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「聴く」ことから始まるエクイティ

2025年02月12日 瀬名波雅子


 この数年、特に米国ではDE&Iをめぐる動きが大きく変化してきた。
 DE&Iは従来のD&I 、すなわちDiversity (多様性)と Inclusion(包摂)にEquity(公平/公正性)が追加された概念だ。多様性を包摂し、平等に機会を提供する(D&I)だけでは、文化的・構造的な差別のなかで、はじめから不平等なスタートラインに立つ人たちの権利・機会の保障がなされない。その気付きと反省から、Equity(以下、エクイティ)が重視されるようになった。背景には、ブラック・ライブズ・マターやコロナ禍で露わになった社会のさまざまな分断がある。

 社会に染み付いた「文化的・構造的な差別」は多くの場合、マジョリティの側からは見えにくく、理解されにくい。そのため解決されることもないまま、特定の人たちは不平等で周縁化された状態を生きることを余儀なくされる。

 エクイティの実現には、周縁化されてきた人々が発言権や決定権をもてるようなシステムチェンジが不可欠となる。そのためには、彼ら・彼女らの声をよく聴き、なぜそうした状態が起きているのか、その構造を理解するところから始める必要がある。

 当たり前のことだと思うかもしれない。しかし、その当たり前が見過ごされがちなところにエクイティの難しさがある。それはたとえば、社会課題の解決に取り組んできたソーシャルイノベーションの分野においてでさえ、エクイティをめぐる反省が語られるようになったことにも表れている。

 ソーシャルイノベーションの分野で大きな影響力を持ってきたアプローチに、2011年にジョン・カニアとマーク・クラマーによって提唱された「コレクティブ・インパクト」がある。私が前職で編集に関わっていた “Stanford Social Innovation Review(SSIR)”で発表され、一番多く読まれた論文だ。

 コレクティブ・インパクトは複雑な社会課題解決のために、企業、行政、NPO、アカデミアなど異なるセクターが持続的に連携・協働してインパクトを生み出す枠組みを示したものだ(※1)。論文は100万回以上ダウンロードされるなど、大きな反響を呼んだ。しかし約10年後の2022年、提唱者たち自身が「エクイティについての配慮が足りなかった」という反省から、エクイティの実現をゴールに据えた新しいコレクティブ・インパクトのモデルを提唱し直したのである(※2)

 反省のなかで述べられているのは、コレクティブ・インパクトを標榜しながらも、その取り組みにおいてはトップダウンの意思決定がなされることが多かったという事実である。そのため周縁化されてきた人々やコミュニティからの反発を受けたり、必要なパートナーをまとめられなかったりして、期待された成果を出せないことが多くあった。社会課題解決を目指した協働・連携においてでさえ、ともすれば不平等な扱いを受けてきた人々を周縁化された状態にとどめ、支配的、表層的に取り組みを進めてしまうという現実があった。

 エクイティを取り組みの中心とするためには「まず社会の端に追いやられた人々の人生経験を聞き、包括的に理解することが必要」と書かれたこの論文を読みながら思い出したのは、以前働いていた認定NPO法人ビッグイシュー基金(※3)での経験だった。

 ビッグイシュー基金では、ビッグイシューの仕事(路上での雑誌販売)がしたいと事務所を訪ねてくるホームレスの人たちにまず温かい食べ物を出し、路上生活に至った背景や困っていることなど、本人が話せる範囲で話をよく聴いていた。目の前にいるその人の経験から、社会で何が起きているのか、何が彼らを排除してきたのかなど、たくさんのことを教えてもらう時間だった。

 リーマンショックを機にホームレス状態に陥る若者が増えたときにもいち早くその変化に気づいたビッグイシュー基金は、帰る家をなくした彼らの養育環境や仕事の経験などをつぶさに聞き取った。その声をもとに有識者・支援者のネットワークをつくり、共に学び、「若者をホームレスにしない」ために必要な支援策を提案・実践してきた(※4)。こうした一連の取り組みは、すべて家をなくした若者の声を「聴く」ことから始まっていた。

 トランプ氏の大統領再選を機に、米国を中心に今後しばらくDE&Iの機運は後退することが予想される。しかし社会の分断が進めば進むほど、エクイティの重要性は高まるはずだ。公平で公正な社会の実現は、遥か遠くの理想のように思えるかもしれない。しかし「聴く」ことは、誰にでも始められる足もとからのイノベーションといえる。政治や企業の動向に右往左往してしまいそうになる今、まずはこれまで気づかずにいた人たちの声に耳を傾けることから始めていきたい。

(※1) Collective Impact
日本語訳:コレクティブ・インパクト : 個別の努力を越えて今こそ新しい未来をつくり出す
(※2) Centering Equity in Collective Impact
日本語訳:コレクティブ・インパクトの北極星はエクイティの実現である
(※3) 認定NPO法人ビッグイシュー基金
(※4) ビッグイシュー基金 若者のホームレス化予防


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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