2000年代に、深層学習技術の進展を契機に始まった第3次AIブームでは、新技術および新手法の開発速度が、それらの技術のコモディティ化速度を上回る状況が続いている。その結果、世界の生成AI市場規模は2023年に670億ドルに達し、2032年には1兆3,040億ドルへと大幅な成長が見込まれている(※1)。生成AI技術は用途ごとに特化する傾向が強まっており、例えば文章要約や画像生成のように用途に応じた適切な手法を選択することが一般的となっている。AI技術の急速な進展により、さまざまな場面での支援や利便性向上が期待されている一方で、業務での利用を除き、日常生活において恩恵を実感する機会は依然として限定的である。
AI技術を含むシステムは、入出力が明確に定義された仕様通りの環境においてその能力を最大限に発揮する。したがって、AIの恩恵を享受するためには、個々人の日常生活そのものを整理し、要素に分けて一つずつ明確に表現する必要がある。ただ個々人の日常生活は各要素が複雑に関連しており、また他人と全く同じ生活スタイルであることも考えにくい。私自身の生活に関する考え方や価値観を改めて省みると、生活スタイルを決定する際には、自身の状況に加え、家族や親族の状況や体調、友人や同僚、隣人といった周囲の人間関係、さらには地域イベントやコロナ禍や経済状況といった社会的な潮流等の多様な要素が影響を与えていると実感している。これらの要素の影響度は大小さまざまであるが、多くの場合、他者が関与している要素も少なくなく、また状況に応じて変化する非定常的な性質を有している点も特徴的である。
日常生活を要素ごとに明確に表現し、AI技術を有効活用するためには、日常生活と仕事の関係性や位置づけを再定義することが求められる。上記に挙げたような要素を踏まえ仕事と生活の調和をはかる考え方として従来「ワーク・ライフ・バランス」が使われてきた。しかし、ワーク・ライフ・バランスでは生活はひとくくりにされやすく、仕事と生活を二分して対立するものとして捉えるため、生活重視か仕事重視かという程度の選択肢しかない。例えば、境界面に位置するような業務のための勉強や、趣味の気づきを業務に活かすといったことは位置づけが難しかった。
こういった状況の中で相互に補完し合う状態を目指す新たな概念として「ワーク・ライフ・インテグレーション」が提唱されている。この考え方は、仕事と生活をシームレスに結びつけ、それぞれの価値を最大化することを目的としている。ワーク・ライフ・インテグレーション自体は新しい概念ではなく、欧米では2005年頃から広く議論され始め、徐々に広がりを見せている。本概念では、個々人の生活を構成する多様な要素を考慮しつつ、仕事と生活だけでなく日常全体を重視し、各自の意思や能力に基づいて役割を果たすことを目指している。その最終的な目的は、一人ひとりのパフォーマンスの最大化にある。
日本国内では、2008年頃からワーク・ライフ・インテグレーションに関する情報や課題が整理されてきたが、当時は決まった時間での勤務や出社が大前提となっており時間や場所を柔軟に切り替えた勤務を選択することが難しい状況でなかなか浸透しなかった(※2)。2018年に始まった働き方改革に基づく労働者の意識変革に加え、2020年より発生したコロナ禍において、在宅勤務の増加を受け私生活と仕事を同時に管理・対応する必要性が顕在化したことで、再び注目を集めるようになった。ワーク・ライフ・インテグレーションに基づく生活スタイルでは、子育てや介護をしながらリモートで勤務をすることや、新たなアイデアを創出するためプライベートで参加しているコミュニティに職場から支援を受けて業として参加することなどが容易になり、従業員満足度や生産性の向上、人材確保への貢献が期待される。
現時点において、ワーク・ライフ・インテグレーションの具体的かつ決定的な実践手法は確立されていない。しかしながら、家庭生活、ケア(介護・子育て等)、地域生活、個人生活、健康、仕事生活・キャリア、地域貢献といった要素を整理するために、関連書籍や文献に記載されている図表をベースに整理することが有効な手段であると考える。また上記の粒度であれば健康サポートやキャリアサポートといった既存のAIやシステムのカバレッジに近く支援も受けやすく、今後さらに多くの場面でその恩恵を享受できる可能性があると考えられる。
個々人が異なる価値観や状況の中で自身の状態を見直し納得感を得るため、また急速な進展が進むAIや先端技術の支援を継続的に活用するためにも、「ワーク・ライフ・インテグレーション」視点での情報の棚卸しをし、インフラとして整備をすすめようと考えている。
(※1) 令和6年度情報通信白書 総務省

(※2) 21世紀の新しい働き方 「ワーク&ライフ インテグレーション」を目指して
2008年5月9日 社団法人 経済同友会

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。