アジア・マンスリー 2024年10月号
「冬の時代」のASEAN地域のスタートアップ
2024年09月30日 岩崎薫里
スタートアップ投資に対する世界的な調整のもと、ASEAN 地域も厳しい局面にあるが、各社とも企業体質の強化で乗り切ろうとしている。一方、日本企業もこの地域のスタートアップとの連携を再開している。
■過去 10 年間における ASEAN 地域でのスタートアップの盛り上がり
ASEAN 地域では、2010 年代初頭にほぼゼロの状態からスタートアップの立ち上げが活発化し、その後 10年余りで大きく発展した。スタートアップの活動の活発度合いを示すベンチャーキャピタル(VC)投資額は、2021 年のピーク時には 181 億米ドルに達した。2010 年にはわずか 1 億米ドルであったことを踏まえると、その発展ぶりには目を見張るものがある。
国別にみると、シンガポールはきわめて良好な事業インフラ、インドネシアは 2.8 億人という巨大人口を強みとして、スタートアップの活動がとりわけ活発である。そのほかの国についても、この両国には及ばないものの堅調に拡大してきた。なお、上記の理由からシンガポールに登記上の本社を置き、実際の事業はほかの域内国で行うスタートアップが数多くみられる。
■ユーフォリアとその終息
ASEAN 地域のスタートアップ投資を支えてきたのは域外マネーである。2021 年までの数年間は、この地域のスタートアップ投資を巡り一種のユーフォリア(高揚感に覆われている状態)が生じた。まず、経済発展を続ける同地域の 6.8 億人の巨大市場を相手に、スタートアップの成長余地が大きいとの期待が高まった。成功事例の出現も投資を後押しした。配車サービスを中心に事業を展開する Grab Holdings(2012 年設立、本社シンガポール)、および同じく配車サービスのGojek(現 GoTo Group、2010 年設立、本社インドネシア)が、設立からわずか数年でユニコーン(推定評価額 10 億米ドル以上の未上場企業)の仲間入りを果たし、瞬く間に ASEAN 地域を代表する企業にまで駆け上がった。これを目の当たりにして、次の Grab や Gojek を探す動きが投資家の間で広がった。さらに、新型コロナ禍対策として 2020 年に各国で大規模な金融緩和が実施されカネ余り状態となったことも影響した。それに伴いリスク許容度が高まり、スタートアップ投資が世界的に盛り上がり、ASEAN 地域での投資にも拍車がかかった。
しかし、新型コロナ禍の収束に伴い世界的にインフレが加速し、各国が金融引き締めに転じると、スタートアップ投資も「冬の時代」と呼ばれる調整期に突入した。その影響は ASEAN 地域にも及び、ユーフォリアは終息し投資家は冷静さを取り戻した。すると、ASEAN 地域が 6.8 億人の一つの市場ではなく、法規制から商習慣や文化に至るまで国ごとにさまざまな面で異なっている事実に改めて目が向けられることになった。そして、大量の投資資金と高い経営手腕を有しない限り、スタートアップが域内他国へ進出するには相当の時間を要し、その分、成長スピードが緩やかにならざるを得ないことが広く認識された。Grab、Gojek が上場後、赤字経営から脱却できず株価の低迷を続けたことも、この地域でのスタートアップ投資熱に冷水を浴びせる結果となった。VC 投資件数および金額は、ともに 2019 年から 2021 年にかけて約 6 割増を記録した後、2021 年から 2023 年にかけては逆に約 4 割減となった。
元来、スタートアップの成功確率は低く、市場からの退場は日常茶飯事であるが、資金調達環境の悪化に伴いそれが加速した。つい最近まで有望視されていた先も含め、廃業に追い込まれるスタートアップが ASEAN 地域で続出している。それ以外のスタートアップも、事業の大幅な見直しや無駄の削減に徹底して取り組んでいる。容易に調達できた時期に必要以上の資金を手にして、外部委託で済むにもかかわらず自社で雇用する、マーケティング予算を増額する、身の丈以上のオフィスに移転する、といったことが、程度の差はあれ広く行われていたためである。進出したものの期待通りの成果を上げられない事業や国からの撤退も相次いでいる。
一方で、こうしたリストラクチャリングに果断に取り組み生き残ったスタートアップの企業体質は強化されつつあり、現在の調整局面が一巡した後は「攻め」の経営に転じることが期待される。支援材料となるのは、この 10 年余りでスタートアップがこの地域に根付き、優秀な人材が流入し続けていることである。それに加えて、以前に着目されていた ASEAN 地域のスタートアップの強みが、今も大きく変わっていないことも指摘できる。ASEAN 地域全体を一つの市場と捉えるのは短絡的と認識されるようになったものの、この地域の人口が増え続け、その後押しもあって着実な経済成長が続くという中長期の展望に変化はない。
■再開する日本企業による連携の動き
ASEAN 地域のスタートアップの台頭に伴い生じたのが、中国、韓国、米国などさまざまな域外国の企業と域内スタートアップとの連携である。この地域での市場開拓や既存事業の強化の足掛かりにしようという域外企業の意図を映じたこうした動きは、日本勢においても確認できる。日本企業による ASEAN 地域のスタートアップへの投資や業務提携は、2010 年代半ば以降にみられるようになった。当初は IT 関連の新興企業が中心を占めたが、次第に伝統的な大企業の間にも広がっていった。
連携の動きは新型コロナ禍でいったん下火となったものの、ここにきて再び目立ち始めている。ある日本企業は、この地域でスタートアップのピッチコンテストを複数年にわたり開催した後、いったん休止していたが、最近になって再開した。イベントを通じて再度この地域のスタートアップ・コミュニティに入り込むと同時に、有望なスタートアップを発掘し、最終的には何らかの形で連携することを目指している。
日本企業との連携は、域内スタートアップの側にもメリットがある。日本企業はさまざまな技術・ノウハウやネットワークを有しており、域内スタートアップがそれらを活用することで成長が後押しされることになる。例えば、グローバル展開する日本企業のネットワークを活用してASEAN 域外への進出を果たすことなどが考えられる。逆の見方をすれば、この地域の有望なスタートアップを巡る各国間企業による連携競争に日本企業が競り勝つためには、スタートアップの成長に資するそうした日本企業の強みをいかに提示できるかがカギを握ることになろう。
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