コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

オピニオン

ニューロダイバーシティがつくる多様で寛容な社会

2024年11月26日 木村智行


 2024年8月1日に日本総研が主催となり民間企業7社とニューロダイバーシティマネジメント研究会を立ち上げ、同年9月から本格的に活動を始めた。この研究会では、発達障害がある人の新たな活躍機会として高度・先端IT領域に注目して、能力を発揮しやすい業務領域の特定とその領域でのマネジメントの在り方を研究している。この活動を始めてから筆者の周りで大きな変化が起き始めた。それは、「私も発達障害である」「自分も発達障害の傾向がある」「発達障害についてよく理解できる」と頻繁に聞くようになったということだ。本稿ではこの変化から、これからの社会の可能性を見ていきたい。

 まず、発達障害とは、いわゆる定型発達とは異なる脳・神経の発達をしている人が社会との接点において何らかの困難な状態に置かれていることを指す。人口の1割程度がその傾向・可能性があるとされる。東京都の人口が全国の約11%であり、それに匹敵する割合といえる。そうした脳・神経の発達に対する医学的な診断名として主に、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)などに分類され、一般的には以下のような特性と強みがあるとされる。そして、特性の表れ方は環境に大きく左右され、高ストレス下では特に強く表れやすいとされる。

発達障がいの主な特性と強み

出所:LITALICO ジュニア・経済産業省 イノベーション創出加速のためのデジタル分野における
「ニューロダイバーシティ」の取組可能性に関する調査を基に日本総研作成


 これらの特性は強弱があるものの、定型発達も含め誰もが特性のグラデーションのどこかに位置するものとされている。つまり、定型発達と発達障害は、何らかの境界において二分されるものではなく、ひとつながりなのである。ニューロダイバーシティ(神経多様性)は、こうした脳・神経に起因する多様性を相互尊重し、多様な人の活躍機会を作っていこうという概念である。

 上記の多様な発達特性について、「特性が強く表れている人」「特性があるものの強く表れていない人」が就労においてそれぞれ異なる困難に直面している。「特性が強く表れている人」については、前述のニューロダイバーシティマネジメント研究会で取り扱っており、詳しくは筆者の以下記事を参考にしていただきたい。
発達障がいがある人の高度・先端IT人材としての活躍可能性 | GREEN×GLOBE Partners

 本稿では、「特性があるものの強く表れていない人」が就労において直面する困難について考えてみる。こうした人は文字通りにひとくくりにはできず、自己理解や置かれている状況は実に多様である。例えば、傾向があると医師から言われたことがある人、自分もそうかもしれないと思っている人、発達特性がありながらも自覚がない人などだ。特性がある人の不得意の例として、「多くの人がいる場で話す」「調整・交渉」がある。これらが特性に起因する不得意であると、どう頑張ってもうまくできない、やってみても極度に疲れてその後に寝込んでしまうといったことがある。
 就労においてこのような困難に直面する原因には、発達障害に関する社会的な理解の不足があると考える。実際に、「発達障害」という言葉の認知度は91.5%である一方で、対応に関する知識を知っている人は26.5%というデータがある(※1)。こうした状況下、当事者にとっては特性を周囲に伝えることに恐れや不安を抱えやすい。一般雇用下にある発達障害の診断がある人のうち、51%は障害を周囲に伝えることに抵抗があり、39%は実際に誰にも伝えていない(※2)。特に発達特性は目に見えないものであることが多く、たとえ公表したとしても本人の努力不足と捉えられてしまいやすい。特性が強く表れていない人は医師からの診断もおりづらいため、なおさらそうした状況に置かれやすい。そして、職場での無理解は、本人の努力でどうしようもできない苦手なことを強要し、不適応の蓄積によって二次障害であるうつ病や適応障害などにつながるリスクが高まるとされる。

 以上を踏まえ、「自分も発達障害である・傾向がある・理解できる」と筆者がよく聞くようになったことはどう捉えればよいだろうか。例えば、企業やメディア向けに、ニューロダイバーシティマネジメント研究会を紹介する場で耳にするのである。発言の背景には、「職場では理解されず・不利益が発生するかもしれないので敢えて言いはしないが、本当は弱みも含めて自分のことを理解してほしい」という欲求があるのではないかと筆者は考えている。

 弱みを理解してほしい人というと、目に見えて社会的に困難を抱える人をイメージするかもしれない。ところが、筆者に自分もそうかもしれないと伝えてくれる人たちのほとんどは、組織において相応に活躍している方々である。これを踏まえると、「弱みも含めて自分のことを理解してほしい」という欲求は、活躍状況に限らず多くの人が持っていると考えられる。そして、現在の社会状況においてその欲求は高まっているのではないか。これまで求められてきた模範的なビジネスパーソン像「あらゆる場面でそつなく振る舞うジェネラリスト」は限界を迎えつつあるともいえるだろう。弱みをさらけ出し、お互いが補い合え、強みを活かせる社会がいま求められていると強く感じている。

 ここで一度、弱みを認め合える社会を想像してみてほしい。いつからか社会の不寛容や分断に関する話題をよく耳にするようになった。背景には、「自分だって苦しんでいるのに、なぜ自分以外が優遇されるのか」といった思いがあるのではないだろうか。そして、この苦しさは「模範的な人物を目指さなければならない」という暗黙の圧力から来るのではないだろうか。繰り返しになるが、ニューロダイバーシティは、弱みを認め合い強みを活かし合おうという考え方だ。画一的で模範的な人物を目指すという概念とは全く異なる。つまり、ニューロダイバーシティの実現は、発達障害がある人に限らず、あらゆる人が「模範的な人物を目指すべき」という暗黙の圧力から開放される可能性があるのだ。

 誰かに対して寛容であることは、自分にとっても寛容になるということではないかと思う。日本総研でのニューロダイバーシティの取組を通じて、多様性を認め合う寛容な社会に近づくことを期待したい。

(※1) 発達障害に対する成人の認知および情報源に関する現状
(※2) 第308回 NRIメディアフォーラム 「デジタル社会における発達障害人材の更なる活躍機会とその経済的インパクト ~ニューロダイバーシティマネジメントの広がりと企業価値の向上~」


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ