと、政策意思決定者の低い受容性などの理由から採用されなかった。しかし最近の研究では、技術ツールにより、そのような制度のコスト効率と実現可能性を高めることができると論じている」。これまで、何度も提案されながらも採用されてこなかった個人の排出量取引が、技術進化により可能になるかもしれない、という指摘です。 では、「個人の排出量取引」に関するこれまでの取り組みにはどのようなものがあったでしょうか。まず、個人のエネルギーや交通利用、衣食住におけるCO2排出を定量化する「個人カーボンアカウント」という仕組みはアメリカ、スウェーデン、中国などを中心に先行導入されてきました。導入できたこと自体、人の移動や消費のデータを取得する技術が成熟した結果といえます。 個人レベルの排出データを活用した民間サービスには、クレジットカード会社が関わっているものが複数あります。代表例の1つが、個人が日常生活で排出したCO₂量に対し、自らオフセットする機会を提供し、個人のネット・ゼロ・エミッション目標を達成させるというサービスです。環境意識が高い方が多く参画しているといいます。マスターカード社がスウェーデンのフィンテック系ベンチャー企業Doconomy社と共同で発行した世界初のCO2制限付き「DO BLACK」クレジットカードでは、個人のCO2排出量の年間上限が設定されます。そして買い物するたびに、CO2排出量を集計し、年間排出量の上限を超えるとクレジットカードが使えなくなるという仕組みです。利用者は、アプリを通じて、寄付や国連が認定するCO2削減プロジェクトへ投資することで、自身のCO2排出量をオフセットします。オフセットに支払う金額を抑えるためにはCO2排出量を小さくしようという意識が働くことが期待されます。 さらに、自治体が主導して、個人の排出量取引(Personal Carbon Trade)の実証を行った例がフィンランドのラハティ市にあります。2018年から市の主導で検討され、実証まで行われました。計画づくりから実証までの資金はEU都市開発プログラム「URBAN Innovative Actions」が支援しました。実証の手順は以下のとおりです。 ・GPSを通じて利用者の移動手段をリアルタイムで観測し、CO2排出量(A)を算出する ・毎週、市民に排出割当量(B)を付与する ・排出量が割当量より少ない(A<B)場合、奨励として仮想コインが付与される ・逆の場合(A>B)は、取引市場からクレジットを購入しなければならない ・仮想コインは、路線バスの乗車券、スポーツジムのパス、コーヒー、公共プールの利用に交換可能 2020年3月から10月までの実証期間中に、アプリは約3000回ダウンロードされ、アンケート調査では約半分の参加者が低炭素な交通手段の選択に効果があったと評価しました。コロナの影響で実証が短期間でストップしましたが、今後もこのPCT方式をEUで検討するとのことです。 冒頭で紹介したESPASの指摘を踏まえると、こうしたサービスや実証を通じながら、さまざまな技術的、制度的ノウハウが蓄積されていることが想像できます。日本国内にも、「デジタル地域通貨」のように、昔はアナログだった仕組みをデジタル化することで進化している活動はあります。家庭部門の排出量が増加している現在、個人の排出量取引についても、以前に比べてコストや利便性の面でハードルが下がっている可能性があることから、一度検討を見送ったことのある場合でも再考してみる余地がありそうです。 本コラムは「創発 Mail Magazine」で配信したものです。メルマガの登録はこちらから 創発 Mail Magazine ※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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